ラウドロックは世代&ジャンルを越えて広がり続ける 海外メタルシーンの変遷とともに辿る“進化と功績”
特集「ヘヴィメタルの最新動向」では、2010年代後半〜2020年代にかけて、より越境的な広がりを見せているメタルの現在地について考察してきた。本稿では日本のオーバーグラウンドな音楽シーン、特にこの夏盛況を見せたロックフェスにおけるメタルやラウドロックに焦点を当ててみたいと思う。
2010年代はバンド自ら主催するフェスが乱立した時代。そこで台頭したのがラウドロックである。ラウドロックは、パンクやメタルをルーツにした“ラウドなロック”を指すざっくりとした呼称だが、バンド自らが主催フェスなどを通して“ラウドロック”を定義づけていくことで、フェスシーン全体の顔役となるまでに進化してきたという歴史がある。また、そうしたラウドロックをルーツに持つ若手世代の台頭で、最新のJ-POP方面からも、メタル的な要素を取り込んだ音楽が少しずつだが頭角を現し始めていることも事実だろう。
そこで、ラウドロックを起点にしながら、日本のオーバーグラウンドなロックフェス(そして今のJ-POPシーン)にメタルがどのように浸透してきたのかを振り返ってみたい。
ワールドワイドなメタルの風向きを変えた“ニューメタル”
そもそも、日本のヘヴィメタルブームの始まりについて簡単に総括する。最初の世界的なヘヴィメタルブームと言ってもいい、1970年代末のNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)の影響を受け、LOUDNESS、BOW WOW(VOW WOW)、ANTHEMといったバンドが1980年代前半から本格的に国内で活躍。その後、LAメタルやスラッシュメタルから影響を受けたバンドも乱立し、1980年代にはジャパニーズメタルブームが確立された。その中で最大の成功を収めたバンドがX(現:X JAPAN)だったが、彼らの大ブレイク後に世界的なメタル不況の時代へ突入。一世を風靡したジャパニーズメタルも1990年代には冬の時代を迎え、ブームを牽引した多くのバンドが解散に至った。当時、最も尖っていたロックはNirvanaをはじめとしたグランジであり、速弾きのギターソロではない、オルタナティブな要素がロックに求められるようになっていく。従来のジャパメタにポストパンクやニューウェイヴを取り込みながら、ヴィジュアル系が台頭し始めたのもこの頃である。
そんな1990年代初頭、アメリカを中心に新たに生まれたのがグルーヴメタルの概念であり、派生する形で誕生したのがニューメタルだ。
1980年代に主流化したヘヴィなリフとスピードで聴かせるスラッシュメタルを引き継ぎつつ、ミドルテンポ主体で、どっしりとしたリズムを聴かせることで、オルタナ時代にも順応したグルーヴメタル。その発展系であるニューメタルは、ヒップホップ由来のベースグルーヴやラップ歌唱を混ぜ合わせたメタルの総称である。グルーヴメタルの象徴・Panteraが全米1位を獲得し、商業的にも最高の成功を納めた7thアルバム『Far Beyond Driven』(通称『脳殺』)が1994年3月リリース、そしてニューメタルのパイオニア・KoЯnの1stアルバム『KoЯn』が1994年10月リリース。ラウドロックバンドの多くがニューメタルからの直接的な影響を公言していると思うと、この1994年こそ、ラウドロックの胎動が始まったタイミングと言えそうだ。
ニューメタルは、ヒップホップとメタルの融合を図り、メタルの音像に革新をもたらしたという点で、今に続くあらゆるメタルの礎になっている重要なジャンルである。KoЯnのデビューから少し遅れて、1995年には破格の音響を誇るDeftones、1997年にはLimp BizkitやSevendustなどニューメタル系のバンドが続々デビュー。そして“ニューメタル”の枠を越えた世界的なメガヒットバンドとして、1999年にSlipknot、2000年にLinkin Parkがデビューを果たす。Slipknotはマスクというアイコン性、Linkin Parkはアンセミックな楽曲でスタジアム規模のヒットを飛ばし、メタルやロックそのものを象徴する存在としてワールドワイドに君臨した。System of a DownやPapa Roachといった個性派の登場も相まって、2000年代前半にニューメタルブームはピークを迎える。
日本でいち早くこうしたサウンドを確立していたバンドは、山嵐(1996年結成、1997年デビュー)、RIZE(1997年結成、2000年デビュー)、宇頭巻(1998年結成、2001年デビュー)など。そしてミクスチャーロックの浸透に大きく貢献したDragon Ash(1996年結成、1997年デビュー)も、ヒップホップとヘヴィなバンドサウンドを融合させたパイオニアと言えるし、Pay money To my PainのK(Vo)が在籍していたGUN DOG(2000年結成、2003年デビュー)も同系統のバンドでは外せない。なお、一見メタルとは縁遠く思えるUVERworldも、曲によってメタル的なサウンドを引用しながらミクスチャーロック〜ニューメタル以降のギターロックを確立させたバンドと言えるし、ELLEGARDENもエモやパンクをベースに、メタルのフレーズを取り入れることで爆発的な人気を誇った。
そんなニューメタルの時代に呼応するように変化・進化していった大御所の代表格こそ、Metallicaだ。1980年代を代表するスラッシュメタル四天王の一角である彼らだが、1991年の5thアルバム『Metallica』からグルーヴメタルに舵を切ると、2003年には『St. Anger』で、Queens of the Stone Ageあたりが引き合いに出されそうなストーナーロックへと大胆に傾倒。世界で最も成功したメタルバンドと言われる王者 Metallicaが今に至る評価を確立したのは、むしろこうした変化の時期を経てからだろう。
そんなMetallicaは、変化を絶やさないストイックなマインドも含めて、後続に巨大な影響を与え続けているが、日本のロックシーンでMetallicaファンとして有名なのが10-FEETのTAKUMA(Vo/Gt)である。10-FEETは1997年結成、2001年デビュー。Metallicaオマージュがたっぷり詰まった「What's up?」や、スラッシュメタル的な疾走感の「BLAME ME!!」、さらには歪んだギターの音色をはじめ、10-FEETの楽曲にはMetallicaからの影響が色濃く表れている(ライブでのTAKUMAのギブソン エクスプローラーの構えも、いかにもジェイムズ・ヘットフィールド的である)。さらに10-FEETが監修したMetallicaのトリビュートアルバム『METAL-IKKA〜メタル一家』が2008年に発売されており、10-FEETらしいミクスチャー精神溢れる「Sad But True」のカバーは必聴だ。なお、同じく2008年には10-FEETの主催フェス『京都大作戦』が実質の初開催を迎え(初回だった前年は台風で中止に)、『AIR JAM』以降のバンド主催フェスの新たな道が切り拓かれたのもここからである。