『デビルマン』から『呪術廻戦』へ受け継がれた、ダークヒーローの遺伝子

新連載『名作漫画の遺伝子』スタート

名作漫画の遺伝子

毒をもって毒を制すという強さの原理

 注目すべきは、この、「人間(不動明)」と「悪魔」が、ひとつの身体の中で、相手を乗っ取るために戦っている(と思われる)場面なのだが、永井はあえて派手な演出は避け、見開きに単調なコマを13個並べ、そのうちの12コマを明の表情が徐々に変化していく描写に使った(残りの1コマは悪魔たちのカット)。つまり、モノローグやナレーションを排除し、明の身体の中でどういう戦いが行われているかの具体的なビジュアルも一切見せず、彼の表情や目つきの変化だけで、恐怖や苦痛や不安はもちろん、人間でなくなる悲しみや悪魔の心を支配した喜びといったさまざまな感情を描いてみせたのである。次の瞬間、勇者アモンと合体してデビルマンになった明は、凄まじい力でその場にいた悪魔たちを虐殺していくのだが、私としては、その血なまぐさい場面よりも、この見開きの13コマのほうが何倍も怖い。

 いずれにせよ、こうして永井が生み出した不動明=デビルマンというキャラクターは、その後の日本の漫画におけるダークヒーローの原型になったといっていいだろう。つまり、毒をもって毒を制す(悪の力を持っているから悪を倒せる)という強さの原理や、敵とほとんど変わらない禍々(まがまが)しいビジュアル、人間を守るために人間でなくなった悲しみと、それでも人間らしく生きていこうという心のあり方など、不動明というキャラクターを構成するいくつかの要素は、『デビルマン』以降もさまざまな著者によってさまざまな「魔物と合体した少年の物語」が描かれてきたが、そのいずれの主人公たちにも多かれ少なかれ見られる共通点なのだ。

『バオー来訪者』(集英社)荒木飛呂彦 著

 あとに続いた同系統の作品を思いつくままに挙げてみれば、『バオー来訪者』(荒木飛呂彦)、『寄生獣』(岩明均)、『ARMS』(皆川亮二/原案協力・七月鏡一)、『ZETMAN』(桂正和)、『東京喰種』(石田スイ)、『チェンソーマン』(藤本タツキ)といったヒット作や話題作が浮かぶが、そうした作品の主人公たちにも、どこか不動明の影を感じはしないだろうか。ただ、大きく違う点があるとすれば、これらの漫画の主人公たちの多くは、明と違って、自らの意志で魔性の力を得たわけではない、ということだろう。彼らのほとんどは、自分の知らないところで第三者の手によって人外の力を移植されたか、あるいは、生死の狭間(はざま)をさまよっている際に魔物と“契約”するしかなかったかだ。これは『デビルマン』の展開との差別化をはかったということもあるかもしれないが、それ以上に、物語の流れとしてはそちらのほうが自然だ、ということが大きいだろう。

 では、自らの意志で魔物と合体した少年を描いた漫画はないのかといえば、そんなことはない。近年のヒット作でいえば、芥見下々の『呪術廻戦』がそうだといえるだろう。同作の主人公、虎杖悠仁は、あるとき、人の心の闇が怪物のような形になった“呪い”との戦いに巻き込まれてしまう。その場にいた呪術高専1年の伏黒恵は虎杖にこういう。「呪いは呪いでしか祓えない」のだと。そしてそれを聞いた虎杖は、まったく躊躇せずに、そのとき手にしていた“特級呪物”である“両面宿儺の指”を呑み込むのだった。「なんだ、あるじゃん、全員助かる方法。俺にジュリョクがあればいいんだろ」。

 この、なんの葛藤もないままに主人公が人外の能力を手に入れようとする展開は極めて現代的な演出だといえるが(最近のバトル漫画は主人公の心理描写や修行の場面が長引くのを避ける傾向にある)、結果的に虎杖は宿儺の切り分けた魂の1つを身体に宿すことになり(作中の用語を使えば、宿儺は虎杖に“受肉”したが抑え込まれた)、目の前の“呪い”は即座に祓ったものの、本来は“正義”の機関であるはずの呪術高専の上層部からも目をつけられることになる。

 物語はその後、「今すぐ死ぬか、全ての宿儺を見つけ出し、取り込んでから死ぬか」の“二択”を迫られた虎杖が呪術高専に転入し、さまざまな“呪い”と戦う姿が描かれていくのだが、そのいずれの場面でも、基本的に彼は迷わずに目の前の強敵に立ち向かっていく。それはたぶん、彼が亡くなった祖父の「オマエは強いから人を助けろ」という言葉を忘れていないからだ。その言葉は、のちに「正しい死」というものを真剣に考えるようになる虎杖の力の源(みなもと)であり、命が尽きる前に祖父が可愛い孫にそっとかけた“正義の呪い”でもあった。

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