『春画先生』の偏愛をとことん貫く凄みとぶっ飛んだ面白さ! 観たら以前の自分に戻れない
私からすればあなたは変態であり、あなたからすれば私は変態だ。人は誰しも偏愛する対象というものを持っていて、ここに生じる他者からのまなざしにより、変態は誕生する。私やあなたが存在を認め合う社会があってこそ、変態もまた存在できるわけだ。つまり、誰もが変態なのである。
この言葉は侮蔑や嘲笑などを含んだネガティブな意味合いで使われがちだ。しかし繰り返すように、誰もが偏愛する対象を持っている。私はこの〈愛〉をとことん貫く者にこそ惹かれるのだ。彼・彼女らは脇目もふらず全速力で駆け、決死の覚悟で対象にぶつかっていくーー。そんな好きなものにのめり込んでいく人々の姿を描き出したのが、塩田明彦監督の最新作『春画先生』だ。日本の文化をモチーフにしていながら、日本人的な価値観を打ち破る、エキサイティングな作品である。
「春画」というものに対する知識はなくとも、誰しも一度くらいは目にしたことがあるだろう。江戸文化の裏の華である“笑い絵”ともいわれるもので、男女が肉体を交わらせる絵は過激なエロティシズムが感じられるいっぽうで、字義通りにどこか笑える滑稽さをも持っている。じつに奥が深いものなのだ。この『春画先生』をとおして私たち観客は「春画」と出会い、その真の魅力にも触れることになる。鑑賞後にはもう、それまでの自分には戻ることができないだろう。
物語は、喫茶店で働くひとりの女性・春野弓子(北香那)が、周囲の人々から“春画先生”と呼ばれる変わり者・芳賀一郎(内野聖陽)と出会うところからはじまる。妻に先立たれた彼はまるで世捨て人のように、春画の研究に没頭している。芳賀に声をかけられた弓子はやがて彼の元を訪れるようになり、春画鑑賞の極意を学ぶとともに彼に対して恋心を抱いていく。
そこへ、芳賀が「春画大全」なるものを早く書き上げるよう動き回る編集者の辻村(柄本佑)や、芳賀の義理の姉である一葉(安達祐実)らが登場することによって、弓子の人生は大きく揺さぶられることになる。彼女は「春画」との出会いをきっかけに、それまでとはまるっきり違う自分に、真の自分へと変わっていくのだ。
本作はかなりぶっ飛んでいる。何せ弓子は芳賀に声をかけられてすぐに彼の元へと向かうのだ。周囲から変態扱いされている怪しげな中年男性の家にである。しかし、彼女の行動の動機は彼女自身にすら分からないのではないかと思う。ただただ、ビビッときたのではないだろうか。私たちは現実社会における自身の言動には理由を求めないものの、映画などの創作物に登場する者たちにはその理由を求めがちである。
私たちの誰もが説明のつかない心理状態になることがあるように、映画の中の彼・彼女らだってそうあってもおかしくはない。この冒頭のシーンだけで、『春画先生』に登場する者たちが、私たちの持つ社会規範から逸脱していく存在なのだと分かるだろう。それは清々しいまでの固定観念の破壊であり、世間体などというつまらないものからの解放である。