『鬼滅の刃』は「マスクの時代」を先取りしていた? 評論家3名が語り合う、コロナ禍における作品の評価

『鬼滅の刃』は「マスクの時代」を先取りしていた? 評論家3名が語り合う、コロナ禍における作品の評価

 近年稀に見る超大ヒットで、一躍時代を代表する少年漫画の一つとなった『鬼滅の刃』について、漫画編集者の島田一志氏、ドラマ評論家の成馬零一氏、書評家の倉本さおり氏が語り合う座談会の後篇。前篇では、最終回への率直な感想や好きなキャラクターについて語ったが、後篇ではその時代背景や“兄弟漫画”としての側面、コロナ禍における作品の評価についてまで話が及んだ。(編集部)

参考:『鬼滅の刃』評論家座談会【前篇】「現代におけるヒーローとヒールをちゃんと描いた」

※以下、ネタバレあり

戦闘以外のところも楽しい漫画

『鬼滅の刃(2)』

倉本:『鬼滅の刃』は舞台設定が大正時代というのも上手かったと思います。明治や大正期の物語を読むと、妖(あやかし)的なものに対する恐怖感が現代よりもずっと切実で、だからこそ科学的な説明で乗り越えようとしていたことが見て取れるんです。そうした時代における人々の畏怖や奮闘を、この漫画は気配として上手く活用している印象でした。キャラデザも、まさに現代の人々がイメージする大正浪漫っぽい描き方で。ちなみに吾峠先生は『鬼滅の刃』の前身となった短編『過狩り狩り』について、着物を着た吸血鬼は見たことがないから、明治・大正あたりを舞台にドラキュラものを描こうと思った、と書いていました。

成馬:そういう発想だったんですね。第2巻(第13話)の、無惨と炭治郎が対面する場面で浅草の街並みが登場しますが、おそらく関東大震災以前の風景だったので、どこかのタイミングで地震が起きるのではないかと思ってドキドキしながら読んでいました。無惨は「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」なんて言っていましたし。

島田:高橋留美子先生がいま『週刊少年サンデー』で連載している『MAO』も、同じ大正時代が舞台のダークファンタジーなんですけど、関東大震災が序盤の重要な場面で出てきます。荒俣宏先生の小説『帝都物語』でも、関東大震災は破壊と再生の象徴として描かれていますよね。つまり、あの時代を描いた伝奇物で関東大震災を出すというのはある種の定型です。当然、それは吾峠先生の頭にもあったはずですが、なぜあえて外したのか、興味深いものがありますね。

成馬:昨年、アニメ版『鬼滅の刃』が盛り上がっていた時期に大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』(NHK)も放送されていて、劇中で関東大震災が描かれたのですが、『いだてん』だけでなく、2010年代の朝ドラ(連続テレビ小説)では、関東大震災から戦時下に向かっていく世の中が繰り返し描かれていて、2011年の東日本大震災後の日本と暗に重ねているところがあるんですよね。その意味でも、大正時代を舞台にしたことは、時流に乗っていたと思います。

倉本:大正時代といえば、スペイン風邪が世界を席巻したことも、現在の新型コロナウイルスのパンデミックと通じるところがありますね。

成馬:鬼が疑似家族を形成する那田蜘蛛山編で「絆」という言葉が、ネガティブな意味で使われていたのも、今の気分にフィットしていたと思います。震災直後はポジティブな意味合いで使われていた「絆」という言葉が、だんだんと嫌な響きになっていった過程とすごくリンクしていますよね。

倉本:那田蜘蛛山編は衝撃的でしたね。妖艶で恐ろしい鬼一家の「お母さん」役がまさかの少女だったというのもショッキングで……。『鬼滅の刃』は竈門家をはじめ、家族や兄弟姉妹の絆によってストーリーを駆動させている部分も多いため、この作品が盲目的な家族主義をむやみに強化するのではないかという批判もありますが、こういった擬似家族のエピソードがあることで批評性も生まれていると思います。例えば、那田蜘蛛山編の場合、「お父さん」役の鬼はただDVをするだけの存在で、もともと少女だった鬼はいちばん年下で力が弱いゆえに「お母さん」役に無理やり仕立て上げられ、ちょっとでも上手くできないと普段からボコボコにされている。家父長制の闇を煮詰めて戯画化したような、すごく悲惨な文学的漫画だと感じていました。また、敵にもいろいろな事情があると描く漫画はたくさんありますが、鬼の正体がただ無垢で罪のない子供だった、という展開のいたたまれなさは、『鬼滅の刃』という漫画がここまでの人気を集めた要因のひとつだと思います。復讐のために鬼になったとか、感情的な因果があるわけではなく、単に鬼に襲われたから鬼になったという理不尽さ。

島田:なるべくしてなった鬼もいますけど、それ以外の理不尽な形で鬼になった者をも鬼殺隊は討たなくてはいけないので、そこに悲しみがありますよね。お二人は鬼側で好きなキャラクターはいますか?

成馬:鬼は基本的に全員好きですが、最後の方に出てくる童磨が好きですね。同情できる鬼と同情できない鬼がいるのですが、童磨は完全に後者。もともと悪人だったのが鬼になってさらに最悪になった感じがして、同情の余地がまったくない。でも、吾峠先生はそういう絶対悪を描くときの方がイキイキしている気がします。『鬼滅の刃』は敵をやっつけた後に、「実はこの鬼にはこういう背景があって」とモノローグを描くじゃないですか。で、童磨の場合は人間らしい感情がもともとないことの悲しさを描いている。そういった描写を重ねていった先に、無惨との戦いを描くわけですから、とても難しいことに挑戦した漫画だったと思います。

倉本:一方で、主人公側は男性同士で仲良くわちゃわちゃするような描写がいっぱいあって、近年のグループアイドルを愛でているかのような多幸感もありますよね。

成馬:ああいう感覚は自分の慣れ親しんだ少年漫画にはなかったので、新しさを感じました。「善逸の良いところはこういうところだよ」とお互いに褒め合う関係性は、うらやましいというか見習いたいところですよね。男性同士でこういうコミュニケーションを描くのもアリなんだなと感心しました。

倉本:前述の「隠」の後藤さんが出てくる場面(参照)の続きなんですが、上弦の陸との戦いの後、炭治郎が蝶屋敷のベッドの上で目が覚めると、天井に伊之助が張りついて待ち構えていて、自分のほうが先に目覚めていたことを得意げに報告して褒めてもらう場面がありますよね。その様子がなんかもう、お母さんに一日の出来事を報告しようとする子供みたいで可愛くて可愛くて……(笑)。

成馬:彼らのやりとりを見ていると、少女漫画家の岡田あーみんさんの作品を思い出します。『こいつら100%伝説』という時代劇テイストのギャグ漫画に危脳丸(あぶのうまる)という金髪のキャラクターが出てくるのですが、善逸を見ていると、彼を思い出すんですよね。だから、少女漫画的なギャグのノリを少年漫画でやった作品でもあるのかなと。あのノリが入ることで、すごく読みやすくなっていると思います。

島田:壮絶なバトルが続くなか、たとえば蝶屋敷でみんなが喋ってるだけみたいなシーンは、すごく安心しますもんね。戦闘以外のところも楽しい漫画でした。

成馬:戦闘も心理描写がメインという印象で、ゲーム性のあるバトルを描きたい人ではないのかなと思いました。

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