『鬼滅の刃』作者が描きたかったのはダークヒーロー? 『吾峠呼世晴短編集』を考察
そして、巻末に収録されている『蠅庭のジグザグ』だが、この作品では、先に述べたような“境界線”を越えた者と越えなかった者との戦いが、より明確な形で描かれている。物語のクライマックス――「解術屋」の斎藤じぐざぐに追いつめられた「呪殺屋」の少年(青年?)は、苦し紛れにこういう。「自分の持つ力や技術を使って、金を稼いで何が悪いんだよ。みんなやってることだろ。何も違わない」。それを聞いたじぐざぐは、彼の言い分をある程度は認めたうえで、「ただそれが人の道から外れた時に、そんなことは許さん言うて立ち上がる人間も出てくる。これも自然なことや」と答える。おもしろいのは、そういう一見“正義の味方”風のじぐざぐもまた、かつて「調子こいて尖っていた時期」があり、母親によって「(1)人を殺さない」、「(2)私利私欲のために力を使わない」という“呪い”をかけられているという“ねじれ”の部分だ(しかも、もともとは「呪殺屋」になりたかったとまでいう)。
この、清濁併せ吞むというか、一歩間違えば悪の側と同類であるトリックスター的な主人公こそが、本来、吾峠呼世晴が描きたいと思っている(ダーク)ヒーロー像なのかもしれない。なぜならば、じぐざぐ以外の本書に出てくる他の3作品の主人公たちも基本的には同系統のキャラクターであり、それを見れば、作者の嗜好というものがおのずと浮かび上がってくるだろう。怪物になれる力を持ちながら、あえて人としての境界線を越えずに、人のために戦うアウトサイダー。無論、長期の連載漫画では、竈門炭治郎(『鬼滅の刃』)のような真っ直ぐな心を持った正統派のヒーローを主人公にせざるをえないかもしれないが、一読者としては、この種の危険な魅力を秘めたダークヒーローが暗躍する吾峠の漫画を、(読切の形でもかまわないので)これからも読んでみたいと思う。
※ 本書で引用した漫画のセリフは、読みやすさを優先し、一部句読点を打たせていただきました(筆者)
■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。@kazzshi69
■書籍情報
『吾峠呼世晴短編集』
吾峠呼世晴 著
価格:本体440円+税
出版社:集英社
公式サイト