『デビルマン』から『呪術廻戦』へ受け継がれた、ダークヒーローの遺伝子
名作漫画の遺伝子
時代を越えて読み継がれる不朽の名作漫画に改めて光を当てるとともに、現代の漫画にその精神や技法が、どのように受け継がれているのかを考察するリレー連載『名作漫画の遺伝子』。第1回は永井豪『デビルマン』(1972~1973年)が提示したダークヒーロー像がその後、芥見下々『呪術廻戦』(2018年~)などの作品にどんな影響を与えたかを考察したい。(編集部)
自分自身がデーモンになるという選択
永井豪の『デビルマン』の連載が『週刊少年マガジン』で始まったのは、1972年のことだった。そこにいたるまでの経緯は少々複雑であり、永井の著書『デビルマンは誰なのか』によると、そもそもは東映動画から『魔王ダンテ』をアニメ化しないかと相談されたことに端を発するらしい。『魔王ダンテ』は『デビルマン』のパイロット版とでもいうべき壮大なSF作品であり、悪魔に取り込まれた少年が、やがて世界を滅ぼそうとするところで終わっている(未完)。「悪魔側の言い分」や「人間の狂気」、そして、「地球は誰のものなのかという問いかけ」など、のちの『デビルマン』と比較するうえでも見るべきところの多い意欲作だが、結果的に同作のアニメ化は実現せず、そのかわりに永井が考えた“デビルマン”というキャラクターを主人公にしたアニメーションが作られることになった。そして、アニメ版のストーリーは脚本家の辻真先に委ねられ、それと併行する形で、永井による漫画版が『少年マガジン』で始まったのである(ゆえに、アニメ版と漫画版の内容は大きく異なっている)。
いまさら説明不要かもしれないが、永井豪の『デビルマン』は、心優しい少年・不動明が、人類を守るため悪魔の勇者「アモン」と合体し、“悪魔人間”(デビルマン)となってデーモン一族と戦う物語である。といってもそれは、あくまでも物語の中盤までの展開であり、明はやがて信じていた人類に裏切られることになるのだが、本稿では、序盤で彼が悪魔と合体する場面について主に論じたいと思う(ただし、中盤以降の壮絶な展開は、ある意味ではコロナ禍の世界で人間らしく生きていくための“道標(みちしるべ)”を描いているともいえるので、いまこそ最後まで通して読むべき作品だということだけは強調しておきたい)。
さて、話を戻すと、不動明はあるとき、親友の飛鳥了の家を訪れる。そこで、すでに亡父の“遺品”を受け継いで悪魔との戦いを決意していた了から、こういわれるのだった。「デーモンと戦う方法、それは! 自分自身がデーモンになることだ!」。つまり、より強い力を得るために合体を繰り返すデーモンの習性を利用して、人間の心を持ったまま、悪魔の身体(能力)を手に入れようというのだ。それには、サバト(悪魔の儀式)のような非日常的な空間で、理性を捨て去る必要がある。なぜならば、「戦いの世界」では理性は邪魔なものであり、了の予想では、人間がそれを捨てた瞬間、悪魔が合体を仕掛けてくるだろうというのだ。
その話を聞いた明は、親友とともに人類を守るために悪魔と合体する覚悟を決めるのだが、とにかく本作で永井が描いたサバトのシーンが強烈だ。並みの漫画家なら、こうした場面では、おそらくは人里離れた山中で、黒装束の男女が何やら秘密めいた儀式を行っている様子を妖しげに描くことだろう。ところが永井が描いたサバトは、まるで(当時の言葉でいう)ゴーゴークラブのような狂乱の宴だった。サイケ風の派手なファッションで決めたヒッピーたちが、ロックの轟音に合わせて激しく踊っている。かつて澁澤龍彦は、『黒魔術の手帖』の中で、古(いにしえ)のサバトに参加した人たちのことを「さしずめビート族といったところだろう」と書いたが、永井も似たような考えを持っていたものと思われる。
いずれにせよその結果、理性を失った若者たちに引き寄せられるようにして、悪魔と人間の合体が始まった。理性を捨てることができなかった了は合体に失敗するが、一方の明は悪魔に殺されそうになり、その瞬間、恐怖が全身を貫いてタガがはずれる。そしてそんな彼の身体に、悪魔たちが降りてきた……。