『らんまん』の根幹にある“名前を知る”という大テーマ 出色の出来だった「高知編」
「道がのうても進むがじゃ。わしらが道を作りますき」
『らんまん』(NHK総合)「高知編」が、第5週「キツネノカミソリ」をもって幕を閉じた。万太郎(神木隆之介)は、日本ではまだ始まったばかりの「植物学」を極めるために、竹雄(志尊淳)とともに東京へ出る。
朝ドラにおける「故郷編」は、主人公のバックグラウンドと人格形成の過程を描く重要なターンだ。『らんまん』もそのフォーマットを踏襲しているが、本作の「高知編」は出色の出来だったといえる。万太郎が何ゆえ、そんなにも草花に惹かれ、焦がれ、前人未到の学問「植物学」に人生を賭けたいのか。その「強烈な動機」が実に丹念に描かれ、まっすぐに伝わってきた。
朝ドラの核心“見えんでもおる”が貫かれていた『らんまん』 脚本・長田育恵の魅力
「さあ望みや! おまんは何がしたいがぜ?」 「わしは……。わしは、この花の名前が知りたい!」 天狗こと坂本龍馬(ディーン・…
第1週について書いた拙稿(朝ドラの核心“見えんでもおる”が貫かれていた『らんまん』 脚本・長田育恵の魅力)で筆者は、「『らんまん』は、「見えんでもおる」人、もの、ことを、大事に扱うドラマ」と書いた。高知・佐川で培い、身につけた「目には見えないけれど、確かにあるもの」を、万太郎はこの先もずっと大切に抱いて、前に進むだろう。
病弱で早逝した母・ヒサ(広末涼子)から万太郎は、自分には命を謳歌し、幸せになる権利があるのだと教えられた。森で出会った天狗こと坂本龍馬(ディーン・フジオカ)からは、誰しも自分の務めを持って生まれてくることを教わった。祖母・タキ(松坂慶子)から愛され守られて、好きなだけ本を読み、勉学に勤しむことができた。幼少期はわがままだった万太郎だが、タキや峰屋本家の人々が持つ「人を敬い、尊重する心」に包まれるうちに、自然とそれが身についた。
名教館の恩師・池田蘭光(寺脇康文)からは学ぶことの喜びと、世界の広さ、草花に名前があることを教えらえた。東京で詣でた「心の師」野田基善(田辺誠一)から、万太郎が追い求めてきた学問には「植物学」という名前があることを知らされた。自由民権運動の雄豪・早川逸馬(宮野真守)とジョン・万次郎こと中濱万次郎(宇崎竜童)からは、「自由」の尊さと、それに伴う苦しみを学んだ。
こうして万太郎は、生まれてから出会った様々な人たちから、たくさんの栄養を与えられ、土に根を張り、将来「日本の植物学の父」となって大輪の花を咲かせるための“芽”を出したところだ。
そして、万太郎とともに「3人でひとっかたまり」で育った姉・綾(佐久間由衣)と、万太郎のお目付け役・竹雄も、悩んだ末に自分だけの“芽”を出した。
何よりも酒造りが好きな綾を、「女は汚れているから酒蔵に入ってはならない」という因習が阻む。本作は、近年の東京制作の朝ドラには珍しく、こうした「昔、確かにあったもの」を“漂白”せず、逃げずに描いた。それでも綾は「女性の蔵元」として、酒造りの道に邁進することを決める。
どんな仕事、どんな分野にも、こうした「その道で初めての“芽”」を育ててくれた先達の存在があるから、今日の私たちがある。だからこそ、それがたとえ負の遺産であろうとも、あったことを「なかったこと」にしてはならない。こうした、時の流れにより「見えんでもおる」となったものの存在も、このドラマは忘れない。それは先達への敬意であり、今日を生きる私たちが重く受け止めるべきメッセージだ。