杉江松恋の新鋭作家ハンティング 水沢なお『こんこん』が描く、繊細な心の物語

朝露に濡れた蜘蛛の巣、雪の結晶、蝶の翅。
そして人の心。
いずれも乱暴に触れたら壊れてしまうものだ。一度壊れたものは元に戻らない。
水沢なお『こんこん』(河出書房新社)は、第25回中原中也賞を受賞した『美しいからだよ』(思潮社)他の詩集や短篇集『うみみたいに』(河出書房新社)などの著書がある作者による、繊細な心の物語だ。造本が凝っていて、白いカバーに窓が空いており、表紙の絵が透けて見える。右手で持った結晶の絵である。結晶の中にはコートを着た女性らしい人影と、その前に立つぬいぐるみのような動物の姿が見える。
この動物が、表題にあるこんこんだ。
〈わたし〉こと、語り手の青井まどは、静岡県で実家暮らしをしている。ウォーターサーバーの店に勤めているのだが、なかなか販売はできず、通りすがりの客には無視されるばかりで心は疲れる一方だ。その彼女の生き甲斐が、こんこんなのである。
1989年に、神奈川県春野町にスプリングパークができた。和風コンセプトを基本としてリニューアルされた後で急成長し、現在は国内のテーマパークでトップスリーに数えられるほどになっている。園内にある竜宮城の周囲では、パレードが毎日行われる。スプリングパークのオリジナルキャラクターたちはそこにも参加するし、ゲートで出迎えたり、決まった時間に園内に現れたりして入場者を喜ばせるのである。その一人が、こんこんだ。
まどは週に1回、静岡から春野町までこんこんに会いに行く。仕事が終わったあとで車を飛ばし、スプリングパークの駐車場で仮眠する。朝いちばんに入場し、こんこんに会える時間をひたすら待ち続ける。
物語の序盤に、こんこんが出てくる。雪のように真っ白なきつねのきぐるみである。それを見た瞬間に、まどの口から思わず声が漏れる。
「やばい。塩こんこんだ」
きぐるみの中にいる人をまどは見分けることができる。塩こんこんは、こどもや新規客にはとてもやさしいのだが、まどのようなキャラオタクには冷たい、塩対応をとるのである。
まどが求めているのは結晶だ。わずかな身長の違いや体の動きから、結晶が入っているときのこんこんは見分けられる。その結晶のこんこんと向き合っているときの「まっすぐに透き通った、溶け合っているとしか言いようのない、奇妙な感覚」を愛しているのである。
レイニーパークの、こんこんの泉に家で綺麗に磨いてきた五百円玉を落として「こんこんとずっといっしょにいられますように」と祈り、こんこん茶屋に入ってこんこんみたらし団子を食べ、こんこんジェットコースターに乗る。やがてきらびやかなパレードが始まり、終わると閉園時間が来てしまう。車を飛ばせば深夜1時には静岡の自宅に着く。眠って、起きればまたウォーターサーバーを売る仕事だ。
こんこんという愛する対象がいるまどは、決して孤独ではない。だが、さみしくはある。一人でいるのがさみしいわけではない。自分の居場所がスプリングパークにないということがさみしいのだ。スプリングパークでこんこんに会っている瞬間にだけ、まどは幸福になることができる。
アイドルへの支援をすることでしか生の実感を得られない主人公を描いた、宇佐見りんの第164回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』(河出文庫)を本作から連想する読者も多いのではないかと思う。『推し、燃ゆ』の〈あたし〉から上野真幸への視線は一方向で、自分にそれが向くことは拒絶している。アイドルを推すという行為そのものが自己存在になるほどに没入することで、それ以外の世界との接触を遮蔽しているのである。
同じようにまども、こんこんに自身のすべてを振り向けているように見える。しかし彼女とこんこんのありようには、『推し、燃ゆ』とは違ったものが見える。まどがこんこんを愛しているのは、かわいいきぐるみだからだ。生々しい肉体のない、やわらかいけど体温のないきぐるみとまどは溶け合いたいと感じ、こんなことを夢想する。
——暗闇のなか、こんこんと、地下水の流れる音が聞こえる。冷たい水が湧いている。それは地表に飛び出た瞬間に凍てついて、やわらかいきつねのかたちになる。抱きしめようとするとき、わたしは、まるでためらいがなくて、この皮膚や、髪の毛がすべてはりついて、剥がれてしまってもよいとさえ思う。きつねはいつのまにか、私と同じくらいのおおきさの、ひとの形をした氷へと変容する。
この同一化への願いは何だろうか。まどはかつて、職場で知り合った葉村さんという男性と交際していたことがあった。葉村さんが誰かと結婚したと聞かされて、まどはこう思う。
——自分はどこかで、自分のことを、やわらかくまんまるい生命体だと思っていた。葉村さんと出会って、それはただの幻想だとわかった。ちゃん付けで呼ばれた瞬間、手を繋がれた瞬間、体が引き裂かれていくみたいだった。
まどは、こんこんとそうであればいいと望むような、ひとつに溶けあえる相手を探している。マッチングアプリで知り合った、ひらくという男性と付き合ってみると決めたのは、彼の身長がちょうど結晶ぐらいだったからだ。
ひらくは男性が女性に好意を抱いていることを知らせるためのやさしい顔と、自分のやさしさを示すためのやさしい声でまどに接する。まどは「やさしそうな顔で、やさしくないことに気がつかない」と考える。
幾度目からのデートで、ひらくはまどに「ひとつになりたい」と言うが、それには「笑わそうとしてる? なに、ひとつになるって。なんでひとつなの? どこが?」と取り合わない。ひらくの言う「ひとつになる」はまどの「溶け合いたい」とはまったく違うものなのだ。
性愛を介して他者とつながることをまどは欲していない。そうではなく、ただ誰かとつながっていたいだけなのだ。それこそ溶け合ってしまうほどに。それができないこと、自分が求めるような愛の形が地上には存在しないように見えることがまどを苦しめるのだ。
そしてまた、まどはスプリングパークへ向かう。
あたりまえの形で人を愛することができないから、そんな屈折した行為をするのだ、と言う人がたくさんいる。屈折した行為、の部分をさまざまな用語に置き換えることができる。そういう、自分以外の他者を自分の存在で塗り替えてしまえる人には想像もつかない物語だ。星の数ほど存在する自分は、本来とても特別で孤独である。同じような価値観を持つ誰かと出会えることは奇跡なのであり、自分の世界の中で孤立しているのが本来の姿である。性愛は一つの手段ではあるが、それがすべてを解決できるわけではない。触れ合う、という行為の熱量に耐えられないものは、この地上にも多数存在するのだ。蜘蛛の巣、雪の結晶、蝶の翅。そして人の心。
ふとしたはずみで世界を壊してしまうことを畏れる人、他者が自分と同じだとは決して考えられない人、心の中にある大事なものに適切な名前をまだ与えられていない人に本書をお薦めする。その手にそっと手渡したい。























