本当におもしろいことは、「どうしようもない」ことの中にある 岸本佐知子『ひみつのしつもん』

岸本佐知子『ひみつのしつもん』を読む

これぞエッセイと思わせる岸本ワールド

岸本佐知子『ひみつのしつもん』(ちくま文庫)

 岸本佐知子さんは、いつも何かが気になっている。

 たとえば、名前とその人の関係。「たとえば桃井さんは、桃を食べ物として好きだろうか嫌いだろうか。桃を食べるたびに自分を食べているような気分になるだろうか。」『ひみつのしつもん』でその疑問を目にしたとき、本名に桃の字がつく私の心は沸き立った。食べ物としては好きだけど、昔は嫌いでした。まわりから共食いだと言われたり桃太郎にもじってからかわれたりすることが多かったから、存在自体を嫌悪したんだと思います。そのエピソードを、微に入り細に入り一生懸命、岸本さんに説明したくなる。なんなら、岸本さんのように文章にしたためて発表したい。できるような気がする。でも、いざ書き始めた文章はあまりに単調で、岸本さんのエッセイを読んだときのように躍動したものにならない。ああ、これがエッセイというものなのだと、岸本さんの文章を読んでいると思い知らされる。

本当におもしろいことは「どうしようもない」ことの中にある

 そもそも、ふつうの人は、岸本さんのようにそんなに小さなことを気にしていない。いや、確かに何億光年も遠くに離れている太陽がこんなにも暑いのはおかしくないかとか、どうして自分の言うことはみんな疑うのに同じことをほかの人が言うとあっさり信じるんだろうとか、一つひとつをとりあげれば「わかる」ことばかりだ。でも、たいていの人は「なんで」と思っても「まあそんなもんか」と流してしまう。いちいち考えていてもキリがないし、太陽の理屈がわかったところで、暑いことには変わりがない。答えが出たって、どうしようもない。でも……本当におもしろいことって、そういう「どうしようもない」ことの中にあるのかもしれない、と『ひみつのしつもん』を改めて読み返していて思った。

 本作で岸本さんが見出した人生の法則に「人とはウジの話でけっこう盛り上がれる」というものがある。人が死ぬとウジがわくのはなぜなのか。そのウジはいったいどこから来るのか。密室に一匹もハエがいないのに湧くということは……という話には意外と三割ぐらいの人が食いついてくる、というエピソードである。それと同じくらい「人とは足の垢の話でもけっこう盛り上がれる(家の外に出てもいないのになんで毎日ごっそり足の垢が出るの?)」というものもある。どちらも、大事なのは科学的に解明することではないのだ。ああでもない、こうでもない、と互いの考察を語り合いながら奇想天外な方向へ話が転がっていく……ように見えて意外と真実に近いところまでたどりつく。その過程を誰かとシェアするのがすこぶる楽しいのだということは、その法則にピンとこない人もわかるんじゃないだろうか。

 岸本さんのエッセイは、それなのだ。〈わたしは不治の病におかされている。(略)たとえば「カードの磁気が必ず弱い病。〉で始まるエピソードや、家の中の何ともマッチしないネジをふんづけて自分の部品なのではないかと思った話。その起承転結の巧みさもさることながら、ほんのちょっとかするくらいの「わかる!」にあふれたネタの数々に、読みながら、私たちは一緒におしゃべりしているような気持ちになってしまう。

岸本エッセイを読めば、日常はおかしみのあふれるものに

 実際は、多くの人が他人の力を借りてどうにかおもしろくふくらませられるようなことを、岸本さんは一人でやってしまうからすごいのだけど。悪の組織のことを一生懸命考えて、最終的に「善のカリスマが世界征服を目指して日々善を行う愛の集団・ほほえみ」なんておそろしげな存在を生み出してしまったエピソードには、誇張なしに、電車のなかで声をあげて笑ってしまった。

 多くの人が気にもしなかったようなことも、岸本さんは教えてくれる。たとえば最新アメリカ学生スラング辞典、これは翻訳家という仕事柄、岸本さんが持っているのは当然なのだけど、そのピックアップがおもしろい。吐く、ってこんなにもバリエーションあるのか。というか、こんなにもおしゃれな言い回しをたくさん生み出さなきゃいけないほどアメリカの学生は飲んで吐いているのか。日本だったら、なんだろう? キハヌジ語なんてものが存在するのか。聖人ってそんなにいるの? ていうか「ぬ」ってそう書くのが正式なの?

 発見と妄想・奇想がくみあわさって、数ページの文章が異空間のようにむくむくと膨らんでいく。そのおもしろさにはじめて読んだときは夢中になったけれど、改めて読み返してみると、そのタネとなる部分には意外なほどに共感があった。ということはつまり、私たちもちょっとしたことを「そういうもの」として流さず見つめるまなざしをもてば、自分だけの異空間を育てていけるのかもしれない。

 エッセイを通じて、岸本さんの頭のなかにちょっとだけお邪魔することで、私たちの日常も、不可思議でおかしみのあふれるものに変えていけるのだ。

■書誌情報
『ひみつのしつもん』
著者:岸本佐知子
価格:792円
発売日:2023年11月13日
出版社:筑摩書房
レーベル:ちくま文庫

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