杉江松恋×川出正樹×酒井貞道、2025年度 翻訳ミステリーベスト10選定会議 1位となったのは?

国内版に続き、こちらも恒例となったリアルサウンド認定翻訳ミステリーベスト10です。投票ではなく、川出正樹・杉江松恋の書評家2人が全作を読んだ上で議論し、順位を決定する唯一のミステリー・ランキング。2023年度についても2025年12月26日に選定会議が開かれ、以下の11作が最終候補として挙げられました(奥付2024年11月1日~2025年10月31日)。この中から議論により1位の作品が選ばれました。選考の模様をお届けします。
『アルパートンの天使たち』ジャニス・ハレット/山田蘭訳(集英社文庫)
『小路の奥の死』エリー・グリフィス/上條ひろみ訳(創元推理文庫)
『銃と助手席の歌』エマ・スタイルズ/圷香織訳(創元推理文庫)
『真犯人はこの列車のなかにいる』ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳(ハーパーBOOKS)
『世界の終わりの最後の殺人』スチュアート・タートン/三角和代訳(文藝春秋)
『罪の水際』ウィリアム・ショー/玉木亨訳(新潮文庫)
『デスチェアの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『眠れるアンナ・O』マシュー・ブレイク/池田真紀子訳(新潮文庫)
『バベル オクスフォード翻訳家革命秘史』R・F・クァン/古沢嘉通訳(東京創元社)
『反転領域』アレステア・レナルズ/中原尚哉訳(創元SF文庫)
『秘儀』マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳(新潮文庫)
参考:<a href="https://realsound.jp/book/2026/02/post-2291251.html">杉江松恋×千街晶之×若林踏、2025年度 国内ミステリーベスト10選定会議</a>
『小路の奥の死』を基準点に並びを考える
杉江松恋(以下、杉江):国内版も同じやり方をしたんですけど、まずこの11作の中で基準点となる作品を決めて、それを5位に置いてみると以降の議論がしやすいと思うんです。とりあえず、英国推理小説の伝統形ということでエリー・グリフィス『小路の奥の死』をその基準点とします。たまたまウィリアム・ショー『罪の水際』がその『小路の奥の死』の上に置かれていますが、並びはこれでいいでしょうか。
川出正樹(以下、川出):いいと思います。順番としては『罪の水際』の方が上。
杉江:わかりました。もう一作英国推理小説にはM・W・クレイヴン『デスチェアの殺人』があり、イギリスではなくてオーストラリアですが謎解き趣味の小説ということでベンジャミン・スティーヴンソン『真犯人はこの列車のなかにいる』もありますね。ただ『真犯人はこの列車のなかにいる』と、ジャニス・ハレット『アルパートンの天使たち』は技巧的には飛び道具的なことをしています。この2作を範疇で括るとすると、並びはどうでしょうか。
酒井貞道(以下、酒井):そう言われると悩みますね。確かに叙述の技巧としては『アルパートンの天使たち』のほうが難しいことをしていますけど、ミステリーとしての技巧は『真犯人はこの列車のなかにいる』の方が上だと思うんですよ。
川出:そうですね。最終的な順位は別として、ミステリー・ベストテンという文脈の中で語るなら、この並びでいいんじゃないかなあ。
杉江:一応両方犯人当て小説ですよね。視点を変えると『真犯人はこの列車のなかにいる』はクローズドサークルものの変型ですが、スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』もそうですよね。この2作の並びはいかがですか。
川出:その2作だと『世界の終わりの最後の殺人』が上じゃないかと思います。
杉江:この作品は世界が破滅するまでに犯人を探しださなければいけないという、エラリー・クイーン『シャム双子の謎』的設定なのですが、同時に100人以上の住民から犯人を絞り込んでいくという物語ですから同じ作家の『Zの悲劇』を思わせる推理小説ですよね。『真犯人はこの列車のなかにいる』はそれに比べるとオーソドックスな、展開された人間ドラマを元に関係者尋問によって犯人を絞り込んでいく、アガサ・クリスティー型推理小説です。
酒井:語弊を恐れずに言えば、『真犯人はこの列車のなかにいる』は変わったことをやる、それ自体が目的になっているのに対して、『世界の終わりの最後の殺人』は小説全体ですごいことをやろうとしていて、そのための奇手だと思うんですよね。
杉江:わかりました。では暫定的に『世界の終わりの最後の殺人』を7位、『真犯人はこの列車のなかにいる』を8位に置きます。同じく犯人当て小説である『アルパートンの天使たち』が今9位ですが、この並びでいいですか。
酒井:『アルパートンの天使たち』はSNSの会話を並べて本文を構成していくことで、普通の描写だと隠せないものを隠しているんですよね。その点がとても上手くて、それが物語の展開にも貢献していますし、『真犯人はこの列車のなかにいる』よりも上でいいと思います。
川出:そうですね。『真犯人はこの列車のなかにいる』は黄金時代と言われた1920~40年代の技巧を現代的にリブートして完成形を目指していくような作品だと思うんです。より挑戦的なことをしているのは『アルパートンの天使たち』で、若干の掴みづらさはあるものの、評価していいのではないかと思いますね。
イレギュラーなものをどこまで上げるか
杉江:わかりました。では入れ替えてこれを8位、『真犯人はこの列車のなかにいる』を9位とします。この先順位は変わりますが、3作の並びはこれで固定しましょう。今暫定3~5位に置いてある『罪の水際』『デスチェアの殺人』『小路の奥の死』が今の3作よりも上ということも固定でいいですね。これで6作の並びが決定しました。ちょっと観点を変えます。今5位には謎解き小説の基本形である『小路の奥の死』があり、たまたまですが6位には若い女性2人が身を守るために旅をするという、正統的な冒険小説のエマ・スタイルズ『銃と助手席の旅』が入っています。いわばミステリーの定型というべき2作ですが、それとはまったく違う、イレギュラーなものをどこまで上げるかを検討しませんか。具体的に言うとマシュー・ブレイク『眠れるアンナ・O』です。この作品、ごく短い断章が積み重なる形で書かれていて、素材をどさっと見せられている感じがある。やりたいことはわかるんですけど、もう少しわかりやすく書くことは可能だったんじゃないかと思って、私はそれほど高い点をつけられなかったんです。
川出:うん、『眠れるアンナ・O』はこのまま10位でいいんじゃないですかね。
杉江:では別の話を。今回は純ミステリーではない作品も入っています。マリアーナ・エンリケス『秘儀』とR・F・クァン『バベル』なんですけど、川出さんはこの2作だったらどちらを上にしますか。
川出:それはもうはっきりしていて『バベル』です。というのは『秘儀』はまったく私にはわからなかった。お二人は点を入れられているので悪いんですけど、この小説は評価できなかった。というのもたぶん、私は怪奇小説や幻想小説に対するアンテナが無いからなんですよ。たとえば第一部でやっているコーマック・マッカーシー『ザ・ロード』を思わせる展開も、作者がマッカーシーであればとても刺さる物語になるんですけど、この少しねっとりとした文章で書かれると魅力がすべて削ぎ落されているとさえ感じる。だからnot for meで、下巻が犯罪小説的展開になるというのも確かにその通りですごい小説だと思いますが、ミステリーのベスト10に入れる気にはなれないですね。
杉江:なるほど。
川出:一方『バベル』はやはりエンターテインメントですよね。特に上巻の終わりで起きるあること以降、下巻になってからの展開が怒濤のおもしろさです。上巻の輝くような青春の日々が、人が変容していくことによってどんどん辛いものになっていく。ミステリーや冒険小説でこれまでも繰り返し書かれてきた物語パターンなんだけど、血沸き肉躍る、読んでいて楽しくて仕方ない一冊でした。
杉江:順位にはこだわらないので、とりあえず『秘儀』は次点ということにしましょう。では難題になるんですけど、同じ冒険小説の構造を持つということでアリステア・レナルズ『反転領域』と『バベル』ではいかがでしょうか。これをぜひ頑張って比べてください(笑)。ネタばらしになってしまうので詳しくは言えないけど『反転領域』は生存を賭けた闘いの話でしょう。『バベル』はいわば謀略小説ですよね。どちらも冒険小説が題材としてきたものになるわけですが。
川出:(笑)。私はどちらかと言われれば『反転領域』ですね。
酒井:これは比べられないですよね。『バベル』と『反転領域』では、冒険小説的と言ってもまったく違います。『反転領域』をミステリーベストテンの中に入れるとしたら、私なら「なんじゃこれは」枠に含めます。だから比べるとしたらむしろ『眠れるアンナ・O』ではないかと思うんですよ。
杉江:これ、未読の方にはまったくわからないと思いますが、酒井さんは今とてもいいことを言いましたよ。この二冊、並べて読むとあるおもしろい発見があるんですよね。わかりました。では10位の『眠れるアンナ・O』と並べるために一旦『反転領域』を隣の9位まで下げてみましょうか。これは議論のための作業で、これで順位固定ではないです。
酒井:だって『反転領域』はびっくりしますからね。この候補作の中でもびっくり度で言ったら1位を狙えるぐらいでしょう。
杉江:では、こうしましょう。さっき基準点と言った『小路の奥の死』が現在4位です。この基準点よりも上の順位にしたいという作品はいくつありますか。
酒井:暫定5位から9位の『反転領域』までのすべてです。
杉江:いいです。じゃあ『小路の奥の死』を9位まで下げて、他を繰り上げます。
酒井:ちょっと視点を変えますが、今暫定1位に『バベル』、4位に『銃と助手席の歌』がありますが、同じ青春小説の要素を持つということでこれは比べられそうな気がします。
川出:そうですね。私はその2作だったら『銃と助手席の歌』です。
杉江:『バベル』を4位まで下げましょう。『銃と助手席の歌』はその結果暫定3位です。1位にはウィリアム・ショー『罪の水際』が入りました。さっき、『罪の水際』『デスチェアの殺人』『小路の奥の死』がグループ、『世界の終わりの最後の殺人』『アルパートンの天使たち』『真犯人はこの列車のなかにいる』をもう1つのグループと定義しました。前者をA、後者をBとします。グループ内はそれでいいとして、ABグループを重ねた上での順位はどうなるでしょうか。『世界の終わりの最後の殺人』が『罪の水際』の上に来るということはありますか。
川出:それはないですね。『罪の水際』の方が私は上です。
杉江:しかし『罪の水際』の下、『デスチェアの殺人』の上という間にはBグループが入るかもしれない。では、今3位になっている『銃と助手席の歌』と『バベル』の間に繰り上げたい作品はどれですか。
酒井:『世界の終わりの最後の殺人』と『アルパートンの天使たち』ですね。『真犯人はこの列車のなかにいる』は『バベル』を超えるほどではないと思います。
杉江:では4位に『世界の終わりの最後の殺人』、5位に『アルパートンの天使たち』、6位に『バベル』ですね。ここで提案なんですけど、さっき8位になった『反転領域』は今7位の『真犯人はこの列車のなかにいる』よりも上でいいと思うんですよ。
酒井:私も同感です。
杉江:では並べ替えます。そうすると今6位『バベル』7位『反転領域』です。さっき単純に冒険小説としてどうかということを見たときには比べられないという結論でしたが、こうやって他の小説との並びを見た場合はどうでしょうか。どちらを上にしたいですか。
酒井:私は『反転領域』です。
杉江:では、6位に。そうなると5位の『アルパートンの天使たち』との対決ということになりますが、そこはどうでしょうか。
酒井:うーん、5位までには結構な壁があるような。『アルパートンの天使たち』も小説として結構攻めたことをやっているわけで、『反転領域』と比べても勝てる気はします。
川出:いや、私は『反転領域』を上に評価しますね。
酒井:意見が割れましたね。ちょっと別のことを考えましょうか。今2位に『デスチェアの殺人』がありますが、これは高すぎるような気もするんです。
杉江:だとしたらさっきのグループでいえば『デスチェアの殺人』はAだから、Bグループでいちばん上、4位に入っている『世界の終わりの最後の殺人』との対決をしてみましょう。どっちを取りますか。『デスチェアの殺人』は章が終わるごとに新しい展開になるという数珠つなぎの技法で、読んでいる間はすごく楽しくなります。ただ小説としてやっていることの独自性は『世界の終わりの最後の殺人』の方が上でしょう。こっちが上かな。
川出:でしょう。『世界の終わりの最後の殺人』が2位ということか。
杉江:できれば3位の『銃と助手席の歌』はこのままにしていただきたいです。なにしろ、唯一のストレートな犯罪小説なので(笑)。
川出:そうですね。そう考えるとストレートなサスペンスも今回は10位の『眠れるアンナ・O』だけか。
杉江:変化球、技巧を尽くした作品が多かったからでしょうね。もう一つ、今4位になった『デスチェアの殺人』を5位の『アルパートンの天使たち』が抜けるかという問題ですが。『デスチェアの殺人』は、さっきも言ったように展開の楽しさがあるので、2冊を並べてどちらを初心者に薦めるかと言ったら、こっちだと思います。シリーズ6作目だけど、ここから読んで問題ないわけだし。
酒井:『デスチェアの殺人』からシリーズを読み始めて問題がないかどうかには疑問がありますが(笑)、その並びは変えなくていいと思います。あと、さっき棚上げになっていた『反転領域』と『アルパートンの天使たち』の順位ですけど、こうして見ると『反転領域』を上にしてもいいような気がしてきました。『アルパートンの天使たち』もそこそこ挑戦的なことはやっているんですけど。
杉江:では『反転領域』が5位です。ここまで実は1位になっている『罪の水際』については議論されていません。予選の間に意見は出尽くした感はありますが、改めていかがでしょうか。
酒井:私はありとあらゆるランキングで『罪の水際』を1位にしているので、もちろん異論はまったくないです。
杉江:2位になっている『世界の終わりと最後の殺人』は特殊技巧の塊のような小説ですが、『罪の水際』は逆に素朴と言ってもいいほどの正攻法なんですよね。そういう作品が1位になることには意味があるような気がしてきました。
川出:これだけ候補作に曲球が多い中で、いちばん特別なことをしていないと思います。
杉江:私たちが昔から読んできた英国警察小説の伝統を守った小説ですよね。『小路の奥の死』のグリフィス、今回は候補にならなかったアン・クリーヴスなどの正統派英国ミステリーを代表するということで今回は『罪の水際』を1位としたいと思います。
■順位
1位『罪の水際』ウィリアム・ショー/玉木亨訳(新潮文庫)
2位『世界の終わりの最後の殺人』スチュアート・タートン/三角和代訳(文藝春秋)
3位『銃と助手席の歌』エマ・スタイルズ/圷香織訳(創元推理文庫)
4位『デスチェアの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
5位『反転領域』アレステア・レナルズ/中原尚哉訳(創元SF文庫)
6位『アルパートンの天使たち』ジャニス・ハレット/山田蘭訳(集英社文庫)
7位『バベル オクスフォード翻訳家革命秘史』R・F・クァン/古沢嘉通訳(東京創元社)
8位『真犯人はこの列車のなかにいる』ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳(ハーパーBOOKS)
9位『小路の奥の死』エリー・グリフィス/上條ひろみ訳(創元推理文庫)
10位『眠れるアンナ・O』マシュー・ブレイク/池田真紀子訳(新潮文庫)
次点『秘儀』マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳(新潮文庫)
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