『鬼滅の刃』伊之助に通じる、伝統的トリックスターの系譜 最悪の局面を打破できるか?

『鬼滅の刃』伊之助トリックスター論

 古今東西の神話や物語において、秩序や法といった社会のルールに縛られることなく、自由にふるまい、世界をかき乱していく存在を「トリックスター」と呼ぶ。正義と悪、破壊と再生、恐怖と笑い、狂気と純粋さといった両義性(二面性)を持ったこの型破りな英雄たちは、ある者は主人公(ないし主役級の存在)として、またある者はそのライバルとして、物語を予想もつかない方向へと展開させていく。たとえば、堕天使ルシファーや、ギリシア神話のプロメテウス、ヘルメス、ケルト民話の妖精パック、日本神話のスサノオあたりがよく例に挙げられるところだが、個人的にもっとも興味深いトリックスターだと常々思っているのは、『西遊記』のヒーロー、孫行者こと孫悟空である。

トリックスターが持つ「悪と正義の両義性」

 ご存じのように孫悟空は、自ら「美猴王」、「斉天大聖」などと名乗り、天界で大暴れしたのち、三蔵法師と出会うまで、釈迦如来によって五行山に500年間封じ込められていた大妖怪である。そう、絵本などで可愛く描かれたビジュアルからはイメージしづらいかもしれないが、彼はもともとは恐ろしい「妖怪」であり、また、天帝ですら手を焼く「暴れん坊」であった。これは普通に考えれば「悪」の要素に満ちたキャラクターなのだが、いったん正義の側についたら、これほど頼りになる存在というものもないだろう。つまり、「妖怪だから妖怪を倒せる(悪だから悪を倒せる)」という、ダークヒーロー特有の「毒をもって毒を制す」という原理が、この孫悟空のキャラクター造形でも活かされているのだ(悪の力と正義の心という二面性を持ったダークヒーローの多くは、トリックスターだといっていい)。

 また、妖怪退治といえば、我が国では源頼光とその配下の四天王による伝説(大江山の鬼退治など)が有名だが、この四天王のうちのひとり、坂田金時もある種のトリックスターだといっていいだろう。坂田金時という名前よりも、「足柄山の金太郎」といったほうが通りがよいかもしれないこの豪傑は、山姥の子だというサイドストーリーを持ち、幼少期に怪力で熊を投げ飛ばしたという「人外の者」(広義の「鬼」)であった。そう、ここでもまた、孫悟空のときと同じように、「鬼だから鬼を倒せる」という原理が成り立つのだ。

 さて、私は昔からこの種の、つまり「魔物にして正義」というタイプのトリックスターに強い関心を寄せているのだが、それは、単に彼らの中にある「悪と正義の両義性」に惹かれているだけでなく、「何をしでかすかわからない破天荒なキャラクターの可能性」に期待しているからだ。たとえば、吾峠呼世晴の大ヒット作、『鬼滅の刃』でいえば、猪の頭を被った怪童・嘴平伊之助がこの種の典型的なトリックスターだといえるだろう。

『鬼滅の刃(7)』吾峠呼世晴 著

 嘴平伊之助は、主人公・竈門炭治郎の同期の鬼殺隊剣士である。かつて「山の主」の猪に育てられたという彼は、その育ての親の皮を頭に被り(その下にあるのは少女と見まがうほどの美少年の顔だ)、「猪突猛進!! 猪突猛進!!」と叫びながら、あえて刃こぼれさせた二本の刀で鬼を狩る。通常、鬼殺隊の剣士には、まず「育手(そだて)」と呼ばれる育成者のもとで独自の呼吸法や剣技を習い、そののち最終選別の試験を受けてからなるのだが、この伊之助はたまたま出会った鬼殺隊の隊員と力比べをして刀を奪い、最終選別や鬼の話を聞いたのだという。つまり、もともと山という“異界”で暮らしていた彼は、その段階からすでに、育手を介さずとも鬼と対等に戦える異能を身につけていたわけで、それだけで充分破格の(もしくは鬼と同じような)存在であるといえるだろう。

 ただ、ここでふと疑問に思うのは、伊之助がなぜ、最終選別に合格したあとも、鬼殺隊の剣士として真面目に働きつづけているのか、だ。いうまでもなく、彼にはほかの隊員たちのように、「鬼に大切な人を殺された」というような明確な戦うための動機はない。のちに母親がある鬼に殺されたという事実がわかるが、当然、入隊時はそのことを知るはずもない。だから最初はたぶん、彼の中に正義の心があったわけではなく、単に「自分より強そうなやつを倒したい」という野性の本能に突き動かされていただけだろう。だが、本作を読めばわかるが、彼は戦いを重ねていくことで、仲間の強さや優しさを知り、人のために戦う気持ちを徐々に芽生えさせていく。そう、この『鬼滅の刃』という漫画は、ある意味では、伊之助という山で育った獣が人になっていく物語でもあるのだ。

 とはいえ、野生児は野生児、トリックスターはトリックスターである。人の心を芽生えさせようとも、彼は彼らしい破天荒なやり方で、鬼どもを倒していく。その最大の力を発揮したのは、おそらくは上弦の鬼・童磨との戦いにおいてだったろう。

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