『春画先生』の偏愛をとことん貫く凄みとぶっ飛んだ面白さ! 観たら以前の自分に戻れない

もちろん、これは『春画先生』のほんの入口に過ぎない。物語が進むにつれ、作品の持つ突飛さと過激さはエスカレートしていく。展開の一つひとつがあまりにもぶっ飛んでいて、途中からはただただ唖然とさせられるばかり。しかしだ、本作の予測不可能な展開にばかり気を取られていると、それ以外の大切な情報(=メッセージ)を見落としてしまうことになる。映画の中で春画先生は、「春画」とは各絵の中のもっとも刺激的な部分を覆ってみることにより、それぞれの絵に収められたストーリーが見えてきて、作品の背景までも読み解くことができる、と解説している。
それはこの『春画先生』という映画も同じ。刺激的な部分から少し視線をズラしてみたり、フォーカスする範囲を広げてみることによって、本作の持つ多面的で多層的な真の魅力に触れることができるのだ。チャーミングなキャラクターたちによるコミカルなやり取りは楽しいし、何よりもここに収められているのは純愛である。他者からのまなざしにより、変態は誕生する。しかしその見方を少しだけ変えてみると、私たちにとっては偏愛だと思えていたものが、切実な〈愛〉なのだと気づく。「春画」に似た本作の構造は、じつにユニークである。
本作について、「日本人的な価値観を打ち破る」と冒頭で述べた。“日本人的な価値観”とは、幼い頃より教えられ、植えつけられてきた“隠す文化”のことだ。私たちは社会参加を果たすため、いつからか本音と建前というものを使い分けるようになる。顔で笑って心で泣くようになる。感情をありのままにさらけ出すのは恥ずかしいこと。だから隠すのだ。
かつて日本には増村保造という監督がいて、こういった日本人が美徳とするものを根底から覆そうとした。彼の映画に登場するのは、決まって極端に自分の心に素直な者たちだった。欲しいものは何が何でも手にいれる。『暖流』(1957年)で左幸子が演じた石渡ぎんや、『清作の妻』(1965年)で若尾文子が演じたお兼など、それぞれ方法は違っても、自身が主体となって愛する者を愛しぬく女たちだった。気高い彼女たちから、日本人的な価値観を打ち破る姿勢を感じたものである。
『春画先生』で北香那が演じるヒロイン・弓子もまた、日本人的な価値観を打ち破る存在だ。そして、ひるがえって北香那こそ、さまざまな抑圧やしがらみの中で生きる私たちにとって“新時代のヒロイン”だといえる存在だと思う。弓子は「春画」と出会い、心のままに変態化(=メタモルフォーゼ)していくが、このような出会いは人生にいくつ訪れるだろうか。
「映画」はこれまでに多くの人間の人生を変えてきた。私にだって偏愛する映画はいくつもある。だが、人生を揺さぶられるような作品にはそう出会えるものではない。けれどもこの『春画先生』に出会ったいま、もう以前の自分には戻ることができそうにない。
■公開情報
『春画先生』
10月13日(金)全国ロードショー
原作・監督・脚本:塩田明彦
出演:内野聖陽、北香那、柄本佑、白川和子、安達祐実
製作:中西一雄、小林敏之、小西啓介
音楽:ゲイリー芦屋
撮影:芦澤明子(JSC)
企画・製作幹事:カルチュア・エンタテインメント
制作プロダクション:オフィス・シロウズ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2023/日本/カラー/ビスタ/5.1ch/114分/R15+
©︎2023「春画先生」製作委員会
公式サイト:https://happinet-phantom.com/shunga-movie/
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