細田守監督の挑戦とは何だったのか? 『スタジオ地図15周年『果てしなきスカーレット』で挑む世界』から読み解く

細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』。公開直後からSNSを中心に評価は真っ二つに割れている。「家族の絆」や「インターネット上の連帯」といった従来のポジティブなテーマを期待した観客からは、本作が内包する暗く、重層的なテーマに戸惑う声も少なくない。
しかし本稿では、そうした評価や感想からはいったん距離を置く。代わりに、公開と同時期に刊行された書籍『スタジオ地図15周年『果てしなきスカーレット』で挑む世界』(日経BP、以下『スタジオ地図15周年~』)を手がかりとして、細田守あるいは彼を中心においた「スタジオ地図」が『スカーレット』を用いて何をしようとしたのか、その狙いと変革の意志を紐解いてみたい。
15周年を節目とした自己点検と再定義

『スタジオ地図15周年~』はタイトルからも分かるように、細田守ではなく、彼が所属するアニメーション制作スタジオ「スタジオ地図」に焦点を当てた書籍である。章立てを見ると、スタジオ地図がこの15年で積み上げてきた制作手法、チーム体制、作品ごとの挑戦が整理され、さらに『スカーレット』では何を新たに試みたのかが詳細に語られる構成になっている。つまり『スカーレット』を個別の作品として評価/分析するのではなく、あくまでもスタジオ地図の歩みの中でどう意味付けされた作品なのかをたどる書籍だ。
スタジオ地図はこれまで家族、青年期、テクノロジーといった現代的な主題を扱い、日本社会と地続きにある世界観に基づいて作品を発表してきた。そして日本人にとって身近で情緒あふれるその世界を、手描きらしい優しさが特徴となるセルルックな画面で描く点に、スタジオとしての特徴がある。
ところが、『スカーレット』ではそのスタイルを大きく変更した。『スタジオ地図15周年~』ではこの変化を「全てが新しいステージに」という見出しを付けて紹介しているが、これは細田作品の方向性の変化であると同時に、スタジオ地図の役割を再定義する行為でもある。書籍の中盤で特に目を引くのは制作体制に関する記述だ。『スカーレット』はプロジェクトが長期に及んだだけではなく、背景美術、キャラクター表現、音響設計といった複数領域において、従来作以上のリソースが投じられたことが明かされている。
こうした体制の変化は、単なる事業拡大を意味するのではない。『スタジオ地図15周年~』が強調するのは、新しい挑戦を行うための土台づくりとしての意味合いである。技術基盤を強化し、制作の柔軟性と再現性を高めることによって細田守が描きたい物語を忠実に描き出すための環境を整える。つまり、この書籍には作品の挑戦を支える「企業としてのスタジオ地図」を作り直す工程と挑戦の様子がありありと書き込まれているのだ。
では、『スカーレット』での挑戦とは具体的にどのようなものなのか?
題材転換が意味する「距離」
『スカーレット』は、中世のデンマークと生と死のまじりあう場所を舞台として、シェイクスピアの古典『ハムレット』をベースにした復讐劇を描く物語だ。<いくつもの果てしなき挑戦によって、映像の印象がこれまでとがらりと変わった細田守監督の最新作>と紹介されるように、「生と死」「復讐」といった言葉が持つ不穏さはこれまでの細田作品からかなりの距離を感じさせる。
ここで注目したいのは、この「距離感」自体が作品としてもスタジオ地図の戦略としても重要な意味を持つ点だ。細田自身が<生と死をテーマにしたのは、やはり世の中を不安に思っている人が多いから。(中略)まさに今、世界がどういう方向に向かっていくのか誰にも分からない。特に若い人たちは皆不安を感じている>と語っているが、『スカーレット』では、先の見えなさや不安を表現するためにあえて現代から時間的かつ地理的な隔たりを設けることで、観客が物語のテーマにまっすぐ向き合う余白を作ることが可能になる。これは文学や演劇でもよく用いられる手法で、題材と観客との距離を利用して、感情の純度や主題性を際立たせる狙いがある。
また、『ハムレット』をベースにしたことからは日本国外へリーチしやすい物語にする意図も読み取れる。2018年に公開された『未来のミライ』がアカデミー賞にノミネートされて以降、細田作品は国際的な評価を獲得してきたが、『スカーレット』はその可能性を広げようとした作品なのだ。スタジオ地図が世界市場へ新たな足場を築こうとしていることは、スタジオ地図代表取締役兼プロデューサーの齋藤優一郎が<公開スケジュールは、全世界同時ではなく、各地域の市場ごとに最適なタイミングを選定し、アジアは25年内、米国公開はオスカー戦線をも念頭に入れた26年2月上旬を予定するなど、ソニーグループと共に世界興行と賞レース双方の結果を目指す>と語ることからも明白だ。
『スカーレット』が試みたルックへの挑戦
そして、作品PRの過程で細田守が繰り返し口にした言葉のひとつが「新しいルックへの挑戦」だった。これは単なる宣伝文句ではなく作品のテーマや物語構造のレベルで重要な要素として設定されたものである。『スタジオ地図15周年~』に収められたスタッフ証言を読むと、「新しいルック」が従来の作品とは異なる複数の観点から構築されていることが理解できる。
まず「新しいルック」としてわかりやすいのは、美術背景のアプローチである。舞台のひとつとなる「生と死のまじりあう場所」は特定の国や時代に依らない世界であり、歴史資料と創作要素を混ぜ合わせた世界設定が行われた。美術監督を務めた大久保錦一が<3DCGとなるとどうしても実写的なアプローチが強くなっていきますが、今回はアニメーション的なアプローチが求められていたので、絵的な嘘をつくということもやっています>と話すように、3Dと2Dという異なるロジックを持つ映像表現を組み合わせることでそれらを作り出そうとした。
同様にキャラクター造形にも変化がある。細田作品は長らく線の情報量を抑えた軽やかなデザインと、動きのニュアンスを生かす作画を特徴としてきた。しかし『スカーレット』ではキャラクター描写にも3DCGが取り入れられ、情報量はけた違いに増える。CGディレクターの下澤洋平が<我々はCG側の人間で監督はアニメの監督なので、情報量をどのくらいの分量で落とし込むのかという選択肢は無限にあるわけで。そのバランスを取っていくのに、時間がかかりました>と話すように、相反する表現を納得のいくレベルまで調和させるには多大な労力が必要となる。
これらの苦労はいずれも、写実的な日常描写ではなく象徴性を帯びた世界に観客を没入させるために必要な「新しいルック」を求めたがゆえに生じたものであり、日本の日常に基づいていた細田作品の作家性を更新するだけでなく、スタジオ地図全体の表現体系を広げるための挑戦でもあったのだ。
「スタジオ地図」の未来を描くための挑戦
現時点で『スカーレット』には賛否両論、厳しい意見が多いのは事実である。だが本作は一時の興行的成功や評価に留まらない意味を持つ可能性を秘めている。この記事では紹介しきれなかったが、『スタジオ地図15周年~』にはキャストへのインタビューに加え、『日経エンタテインメント!』による過去記事もまとめて再掲されており、たいへんな読み応えがある。
スタジオ地図あるいは細田守が目指した挑戦の全体像を読み解くうえで、『スタジオ地図15周年~』が果たす役割は決して小さくない。今後のアニメーション産業に興味のある方はぜひ一読を。
■書誌情報
『スタジオ地図15周年『果てしなきスカーレット』で挑む世界』
編集:日経エンタテインメント!
価格:2,420円(税込)
発売日:2025年11月21日
出版社:日経BP























