TBS 新井順子、カンテレ 佐野亜裕美など、脚本家や役者を輝かせる各局プロデューサーの存在
数字・評価共に、やや不作の印象があった春ドラマ。いまだにそうした不調の結果を主演俳優に求める記事も量産される一方で、ドラマ好きの人々の間では「あの作品じゃ無理もない」「あの脚本では誰が演じても難しい」と、役者に対して同情的な見方をすることが、もはや定着している。
その一方で、今は多数のWeb記事やSNSなどで情報が溢れているため、ドラマは「キャスティングよりも脚本家で選ぶ」という人も増え、チグハグな展開や消化不良の結末などを含め、「脚本家=戦犯」とする見方が増えているのも事実。
しかし、作品が不評だった場合、脚本家が全て悪く、好評だった場合、全て脚本家と役者の功績なのか。そこに抜け落ちているのが、「プロデューサー」の存在だ。
名脚本家の才能を引き出し、輝かせてきた名プロデューサー
かつて名脚本家には、その才能を存分に引き出し、輝かせる名プロデューサーがいた。例えば、1970~80年代なら、『寺内貫太郎一家』(TBS系)で向田邦子と組んだ久世光彦や、『肝っ玉かあさん』(TBS系)、『ありがとう』シリーズ(TBS系)で平岩弓枝と、『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ(TBS系)や『愛と死をみつめて』(TBS系)で橋田壽賀子と組んだ石井ふく子。また、山田太一の『岸辺のアルバム』(TBS系)で製作総指揮を、『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(TBS系)でプロデューサーを務めた大山勝美、倉本聰の『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)の中村敏夫などだ。
特にプロデューサーの手腕が非常にわかりやすい例として、情念を描くことの多い向田邦子作品の中で『寺内貫太郎一家』は、シリアスな要素が多いにもかかわらず、際立ってコメディタッチのホームドラマに仕上がっているところに久世光彦色を見ることができる。
また、駆け出しの頃からタッグを組んで天才脚本家を育てた例としては、三谷幸喜の『古畑任三郎』シリーズ(フジテレビ系)や『王様のレストラン』(フジテレビ系)などを「企画」という立場で手掛けた石原隆、『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)から『俺の家の話』(TBS系)に至るまで宮藤官九郎ドラマの大半を手掛けた磯山晶などが挙げられる。
さらに、「ドラマ黄金期」と言われた1990年代には、フジテレビで『あすなろ白書』、『ロングバケーション』、『踊る大捜査線』、『ビーチボーイズ』などを手掛けた亀山千広、同じくフジテレビで『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、『ひとつ屋根の下』などを手掛けた大多亮、『ずっとあなたが好きだった』、『愛していると言ってくれ』などを手掛けたTBSの貴島誠一郎らが、作品も主題歌も、片っ端からヒットさせていく。「社会現象」となるブームもドラマから度々起こっていた。
こうした時代に比べ、いつの間にかプロデューサーの存在感が希薄になっていると感じている人もいるかもしれない。その最大の原因は、一部の大手芸能事務所などの力が強くなりすぎて、テレビ局側が視聴率稼ぎのためにキャスティング主導で作品が作られるようになったことだろう。これにより、役者あるいはアイドル・タレントのスター性・キャラクター性を最大限に生かした「当て書き」の妙作も多数生まれたが、十分に企画を練られず、主演の人気頼みとなった作品も多く、プロデューサーの権限も弱くなっていった。
しかし、「テレビ離れ」が進む中、テレビドラマを観る人自体が減った今、その分キャスト云々ばかりでなく、ドラマを作品としてしっかり観る割合が増えている。それが近年では、脚本家に対する関心度・注目度につながっているわけだが、脚本を誰にオファーするかを含め、全ての作品の舵取りをしているのがプロデューサーであることは言うまでもない。