「旅行記」を「川歩記」から再定義する――岡田悠の最新書籍『駅から徒歩138億年』の魅力に宮田珠己が迫る

オモコロなどで活躍する人気ライター・岡田悠氏による新刊『駅から徒歩138億年』(産業編集センター)は、多摩川を河口から源流まで歩いた記録を中心に「旅行記を再定義」したような画期的な内容が話題を呼んでいる。地図アプリやカーナビ、SNSが日常を覆い尽くす今、“知らない道”を探すことはますます難しい。だからこそ岡田氏は近所にある多摩川に、新たなる視点を向けた。
聞き手は、旅と街歩きをテーマに数多くの旅行記を発表してきた宮田珠己氏。長年フィールドワークを続けてきた宮田氏が「自分と同じジレンマを感じた」と語るように、二人の対話は“旅を書く”ことの核心へと踏み込んでいく。歩く行為と思索の往復。
■ミクロでみる「近所」の面白さ

今回のインタビューでは宮田氏が岡田氏に着想の背景や疑問を聞くことで取材が行われた。
宮田:『駅から徒歩138億年』を読んで思ったのは、岡田さんは、自分と同じジレンマを感じているのでは、ということでした。何がゴールなのか分からない、何をつかめば納得できるのかをずっと探している。その感じが、そっくりだなと。しかも今はスマホで何でも分かる時代になっていて、便利な反面、「偶然」と出会いにくい。面白いものが見つかりにくいという感覚の中で面白いものを見つけようとする内容に、とても共感しました。
岡田:ありがとうございます。僕はこれまで海外旅行が好きだったのですが、ちょっとマンネリになっていたんです。なんかスタンプラリーというか、パスポートを埋めていくことを目的としているような感じがあって。ちょうどそのときにコロナ禍もあったタイミングで、近所に意識を向けるようになったんですね。
例えば道端に咲いている花は、普通に見ているだけだとなんの変哲のない花なんですけど、クローズアップして見るとすごい変な形のものがあるんです。それから、家から5メートル範囲のところでも、ミクロで見ていけばすごく面白いんじゃないかと気づいたんです。
宮田:なるほど。ミクロで近所を見ることで変化が起きたんですね。
岡田:はい、それからカルチャーセンターに通うようになったんです。多摩川の草花を勉強するっていうテーマで専門家の方とフィールドワークをするんです。その時、この花は何ていう名前だとか全然教えてくれない。とにかく近寄ってくださいっていうんですよ。 それで言われた通りしていたら「それじゃだめ。もっと近寄って」と頭押さえつけられる勢いで近づけさせられる(笑)。でも確かにミクロでみると、新たな発見がたくさんあるんです。

宮田:いわゆる路上系には面白い方々がいますよね。あと『駅から徒歩138億年』を読んで思ったことは、スケールが大きいという印象でした。
岡田:それはこの本のタイトルと関わっているかもしれません。多摩川の全長が138キロで、宇宙の年齢が138億年。「138」という数字が宇宙の歴史とおんなじだと思ったんですね。よく川は時間のメタファーと言われているように、実際に川を歩いていると、時の移ろいについて考えることが多かったんです。だから今回の書籍のテーマは「時間」でもありました。川を歩いていると道は川が教えてくれるので、Googleマップは必要ない。だからスマホを見ることがないので余計な情報が入らない。悠久の時の中で歩くことができるんです。
宮田:面白いですね。僕は歩くのが好きなんです。特別な目的がなくても、歩いているだけで楽しい。以前四国でお遍路をしたとき、最初は「修行って何だろう」と考えていたのに、三日目くらいからどうでもよくなって(笑)、ただ足を前に出しているだけで心が落ち着いた。歩くという行為に包まれている時間が好きなんです。
岡田:僕もそうでした。近所でも深くて濃い冒険旅行ができるのではないかとも考えました。『駅から徒歩138億年』には、歩いていて最高だと思えた瞬間を集めています。
■偶然をデザインする

宮田:本の中で印象的だったのが、「偶然をデザインする」という発想です。旅って、予定外のことが起きるから面白い。でも、それを作ろうとすると予定調和になってしまう。そこにジレンマがありますよね。
岡田:はい、そうなんです。偶然を生むためには、最低限の「予定」が必要ですよね。予定があるから、外れたときの予定不調和が面白い。仮説を立てて、その仮説がズレること自体を楽しむ。そうやって、旅の中に外れの余白を作っておくことが大事なんじゃないかと。
宮田:「外れの余白」というのは良い表現ですね。たとえばどんな形でやっているんですか?
岡田:いくつかの方法を本に書きました。ひとつは未来の予約を埋めるという方法です。たとえば、10年後の宿を予約しておくとか。人生にイベントが増えるというか、その行為自体が偶然みたいで楽しいんです。
あと「やり残し」をつくることです。ゴールまで行かずに、途中でやめておく。そうすると次に行く理由ができます。未完のまま残すことで、時間が旅を続けてくれるんです。
宮田:完結した瞬間に、旅って終わってしまいますからね。未完だから、記憶に残ることがある。
岡田:そうですね。行けなかった場所の方が思い出に残ってることが多くあります。
■古いカーナビの楽しみ方

宮田:『駅から徒歩138億年』で一番良い意味でバカだなぁと思ったのが、徒歩でカーナビを使うという実験(笑)。あれはどういう発想なんですか?
岡田:カーナビを持って歩くと、ぜんぜん違う世界が見えるんです。「2キロ先で右折です」ってナビゲーションされても徒歩だと遠い(笑)。だから途中でいろんな寄り道が起きる。効率が悪いほど、偶然が生まれるんですね。しかも、古いナビは地図データも古いから、存在しない喫茶店や道を案内します。行ってみたら違う建物になっていて、そこから物語が始まる。合理的な道具を“ずらして”使うと、日常が急に未知化するんです。
宮田:誤差を楽しむんですね。岡田さんはカーナビを十数台も集めているんですよね、狂気だと思いました(笑)。
岡田:オークションで少しずつ集めているんですけれど、結構ライバルがいて、競り合いになるんです(笑)。カーナビって現在地が見える古地図なんです。20年前・15年前・10年前・5年前……世代ごとに機能が微妙に違うし、街の記憶がズレたまま残っている。東京のように更新の早い街だと、とくにパラレルワールド感が強い。古いカーナビの「存在しない案内」に連れ回されると、時間の層を歩いているようでやめられなくなります。ポータブル電源を抱えて、二台同時に持ち歩いたりしてました。でもとにかく重いのがネックです(笑)。
■記憶の風景を探す

岡田:『駅から徒歩138億年』にも書いたんですが、ずっと気になっている風景があったんです。17年前、新幹線の車窓からほんの一瞬だけ見えた海です。その一瞬がやけに鮮明で、いつか確かめたいと思っていたけれど、ずっと場所がどこか分からなくて。実際に探してみたんですけれど、見つけることよりも探している間のワクワクが優ってしまって。見つかるかどうかより「探している時間」こそが旅なんだと実感しました。
宮田:ああ、それは分かります。私にも似た経験がある。山口を新幹線で走っていたとき、山の間から一瞬だけ谷が見えたんです。まるでヨーロッパのような美しい谷なんだけど、名前も場所もわからない。「もう一度見たい」と思って何度か同じように探したけれど、見つからない。見つけたいのだけれど、もし本当に見つけてしまったら、少しつまらないのかもしれないという思いもある。そのときは、忘れられない風景のままで良いのではとの結論に至りました。
岡田:宝探しだと、宝箱を開けた瞬間は意外とあっけないですよね。でも、過程で感じたワクワクがとても楽しい。たぶん僕が求めていたのは風景そのものじゃなく、時間の手ざわりなんだと思います。
宮田:昔見た風景をもう一度探すのは「当時の自分」に会いに行くこと。だから風景を探す旅は時間旅行でもありますよね。

岡田:そうですね。歩くことも同じだと思います。たとえ見つからなくても、探すという行為そのものが最高なんです。
■迷うことの難しさ

宮田:昔、海外で迷子になったことがあるんです。怖いんだけど、同時にワクワクしていた。いまはスマホがあるから、あの感覚はもう手に入らないかもしれない。迷うことの楽しさが、文明の進化で奪われてしまった。
岡田:僕は、“迷うための努力”をします(笑)。たとえばバスターミナルに行って、子どもが選んだバスに乗って、子どもが降車ボタンを押した停留所で降りる。自分の狙いを完全に捨ててゆだねる。あるいは江戸時代の地図アプリだけを頼りに歩いて、江戸にあった道だけ通るルールで移動するみたいなことをあえてやっています。
■旅を書くということ
宮田:迷いや偶然自ら呼び込むのですね。僕が昔やりたかったのは、ヒッチハイクの人に目的地を委ねる旅行。ヒッチハイクで乗せた人の目的地まで車で行って、また違う人の行きたいところで旅行する。そんな偶然からつながる旅ができないかなって思っていたのでその気持ちも良くわかります。
岡田さんに旅を“書く”ことについても聞きたいです。僕はこれまで旅行記を多く書いてきましたが、突き詰めると本当に難しい。誰でも書けそうで、誰もたどり着けない何かがあります。過去の名作と言われるいろんな旅行記を読んでも完全に表現できているのはないような感じがする。自分も何度も挑んでいますが、やっぱり登りきれていない。
岡田:これまで一番書いていて楽しかった旅行記はなんですか?
宮田:『ウはウミウシのウ: シュノーケル偏愛旅行記』(小学館)というシュノーケリングをしていて、ウミウシを探すだけのハプニングが全くない旅行記です(笑)。旅行記って何かハプニングがあると読者は楽しいじゃないですか。でもこのときは何もなくて、ただ生き物を見てるだけ。どうしたものかと思っていましたが、それでも文体を工夫して一冊にできた時は達成感がありました。
岡田:僕は『0メートルの旅 日常を引き剥がす16の物語』(ダイヤモンド社)という南極に行ったところから今いる場所に近づいていくという話を書いたのですが、その中で一番書いていて楽しかったのが近所の話だったんです。 だから今回も近所の話を書きたいと思ったことが『駅から徒歩138億年』に繋がっています。

宮田:いいコンセプトですね。私は今GPSで歩いた場所を残すのにハマっています。そうすると行ってない場所が白地として浮かぶ。記録は過去を固定するためじゃなく、未来の白地を作るためなんだと気づきました。
『駅から徒歩138億年』にも、未来を楽しむポイントが書かれていましたね。
■小説という次の旅
岡田:宮田さんは最近、小説も書いていますよね。
宮田:ノンフィクションは本当のことしか書けない縛りがありますよね。「こうなったら面白いのに」と思っても、現実に起きていなければ書けない。それが次第にストレスになってきて、フィクションでその制約を外したかった。小説だと書ける幅が一気に広がるんです。
岡田:僕もいずれ小説を書きたいです。現実の旅で届かなかった場所へ、想像で歩いて行きたいですね。
宮田:結局、どんな形でも「まだ見たことのない場所」を探しているのかも。僕も小説を経てまた旅を書くかもしれない。『駅から徒歩138億年』を読んだ読者は、近所という宇宙の時間旅行に出るかもしれません。
岡田:そう言ってもらえると嬉しいです。川を歩いたりミクロで近所を見るだけでも、少し違った世界に見えると思います。これからも色んなやり方を試しながら、ここではないどこかを探したいと思います。























