仮想世界での人の繋がりと死を描く、清新なデビュー短編集 笹原千波『風になるにはまだ』を読む

仮想世界に人間の意識をアップロードし、データとして生きる。すでに追求されてきたSFアイデアではあるが、笹原千波の『風になるにはまだ』はその選択肢がある日本の暮らしをつぶさに描いた、清新な雰囲気のデビュー短編集だ。視点人物は短編ごとに異なり、六作中三作が書き下ろしである。
仮想世界での人と人の「繋がり」と「散逸」
データだけの存在〈情報人格〉になれば、人間は老いや病気から解放される。ただし、デジタルな世界が永続する天国かといえばそんなことはない。本書の世界には〈情報人格〉が「散逸」と呼ばれるこれまでになかった死を迎えるという、未解決の課題がある。運用開始後に発覚した現象で、どうやら現実とかけ離れた感覚を味わいすぎたり、他人とあまり交流していないと散逸しやすくなるらしい。この設定ゆえに〈情報人格〉たちはきわめて現実的な仮想世界でもっぱら健康に気をつかって生きている。しかし、「散逸」の設定が引き起こす現実とのズレは意外と大きい。
二〇二二年に第13回創元SF短編賞を受賞した表題作「風になるにはまだ」では、仮想世界に移住済みの楢山小春が、大学の研究室のメンバー同士の「式」――決して結婚ではないが、二者がパートナーシップを結んだことを祝う集まり――に出席するため、語り手の肉体を有料でレンタルし、その感覚器を経由してひさびさに現実世界を体験する。小春と語り手はわずかな間に感覚を共有し、もはや赤の他人とは言えない程に親密な仲になる。感覚の描写の豊かさ細やかさと、他者との交流(でもたらされる不可逆な変化)はどちらも収録作すべてに共通する特徴だ。深く長い関係性や血縁ではなくても、人と人の出会いはビリヤードの玉がかすったときのように相互に影響する。親密さが描かれる一方で、本書では他人と自分が異なる存在であることがきわだっている。
二話目の「手のなかに花なんて」に登場する高校生の優花は、情報化する時点で認知能力が衰えていた祖母を散逸させないため、VRヘッドセットを使って頻繁に仮想世界で面会する。彼女は変わりゆく祖母を、その先に待つ死「散逸」による別れを、他の家族のように割り切ることができない。状況が耐えがたく、つい祖母宅を飛び出して仮想世界の路地をあてどなく歩いているうちに、年配の女性・潮田みなとに出会ってその見事な庭つきの家に招かれる。そこでは本物そっくりに日々成長する植物が家主や客を癒していた。潮田みなとはずばり「それに名前がついていない関係もまた良いものです。私は、そういう関係こそ楽しいと思ってしまうのですよ」と述べる。
「限りある夜だとしても」の榛原と三森の関係も親友にしては遠い。四十代後半のカメラマン榛原は、高校時代に華やかな存在だった三森を一方的に観察していた。三森のほうから声をかけ、ふたりは細く長い交流を保つようになる。だが三森の重病が発覚すると、榛原は配偶者と子供たちを残して情報化するか否かを悩む彼を見届ける羽目になる。
「その自由な瞳で」は丹念な感覚描写を得意とする著者が、そのテクニックを駆使してセンシュアルな表現を追求している。仮想世界に移住した若い男女のカップルの暮らしが肉体関係もふくめて描かれているが、一貫して清潔なトーンでどぎつさとは無縁だ。ふたりはインターネットで出会ったし、事情もあったため、現実世界とのセックスの違いを比較することはない。
バランスに細心の注意を払って作られた庭のような短編集
「散逸」によって、本書ではしばしば看取りや尊厳死がこの上なく長く引き伸ばされたような状況が起こる。だがテクノロジーの進歩の力を借りようとも、いつかは死が来るのは現実と変わらない。もちろん人によってはもう少しカジュアルに、たとえばレーシック手術や美容外科くらいの感覚で人格を情報化している。
表題作の楢山小春は、原因不明の色覚異常を発症し、情報化を選択した。「本当は空に住むことさえ」に登場する建築家の敷島綾女は六十代で情報化し、動機を「おいしくお酒を飲み続けるため」とうそぶく。そこも人それぞれだ。本書は常に複数のバリエーションを用意する。同性同士で家族になったペアが複数登場するし、その関係性は異性間の結婚と同様、恋愛だったり友情だったりとさまざまだ。老いや病のパターンも複数登場する。連作短編集だからこそできる趣向で、著者は作品ごとにこの世界の違った側面を見せてくれる。
仮想世界での建築の仕事の物語「本当は空に住むことさえ」は、私のように一時期VRChatに入りびたり、クリエイターたちがそこで照明や素材の質感を工夫して、リアリティあるいは非リアリティを追求する様子を面白く観察していたユーザーにも納得感があるだろう。
本書からは、バランスに細心の注意を払って作られた庭のような印象を受ける。短編が意図のもとに集められているから、ここには多様な親しさと多様な別れがある。すべて読み通すと、表題作1作だけを読んだときとはまったく違った余韻が残るのだ。そして最終話「君の名残の訪れを」は、まさに引き延ばされた別れが一人称で感傷的に語られる。これらも他の話との共鳴によって、単独で読む場合とは異なる感傷を読者にもたらしてくれる。
いささか長すぎる人生を扱いあぐねている読者にそっと温もりを差し入れ、ひとりで歩いていく覚悟を後押ししてくれるような、しみる新刊である。
■書誌情報
『風になるにはまだ』
著者:笹原千波
価格:2,090円
発売日:2025年8月22日
出版社:東京創元社
レーベル:創元日本SF叢書
























