『天幕のジャードゥーガル』なぜ歴史ファンを唸らせる? 実在した“魔女”を主人公に描かれる、容赦のない復讐劇


多くの人がそうだろうが、トマトスープというマンガ家の存在を知ったのは、2020年に刊行された『ダンピアのおいしい冒険』の第一巻によってだった。ネットで作品の紹介を見かけ、主人公がウィリアム・ダンピアだったので、あわてて購入した。歴史時代コミックが好きなので、時代も国も問わず、その手の作品は買うようにしているのである。ちなみにウィリアム・ダイピアは、17世紀のイギリス人。3度の世界周遊を成し遂げており、特に最初の航海の後に、手記『最新世界周航記』を刊行した。この本は岩波文庫で読むことができる。
しかし作者の絵柄には、ちょっと驚いた。等身の低いキャラクターと、シンプルな線が、昔のマンガを想起させたのである。だが物語の内容は、史実を踏まえながら、登場人物を躍動させた、優れたものであった。うおっ、これは凄いマンガ家が現れたと喜んでいたら、『天幕のジャードゥーガル』で、さらに大喜びすることになった。

『天幕のジャードゥーガル』は、2026年7月現在も連載中であり、単行本は6巻まで刊行されている。テレビアニメの放送も七月から始まったが、衝撃的なほど出来がいい。総監督が山田尚子で、制作がサイエンスSARUなので放送前から期待が高まっていたが、それを上回る素晴らしさだった。アニメで初めてこの作品に注目した人も少なくないと思うが、原作も素晴らしいので、ぜひとも手に取ってほしいのである。
物語は13世紀のモンゴル帝国が主な舞台になっている。しかし導入部の舞台は、イラン東部のトゥースという都市だ。学者の家系の家に買われた奴隷の少女のシタラは、優しい奥様のファーティマや、学問に熱心なムハマンドぼっちゃんたちに可愛がられながら、さまざまな知識を学ぶ。一家に、知を求めることはイスラム教徒の務めという考えがあるからだ。ムハマンドは学問を深めるために旅立ち、シタラはトゥースで成長していく。だがモンゴル帝国の襲来により、トゥースは破壊される。チンギス・カンの四男のトルイは、第一皇后のソルコクタニ・ベキが欲しがった、エウクレイデスの「原論」という本を奪う。それに抗い斬られそうになったシタラを庇って、ファーティマが死亡。捕虜となり帝国に連れていかれる途中に、一緒に仲良く働いていた奴隷たちも、絶望して次々に死んでいく。帝国への復讐を誓うシタラは、自らファーティマと名乗り、帝国の後宮で暗躍するのだった(以後、シタラのことはファーティマと表記する)。
本作の主人公のファーティマは、実在の人物である。しかし日本人にとっては、ダンピア以上に馴染みがない。よくこんな人物を取り上げたものだ。もちろん作者の創作も入っているのだが、史実を丹念に踏まえており、時代考証もしっかりしている。現代の言葉を使ったセリフもあるが、これは読みやすさを優先してのことだろう。拡張政策を続けるダイナミックなモンゴルの歴史の陰で、殺され、支配されていく多くの民族。話が進むにつれて、ファーティマ以外にも、モンゴルに恨みを抱くたくさんの人々がいることが露わになっていく。その中でもとくに重要なのが、モンゴル帝国の第二代皇帝となるオゴタイの第六妃のドレゲネだ。彼女がなぜモンゴル帝国を憎んでいるかは第2巻で詳しく描かれているので、そちらを読んでもらいたい。曲折を経て手を組んだファーティマとドレゲネは、モンゴル帝国を混乱させていく。ちなみにタイトルにある〝ジャードゥーガル〟は、ペルシア語で魔女を意味するとのこと。ファーティマとドレゲネこそが、モンゴル帝国にとっての魔女なのだ。
武力を持たないファーティマが、ただ己の「知」を頼りに、巨大な帝国に立ち向かう姿は、面白くも痛々しい。彼女は長いモンゴル帝国の暮らしで、文化の違いを感じることもあれば、同じ部分を発見することもある。ファーティマを通じた、文化の比較や衝突は、この作品の興味深い読みどころだ。またファーティマは、何度も迷いながら、心に中にある復讐の炎に薪をくべ続ける。復讐のために被害者から加害者へと変貌することも厭わない。可愛い絵柄なのに容赦のないストーリーを通じて描き出される、主人公の人生から目が離せないのだ。
さらに、ファーティマやドレゲネだけでなく、ソルコクタニ・ベキや、オゴタイの第一皇后のボラクチンを始めとする女性たちも、人間臭い魅力的に溢れている。チンギス·ハンの息子たちや、その周囲の男性陣も、それぞれの野望や思惑を抱いて生きている。単なる善人も悪人もいない。相手によって人は、見せる顔が変わるのである。それを巧みに描いているからこそ、人物とストーリーに深みが生まれているのである。だから、歴史の流れも、ファーティマを筆頭とする主要な実在人物の最期を知っていても、ページを繰る手が止まらないのだ。トマトスープが広げてみせた歴史絵巻を、とことん楽しみたいのである。






















