the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第5回 生涯のアンセム「B-BOYイズム」はなぜ衝撃的だったのか

バンアパ木暮「B-BOYイズム」の衝撃

RHYMESTERがもたらした「B-BOYスタンスと普遍性」の見事なバランス感覚

決して譲れないぜ この美学 ナニモノにも媚びず 己を磨く
素晴しきロクデナシたちだけに 届く 轟く ベースの果てに
見た 揺るぎない 俺の美学 ナニモノにも媚びず 己を磨く
素晴しきロクデナシたちだけに 届く 轟く ベースの如く

 RHYMESTER「B-BOYイズム」。

 アメリカという圧倒的に巨大なオリジナルシーン、さらには自国のメジャー/アンダーグラウンドの音楽シーンに対して日本のヒップホップはどうあるべきか? という根本的な主題に一つの明快な答えと態度を示した、楔的クラシック。上記のフックにそのアティテュードの全てが集約されている。

  同じようにエネルギッシュなジャパニーズ・ヒップホップの名曲に、例えばLAMP EYE「証言」やBUDDHA BRAND「人間発電所」などがあるが、誰が歌詞を読んでもメッセージが伝わるという点で「B-BOYイズム」は白眉だった。独自性の高い言葉選びや必殺の一行〈気持ちがレイムじゃモノホンプレイヤーになれねえ〉(BUDDHA BRAND「人間発電所」)を備えたクラシックは多々あれど、ここまで明確なテーマと理性的な文脈を持った曲はそれまでなかった。

RHYMESTER「B-BOYイズム」

 主流派の価値観に馴染めない/馴染まない者の視点からの反骨と気概、ワイルドサイドを歩くことを恐れない覚悟と心意気。引用やネームドロップといったラップ特有の表現方法を駆使しながら浮かび上がらせるテーマの普遍性。そこにこの曲の素晴らしさがある。

 さらに、サンプリングの手法やネタのチョイスまで飽和し、マンネリ化しかけていた当時のシーンにおいて圧倒的にフレッシュだった、The Jimmy Castor Bunch「It's Just Begun」とディック・ハイマン「Give It Up or Turn It Loose」のネタ使い。そのオールドスクールな響きと勢いは、歌詞のメッセージに原初のエネルギーを加えながら、タワレコ試聴機前の18歳の鼓膜と魂を震わせたのだった。

 その後の宇多丸師匠の“悪そうな奴”(©︎ZEEBRA/Dragon Ash「Grateful Days」)とは真逆のベクトルの活躍も含め、現在のRHYMESTERの「B-BOYスタンスと普遍性」の見事なバランス感覚は、この曲を起点に始まったと言っても過言ではない、と個人的には思っている。

 そんな「B-BOYイズム」のリリースは1998年。個人史に照らせば、友達同士の遊びの延長にthe band apartという名前がついた年だ。

 当時のライブハウスはメロディックパンクのバンドで溢れていた。言うまでもなくHi-STANDARDの影響。隣の家の兄ちゃんのような風貌の3人が奏でる、グッドメロディと倍速のバックビート……構造そのものが若く性急なエネルギーの爆発のようなスタイルは、多くの若者を虜にした。かくいう僕らも、活動当初は明らかにその影響下にある楽曲を演奏していたが、次第にその流れとは別の道を模索するようになっていく。

 その辺りに関しては次回以降に書いていきたいと思うが、バンドに限らず、そうしたひとつの大きな流れから別の道へ進むとき……日々訪れる大小の選択場面で迷うときに、今でも時々思い出すのが「B-BOYイズム」のリリック。

欲得 超えたヤセガマン/そこにこそこだわるぜ
‘Cause I’m the man 渋滞続くハイウェイ 尻目に マイウェイ
行くぜこのまま寝ないで “ (宇多丸)

自分が自分であることを誇る/ただ それだけ 命懸けで守る
イビツに ひずむ俺イズムの/イビツこそ自らと気付く(Mummy-D)

 その言葉たちは、いつだって僕の背中を押してくれるのである。

連載バックナンバー

第4回:新たな衝撃をもたらした“ジャパニーズ・ヒップホップとの出会い”
第3回:高校時代、原昌和の部屋から広がった“創作のイマジネーション”
第2回:海外生活でのカルチャーショックと“A Tribe Called Questの衝撃”
第1回:中高時代、メンバーの強烈な第一印象を振り返る

ASIAN GOTHIC LABEL official web site
木暮ドーナツ Twitter(@eiichi_kogrey)

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