the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第5回 生涯のアンセム「B-BOYイズム」はなぜ衝撃的だったのか

バンアパ木暮「B-BOYイズム」の衝撃

 the band apartのドラマー・木暮栄一が、20年以上にわたるバンドの歴史を振り返りながら、その時々で愛聴していたり、音楽性に影響を与えたヒップホップ作品について紹介していく本連載「HIPHOP Memories to Go」。前回は、既存の日本語ラップとは異なる“新たなオリジナリティ”の登場であった、ジャパニーズ・ヒップホップとの出会いを振り返った。第5回では、何気ない1日に木暮が出会った“生涯のアンセム”と、その曲がヒップホップシーンにもたらした偉大なる衝撃を振り返っていく。(編集部)

音楽への好奇心をたぎらせた18歳、ついに出会った“生涯の1曲”

 この稿を書いている7月某日夕刻、外では雷が鳴っている。

 熱帯のような激しいスコールが通り過ぎたかと思えば、いつの間にか紫と橙の夕闇が雨上がりの商店街を包んでいる。2年前なら、「ああ、夏だな……」なんて悦に入りたくなるような夕暮れのいち場面だけど、昨今の複雑な世情によってこちらの情動もまた複雑な色を帯びてしまうのはしょうがない。

 それにしたって夏の暑さは年々強烈になっている。大学に入って初めて一人暮らしを始めた約20年前、僕のアパートにはしばらくエアコンがなかった。窓を開けて扇風機をかけていれば真夏日でも何とか凌げていたけれど、それも今の気温ではもう無理だろう。

 the band apartの1stシングル『FOOL PROOF』収録の「reminisce」という曲の断片を荒井岳史(Vo/Gt)が聴かせてくれたのも、その部屋だった。バンドに名前がついて間もない、十条のライブハウスのブッキング・ライブに出始めた頃の話。

 ……なんて書くと、お、ようやくバンドの話か、と思われる奇特な方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら前回に引き続き個人的な思い出譚が続きます。

木暮栄一(the band apart)

 the band apartという名前で活動を始める、そのさらに何年か前、西多摩の実家から大学に通いながら、僕は“ハイジマニア”(グループのDJの地元が西武線の拝島駅だったという由来)というラップグループを組んでいた。と言っても、前回書いたようなジャパニーズ・ヒップホップブームの熱に浮かされた高校の同級生が遊びの延長で始めたようなグループだったから、活動という活動はほとんどないまま自然消滅していくことになる。

 それでも個人的なラップへの情熱は続いていて、弟のラジカセでインストのトラックをかけ、その上でオリジナルのリリックをラップしながら、もう一台のラジカセへ直接録音したりしていた。もちろん生声。作業中に母親が突然部屋に入って来て、「ノックしろよババア!」「何回もしたわよ!」といった思春期定番の親子のやりとりをしたりしつつ。

 そういった拙いデモ制作、ひいてはラップへの情熱が、「それを披露して他人に認められたい」という自己承認欲求と結びつかなかった点は自分でも不思議だ。気が向いた時にリリックを書き、興が乗ればそれを録音して自分で聴く。基本的にそれで十分だったので、友達に聴かせることさえしなかった。

 そんな僕が人前でラップをしたのは、ハイジマニア時代に数回と、友達のイベントのオープンマイク(誰でも自由にマイクを握れる時間)くらいで、その時は大して客のいないフロアに向かって「Say Hoo」と言ったら全くの無反応、奥の方で当時付き合っていた彼女だけが手を挙げてくれていたのを覚えている。

 その彼女には9歳年上の姉がいて、渋谷や西麻布の当時流行のクラブによく連れて行ってくれた。イエロー(Space Lab YELLOW)の“ハウスの日”や、DJ MUROが回すオルガンバーとか。

 客の年齢層の高さとオシャレ具合に気後れしている僕を見て、「大人しくなってんじゃねーよコグレ!」と笑われたり、真冬に短パンで現れた(ファッション迷子後期の)僕を見て大笑いされたり、人気有名シンガー Uの身内のパーティになぜか呼び出され、当然のように戸惑っている僕を見て「Uとなんか喋れよコグレ〜」と煙草の煙を吹きかけてきたり……まあ、今考えれば、何かと可愛がってくれていたのだと思う。

 実際にそういったクラブでかかる様々なダンスミュージックに触れたりしてるうちに、自分の音楽的興味も多角的に広がっていった。日本のヒップホップやパンクに対しては、姉妹揃って物すごく辛口だったけど、その代わりに僕が知らなかった古いソウルやラヴァーズロックの名曲をたくさん教えてくれて、その影響でいろいろなジャンルのレコードを買うようになっていく。さらに、もともと好きだったPavementやSonic Youth周辺から知ったUSインディのディグも含め、とにかくこの時期は知らない音楽を発見するのが楽しくてしょうがなかった。

 相対的にヒップホップを聴く頻度は減っていたと思う。しかしそんなある日、いつものタワーレコードの試聴機で、僕は生涯のアンセムと出会うことになる。

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