鬼才・黒田硫黄が描く江戸旅情『船頭安五郎』が秀逸! のどかな船旅に潜む「江戸のクライムサスペンス」

黒田硫黄の最新長編『船頭安五郎』(リイド社)がめっぽう面白い。江戸時代を舞台にした作品ながら、黒田硫黄の作品の中で最もハードなクライムサスペンスになる可能性を秘めているのではないか。
デビュー30年、鬼才・黒田硫黄が描く最新江戸旅情
1994〜1997年に『月刊アフタヌーン』で連載された『大日本天狗党絵詞』で読者の度肝を抜いて以来、およそ30年が経つ黒田硫黄。多作な作家ではないが、筆を多用した(筆で描いていない作品もありますが)画風や、セリフやコマの間の絶妙な間合い、不可思議さとユーモアとアクションとペーソスが混ざり込んだ独特のストーリーは幅広い層にファンを持つ。筆者もそのひとりである。
そんな黒田硫黄の最新作が、『船頭安五郎』だ。舞台は江戸時代、主人公はタイトルの通り、利根川を往復する高瀬舟に乗る安五郎という男である。彼の船は福松屋という河岸問屋に所属しており、安五郎本人は親方の甚左衛門の下で働く中堅の船乗りだ。しかしある夜、甚左衛門は船から出て行き、それっきり姿を消してしまう。
甚左衛門が姿を消したことが気がかりな安五郎だが、仕事はしなければならない。今回の仕事は、相澤という旗本の城米を積んで江戸まで運ぶというもの。積荷を管理する「上乗り」の侍・吉三郎も乗せ、すぐにでも出航しなければならない。やむなく安五郎は半人前の船乗りであるてんせいとともに高瀬舟を漕ぎ出し、一路江戸を目指す。
「これぞ黒田作品!」と唸る、呑気さと緊張感が同居する世界観
とにかく描線が圧倒的である。冒頭、甚左衛門が船の外に出ていくシーンの圧倒的な夜の黒さ。肉付きのいい吉三郎を下から見上げて描いたコマの色気。賭場でのイカサマを描いたシーンでの自在なカメラワーク。風に船の帆を広げる場面の抜けのいい空気感。「これぞ黒田作品!」という魅力的な絵がページをめくるたびに現れ、呑気さと緊張感が同居した江戸時代の船旅の世界へと連れて行ってくれる。
ディテールも素晴らしい。船頭たちが使う専門用語や船の上での生活が、特に説明もなく「そういうもの」として描かれている。中盤の帆を立てるシーンでの作業のプロセスや、船体中央に大量の俵を置いている船の上を前後に移動する際にはどうするかなど、ちょっとした描写にも確実な取材の存在を感じる。船の上で煮炊きし、眠り、起きては船を動かす。生活のほぼ全てを船上で過ごす船乗りたちの暮らしに没入できる、稀有な作品である。
黒田作品名物である、ハードボイルドな雰囲気を漂わせたヒロインもいい。本作には、途中から「めめ」という女性キャラクターが登場する。ガタイが大きく力も強く、気風もよければ頭も切れ、やくざ者と対等にわたりあう度胸の持ち主なのに妙に愛嬌があるという、黒田硫黄でなくては描けないタイプの人物像だ。ここまで要素を乗せたキャラクターをさらりと登場させ、不思議に思わせないというのも、黒田作品ならではである。
江戸中期関東の「キナ臭い」歴史背景
前述のように、本作は利根川を往復する高瀬舟を題材とした作品である。舞台は天明と書かれているので、江戸時代中期にあたる。有名な「天明の大飢饉」のあった、あの天明である。『船頭安五郎』の舞台となる利根川流域は、この時期かなり治安の良くない状態だったようだ。
武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部)・安房(千葉南部)・上野(群馬)・下野(栃木)・常陸(茨城)・上総(千葉の一部)・下総(千葉、茨城の一部)・相模(神奈川一帯)の8つのエリアを総称して、関八州と呼ぶ。このエリアにはもともと天領(徳川幕府の直轄地)が多く、それ以外にも寺社領や地方の大名の土地がモザイク状に入り組んだ状態になっていた。単一の大名の支配地ではなく、持ち主の違う土地が細かく隣接していたのである。
幕府は天領には代官を置いて統治にあたらせたが、代官の多くは小禄旗本だったことから激しい税の取り立てに走り、また贈賄などによる政治腐敗・治安悪化が進んでいた。さらに江戸中期には風水害や旱魃による飢饉が重なったことで農村が疲弊し、生き延びるために生まれた村を捨てて出奔する無宿者(人別帳から除外された者)が増加することとなった。
加えて、これらのエリアはもともと所有者が異なる土地が入り組んでいるので、犯罪者が土地Aで犯行しても土地Bに移動すれば捜索も難しく、この土地柄を生かして禁制だった賭博が横行。農村を逃げ出した無宿者・流れ者が徒党を組み、賭場を運営して寺銭を稼ぐ博徒となった。講談で知られる国定忠治などの有名博徒や、博徒や渡世人を主人公とした股旅物を生み出したのは、こういった土壌だったのである。幕府はこの治安悪化に対抗するため、土地の区分を無視して動くことを許された「八州廻り」という警察機関を作ったが、効果のほどは焼け石に水であり、結局幕末に至るまで関八州の治安回復には成功していない。当時の関東一円は、博徒や渡世人が跋扈する犯罪多発地帯だったのだ。
安五郎が船を操っていた利根川は、そんな関東を東西に横断するように流れる。トラックも鉄道もない江戸時代当時、大量の荷物を高速で運ぼうと思えば最も効率がいいのは水運だ。つまり江戸時代の利根川流域は、犯罪多発地帯を東西に横切る、船頭たちにだけアクセスが許された巨大な高速交通網だった。
周囲は博徒ややくざ者だらけ。そんな中を突っ切る、アクセスが限られた高速物流網とくれば、密輸を中心にいくらでも悪どい手段に使えるだろう。のどかな場面や見事な描線、船頭の仕事のディテールに目が奪われる『船頭安五郎』だが、実は極めてキナ臭い題材を扱った作品なのである。
単なる時代劇に収まらない多角的な魅力
現に『船頭安五郎』の一巻は、巻末に迫るにつれてかなり不穏な展開となっている。これまでの黒田作品において、ここまで舞台の構造から犯罪の匂いがする作品は存在しなかったと言っていい。「江戸期関東の治安と物流を下敷きにした、ハードなクライムサスペンス」と形容していい作品だと思う。
しかしそこは一筋縄ではいかない黒田硫黄作品である。利根川を渡る風や草のそよぎすら見えてくるような描写や、どこかとぼけたようで腹に一物ありそうな登場人物たちは、単なる犯罪ものに収まらない可能性を秘めている。そして肝心の「甚三郎親方は一体何のために夜中に船を出ていき、何があったのか」という謎は、次巻以降に持ち越しとなった。こちらについても、今後が気になるところである。とにかく、これまでにない時代ものコミックとしても、秘められた謎を追うクライムサスペンスとしても、そしてなにより黒田作品らしい描写を楽しむ作品としても読める多角的な作品が、『船頭安五郎』なのだ。
(参考文献:猪野健治『やくざと日本人』)
■書誌情報
『船頭安五郎 1』
著者:黒田硫黄
価格:1,210円
発売日:2026年4月27日
出版社:リイド社
























