特集:恐るべき作家ミシェル・ウエルベック
ウエルベックは小説の初心に回帰するーー福嶋亮大の『セロトニン』評
ともあれ、ウエルベックは農地の惨状と精神の荒廃をシンクロさせることで、ヨーロッパの存在論的基盤の危機を浮かび上がらせた。作中ではルソーの孤独について語られた部分があるが、むしろ私が想起したのはヴォルテールの『カンディード』である。暴力と惨事に覆われた世界を旅したカンディードは、最後に「何はともあれ、私たちの畑を耕さねばなりません」という達観した境地に到った。しかし、ラブルストや彼に象徴されるフランス人は、まさにその「私たちの畑」に帰還する道こそを失っているのだ。ウエルベックには珍しく、本作から「故郷喪失」の匂いがするのもそのためである。
前作の『服従』もそうだが、『セロトニン』にもいくらでもケチはつけられるだろう。何一つ希望を示さず、かつての理想の廃墟を点検して回るだけの本作に、ウザい西欧的自作自演を認めて一蹴することは簡単だ(ヨーロッパの文明人であることへの倦怠と疲労?一人で勝手に悩んどけ!)。だが、露悪的なウエルベックに「良い小説を書こう」などという殊勝な心がけがあるはずもない。彼は世界を良くしようとするあらゆる試み――ポリティカル・コレクトネスも含めて――に背を向けている。それに、考えてみれば、『ドン・キホーテ』や『カンディード』このかたヨーロッパの小説とは先行する共同幻想の廃墟を経巡りながら、ああだこうだおしゃべりすることに熱をあげるバカげたジャンルなのであり、ウエルベックもサルマン・ラシュディ(最新作は『ドン・キホーテ』のパロディ)もそのような小説の初心に回帰しているように思える。21世紀の小説はたぶんそれでよいのだ。
■福嶋亮大
1981年京都市生まれ。文芸批評家。京都大学文学部博士後期課程修了。現在は立教大学文学部文芸思想専修准教授。文芸からサブカルチャーまで、東アジアの近世からポストモダンまでを横断する多角的な批評を試みている。著書に『復興文化論』(サントリー学芸賞受賞作)『厄介な遺産』(やまなし文学賞受賞作)『辺境の思想』(共著)『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』『百年の批評』等がある。
■書籍情報
『セロトニン』
ミシェル・ウエルベック 著
関口涼子 訳
発売:9月27日
価格:2,400円+税
四六変型・上製カバー 304ページ
発行/発売:河出書房新社
公式ホームページ:http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207810/
Photo Philippe Matsas(C)Flammarion