仏文学者・澤田 直が語る、ミシェル・ウエルベックの読み方「詩と批評が融合している」

仏文学者・澤田 直が語る、ミシェル・ウエルベックの読み方「詩と批評が融合している」

 ミシェル・ウエルベックの新刊『セロトニン』は、巨大生化学メーカーを退職した男・フロラン=クロード・ラブルストが、過去の女性たちへの呪詛や悔恨を織り交ぜながら、現代社会への絶望を語る作品だ。これまでのウエルベックの作品の中でも特に陰鬱な主人公が語り手となった本作を、どのように読むか。ウエルベックが哲学者ショーペンハウアーについて著した『ショーペンハウアーとともに』の訳者であり、仏文学者の澤田 直教授に話を訊いた。(編集部)

『セロトニン』の世界も、生きる意志の表れ方の一つ

ミシェル・ウエルベック『セロトニン』(河出書房)

ーーフランスでは、ウエルベックの新刊『セロトニン』にどのような反響がありますか。

澤田:出版前から多くの読者が心待ちにしていて、出版後はテレビをはじめとした様々なメディアで取り上げられています。本人はほとんどプロモーションらしきこともせず、インタビューなどに応じることもないようですが、それが却って人々の関心を掻き立て、文学関係者はもちろん、社会学者やタレントまでが言及するようになっています。いわば彼自身がひとつの文化現象のような状態です。ウエルベックと俳優のジェラール・ドパルデューがスパに滞在して、ほとんど素の自分を演じて、言いたい放題のお喋りしているだけの映画(ギヨーム・二クルー監督の『タラソ』)が8月に公開されたんですけれど、もういるだけで充分なほど、フランスでの存在感は大きいですね。

ーー澤田さん自身は『セロトニン』をどう読みましたか。

澤田:僕自身の感想を述べると、ウエルベックは読者が自分に求めていることをよくわかっているという印象を受けました。冒頭から、いかにもウエルベックらしい露悪的な情景を次から次へと繰り出していて、ヒット映画のお約束みたいな感じで、「待ってました」と読者が反応できる。日本人女性をひどい役回りにしてみたりとか、“外国人蔑視”と受け取られるような書き方も相変わらずで。本人は中国の人と結婚していますけれどね。『素粒子』とか、初期の作品にも通じるニュアンスもあって、「自分の小説はこういう世界だよ」というのを改めて示しているように感じました。

ーー作品に対する反発などはあるのでしょうか。

澤田:もちろん、反発もたくさんあります。フランスは9月が新学期ということもあり、この時期になると作家たちがいっせいに新刊を発表するのですが、ベストセラーのトップクラスにウエルベックがいるので、面白く思わない作家は少なからずいるでしょう(笑)。人の感情を逆撫でするような言説に嫌気が差す人もいるでしょう。僕なども、サービス精神はよくわかったから、そうじゃないものを書いてよ、という気持ちも正直あります。でも、新刊が出たら手に取らずにはいられない作家であることは間違いない。

ーーウエルベックの作品は露悪的ではありますが、同時にユーモアも感じられますよね。

澤田:そう、基本的にウエルベックは世の中の様々な物事を笑い飛ばしているんです。『服従』が出た時は、現在のディストピア的な状況を予言的に描いたと見るシリアスな評も多かったけれど、重要なのは、彼がそういう状況を「こんなにひどいんだぞ」と笑いのめしながら冷笑的に書いている点です。『服従』では、イスラムに関する言及が目立ちましたが、大学教員の僕からすると、フランスの大学の閉塞感や内紛を、主人公の視点から自虐的かつアイロニカルに書いているところが、同業者として楽しめました。そのアイロニーは、それこそ彼が『ショーペンハウアーとともに』(国書刊行会)を著していることからも明らかなように、ショーペンハウアーやニーチェといった哲学者の思想から影響を受けていると思います。

ーー澤田さんは『ショーペンハウアーとともに』を翻訳されました。本書におけるウエルベックは、小説とはまた違う抑制的な筆致を見せていますね。

澤田:ウエルベックの根にはすごくナイーヴな部分があるんだなと思い、それがまず驚きでした。彼がショーペンハウアーの『幸福について』を、自分でポツリポツリと翻訳して読んでいたというのが面白いですよね。ラヴクラフト(怪奇小説・幻想小説の先駆者といわれる米作家)がギリシア神話に魅せられていたように、ウエルベックが自分の小説の世界を形作る際、ショーペンハウアーやオーギュスト・コントといった哲学者からの影響を受けていたのだと考えると、なんとなく腑に落ちるところもあります。そういう背景を知ると、ウエルベックが描く砂漠の光景などが、また違ったものに見えてきます。ショーペンハウアーの著作との出会いは世界観が変わるほど大きなものだった、とウエルベックは告白していますが、これは本音でしょう。僕自身は、ウエルベックの小説を翻訳したいと思ったことはなかったのですが、『ショーペンハウアーとともに』はすぐさま翻訳したいと思ったほど、しっくりきました。

ーー『ショーペンハウアーとともに』は、ショーペンハウアーの著作に関するウエルベック流の解釈書という面があります。

澤田:そうですね。それも単なる印象批評としてショーペンハウアーを語るのではなく、彼の哲学の根幹に関わる問題に対してがっぷり四つに取り組んでいて、とりわけ第一章はハードな哲学議論になっています。「表象とは何か?」といった問題に対して、真正面からぶつかっているから、一般的な読者にとっては難解かもしれないけれど、第二章以降は、ウエルベックらしくセックスの話なども織り交ぜながら軽快に哲学を語っているので、そのあたりのギャップも面白い。ショーペンハウアーの哲学の柱の一つには厭世主義があるけれど、ウエルベックはそれを単に悲観的なものとしては捉えていません。人間はもちろん、事物を含め、あらゆるものには「生きる意志」があって、それが世界を突き動かしている。世界の様々な悲惨なことも、すべてはこの「生きる意志」から生じたとショーペンハウアーは捉えるのですが、さらには、そういった世界は最終的には涅槃に向かうとも考えている。だから、『セロトニン』のような世界のあり方も、美醜が混在しながらも、ある意味では「生きる意志」の表れ方の一つなのだと解釈することができる。その意味で『ショーペンハウアーとともに』は、ショーペンハウアー解釈として面白いだけでなく、ウエルベックを理解する上での副読本にもなるのではないかと思います。

ーー『セロトニン』の主人公は、涅槃の境地までは辿り着いていないけれど、その過程を描いているものではある、と。

澤田:『セロトニン』の主人公は涅槃の境地には行かないですね。行けないというか。ただ、フランスの現状をしっかりと捉えた作品であって、その意味で多くの人の共感を呼ぶことができる作品でもあると思います。特に没落貴族のエピソードなど、彼と同世代、あるいは下の世代の人間にはほとんど皮膚感覚で理解できるでしょう。ご存知のようにウエルベック自身が、語り手と同じで、国立農学校の出身なんです。フランスは最先端の原子力などの研究も盛んですが、基本的には農業国で、食料自給率が120%にもなるような国ですから、農業政策を担当する農学校の出身者は超エリートです。『セロトニン』は、そうした自身の経験を活かしながら、フランスの農業界が今、EUのためにいかに大きな打撃を受けているのかを描いた作品でもあるので、フランスの一般的な人々にとっても興味を持てるはず。多くの人が具体的なイメージを描くことができる題材を用いながら、ちゃんと自分の哲学や作家性を表現するところに、小説家としての巧みさを感じます。

ーーショーペンハウアーは、一般的なフランス人の読書家にとってどのような存在なのでしょうか。

澤田:ショーペンハウアーのファンの系譜は19世紀以来、連綿と続いていますから、名前としては馴染みのある存在ではあるでしょう。しかし、20世紀の後半では、超有名ではあるけれど忘れられた存在というか、哲学史の中の偉人という位置付けだったと思います。だからこそ、ウエルベックにとってショーペンハウアーの著作は“発見”だったわけです。一方で『セロトニン』の中には、モーリス・ブランショやジョルジュ・バタイユといった思想家を揶揄するようなくだりも見られます。恐らくウエルベックからすると、20世紀後半のいわゆる現代思想は、単純なことを難しそうに語っているだけだという印象があるのではないでしょうか。ウエルベック自身の小説は、彼らの作品に比べると遥かにわかりやすいし、露悪的な表現やユーモアも含めて、随所に読ませる工夫があります。単純にエンタテインメントか純文学かということではなくて、純文学をちゃんと読ませようとしている。だからこそ、幅広い層の人々が手に取れるし、そこにフランス文学の層の厚さを感じます。ディープな読み方をすることもできるし、エンタテインメントとして楽しんでも良い。そこがウエルベックの魅力じゃないですかね。

ーーウエルベックの作家性で、他に特徴的なのはどんな部分だとお考えですか。

澤田:ウエルベックって、『ショーペンハウアーとともに』でも書いているように、実は正統派の文学少年だったんですよね。ドストエフスキーやトーマス・マンを読んで、それでも飽き足らずに様々な本に手を出している。その中でひとつ言えるのは、詩が彼の中で重要な位置を占めている、ということです。彼自身は素晴らしいストーリーテラーであるわけですが、同時に内側から湧き上がってくるポエジーもあって、それが彼の詩や音楽や映像になっている。それと、彼自身が批評家的な側面も持ち合わせていて、自己陶酔することがないのもポイントだと思います。悲惨なものを描いたとしても、その悲惨さに溺れたりすることがなくて、ちゃんと距離感を保ってるからこそ、読むに耐える物語になる。そういう絶妙な距離感、詩と批評が融合したような作風は、もしかしたら彼が好んでいるボードレールの影響もあるのかもしれません。

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