竹原ピストル × 詩人 黒川隆介 「詩」と「言葉」を語らうーー創作と酒、意外な共通点【前編】

最近重版したばかりの話題の詩集『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』(実業之日本社)を刊行した詩人の黒川隆介氏は、『東京失格』(実業之日本社)を出版したラッパーのアフロ氏とともに、朗読とラップで全国を巡るツアーを行った。そんな黒川氏が、ゆく先々の会場で目にしたのが、シンガーソングライターの竹原ピストル氏の訪問の痕跡であった。
言葉を使って生きる黒川氏と竹原氏。2人が“詩”と“言葉”について思うこととは何だろう。トークが縦横無尽に展開されるなか、お酒好きや意外な共通点も発見された。自身の性格から創作活動の原点まで、大いに語ってもらった。
■創作を始めたきっかけとその過程
――今日お二人は初対面とのことですが。
黒川:竹原さんはアフロくんの先輩という覚えがあったので、この話をいただいたときにまず彼に筋を通さねばと連絡したのですが、縁が拡がる時の筋通し、俺にはいらないので是非やってと言ってくれまして。お会いできることを楽しみにしていました。竹原さんの音楽が大好きな先輩から歌詞カードを見せてもらいながらこの曲のどこが凄いかの力説を聞いていたら、朝になっていたこともあります(笑)。
僕は函館にも家を借りているのですが、初めて函館を訪れた日に入ったバーの店主と気が合い、翌日キャンプに連れて行ってもらうことになりました。
南大沼というキツネがその辺りを駆けているような湖畔の前にテントを立て、そのバーのマスターは、夜通し竹原さんの曲をかけていたんですね。その日のことがきっかけで竹原さんの楽曲に触れるようになったこともあり、昨日彼に電話して、竹原さんに明日お会いすることを伝えると、「俺の会社の名前は株式会社TORと言うんだけど、TはとしやのTでORは竹原さんの曲「オールドルーキー」から付けたんだ」と言っていました。僕の周りには竹原さんを好きな方が何人もいたので、ご縁をいただいて嬉しかったです。
竹原:そうでしたか(笑)黒川さんは、アフロくんとはどうやって知り合ったんですか?
黒川:18歳の成人式というイベントに自分もアフロくんも出演したことがあり、その主催者を介して知り合ったのが最初です。詩集を渡したところ、後日彼から「一度2人で飲もうよ」と連絡をもらい、交流が始まりました。
竹原:俺がアフロと最初に会ったのは、新宿二丁目のライブバーです。アフロがラップを披露していて、デモ音源をもらったのが最初でした。共通のイベンターがいて、MOROHA(注:アフロ氏がMCを務めていたバンド)との共演の機会を作ってくれたと思います。
黒川:竹原さんから見たら、アフロくんの音楽性はどう見えるのでしょうか。
竹原:アフロの詩は理詰めで理路整然としているんですよね。見た目と違う(笑)。文章だったり言葉の作りや並べ方が凄くきれいで気持ちいいと思うんですね。パズルゲームがバチッと合わさったような聴き心地。普段はベラベラと喋っててうるさいけれど(笑)。でも歌詞はストレートだし、よくそんな野暮なことを大声で言うなあ…と思えるまっすぐさがある。
■和歌とラップ、朗読、詩には共通点がある
竹原:僕はひねくれ者で、ひねくれた目線でモノを見ることが多いので、自分ではどこがまっすぐだろうと思うのです。だから、彼こそが本当にまっすぐだと思っちゃうところがありますね。アフロ本人には言ったことがないんですけどね。
とにかく、そういうまっすぐな作品を作る人なので、箇条書き的にぼんやりした言葉を投げても、バチンと返してくれる、重宝する存在なのです。気に入ったフレーズがあれば彼に提出することがあります。
黒川:竹原さんのアルバム『すうぉ~む!!』には韻を踏む曲もみられますが、詩を作る際に韻律は意識されますか。
竹原:もともとヒップホップやラッパーへのリスペクトがあるんです。だから韻を踏むのはラッパーの領域で、そこに手を出してはいけないという変な考えがあったんですね。けれど、ヒップホップのクルーやラッパーと共演する機会が多くなったので、ちょっとやってみようと思って韻を踏みはじめました。
そしたら、ラッパーはいかつい人が多いけれど優しいから、アドバイスをくれるようになるんですよ。そうなると嬉しくなって、これはどうでしょうと、こちらも韻を踏み返した歌詞を作って、宿題を出すように提出するようになった。これが、韻を意識するようになったきっかけかもしれませんね。
黒川:三好達治の『詩を読む人のために』の解説が、ラップ読本のように韻を説明している箇所もあります。和歌も近しい要素をもって作られている側面もあると思うと、ラップや、朗読、詩人は互いに遠い存在のように思われているけれど、実は出自が近いんだなと感じます。アフロくんとライブで各地を回ったときも、ラッパーと詩人の組み合わせは珍しいイベントだと思われていましたが、お客さんは馴染んでいました。それは、出自の近さが影響しているのかなと思います。
竹原:俺もヒップホップやラップには距離感を持っていたけれど、やり始めたら垣根がなくなって、どんどん韻を踏むようになりましたからね。俺たちは勝手に分けちゃっていたわけですね。
■竹原さんのポスターはどこにでもある

黒川:旅をしていると、どこのライブハウスにも竹原さんのポスターが貼ってある(笑)。本当に、どこに行っても、です。僕がツアーで回ったライブハウスには、だいたい竹原さんが出演された形跡がありました。名古屋でのライブ終わりに飲みに行った先にもポスターが貼ってありました。
竹原:初めてTHA BLUE HERBのボス(ILL-BOSSTINO)に挨拶した時に「竹原ピストルっておめえか!」「おめえのポスター、どこに行ってもあるな!」と言われたのを思い出しました(笑)。
黒川:ラーメン屋によく行くんですが、ラーメン屋には先輩である又吉直樹さんのサインがどこに行ってもある。本当に行く先々にある。ライブハウスは竹原さん、ラーメン屋では又吉さんに毎度先を越されています。ところで、竹原さんは年間相当数のライブをやっているじゃないですか。今年のスケジュールを拝見しても凄いです。それだけ、歌うことが好きなのですね。
竹原:好きじゃないとできないのと、いつも反省点が残らないライブはないので、あそこでああやればよかったと思ったら、すぐ修正したくなる。ライブを年間300本やっていた時期があるので、バーなどのポスターはその時期のものだと思いますが、多くやればやるほど、バックアップしてくれる人がいると思っていた時期がありました。
黒川:ライブ一本でも相当消耗すると思うのですが、体力や気力のリカバリーはどうやっていたのでしょうか。
竹原:とんでもない本数を回っていた時は、持ち時間が短かったので、そこまで疲労が溜まることはなかったですね。でも、絶対にこうしたほうがよかったという反省点がエネルギーになって、加速していった感じがあります。
黒川:曲の良し悪しはライブでお客さんの前に立つことで、わかることが多いのでしょうか。
竹原:狙い通りに受けたときの気持ちよさは特別ですよ。笑ってほしいと思ったところでお客さんが笑ってくれたら、本当に嬉しい。ほら見たことか、と思えると気持ちいいですからね。
■歌詞のネタが枯渇することはない
黒川:竹原さんの歌詞は、聴き手に投げかけているような内容のときもあるけれど、総じて竹原さん自身に向けて書いている印象を受けます。歌詞の創作エネルギーが枯渇することはないのでしょうか。
竹原:質問の答えになっているかはわからないんですが、同じテーマで同じような歌詞を何曲分書いても、飽きない性質なのです。新しい扉を開かないと新しいものを書けないんじゃないかという、危機感を抱かない愚かさがあると思うんです。
黒川:僕は純文学が好きなのですが、太宰治などの作家に共通しているのは、初期衝動が消え切らないというのか、初期の頃から言わんとしているであろうことが晩年の作品になっても通底しているところがあるように思います。僕も変化はあっても、根底のテーマは同じで詩にし続けているような気がします。
竹原:僕も同じテーマを歌詞にしていますね。でも時折、何それ、という突然変異みたいな歌詞が書けたりすると、系譜として生き続けます。作詞中に、これは前にも言ったような気がすると悩んでしまうと、凄くつまんなくなってしまう。同じような曲を並べているのかもしれないけれど、そのおかげで、最新作が最高傑作だと思えるめでたさもあるのです。だから創作で悩んだことがまずなくて、枯渇という概念がなかったかもしれない。思うがまま書いた方がいいなと思いますね。
黒川:『すうぉ~む!!』のなかに「今日は成人の日」という曲がありますよね。だいぶ前の曲だったと思いますが、それを最新のアルバムに入れることには、大きな意味があるんだなと感じました。僕の新しい詩集のタイトルは『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』ですが、これは前々作の詩集にある詩の一節をタイトルに据えました。過去作を最新作のタイトルに据える、という試みごと自分の創作というのか、点ではなく線である、という地続きを示したかったのかもしれません。
――竹原さんや黒川さんは、詩や言葉を作るにあたって、ルーティーンはあるのでしょうか。
竹原:習慣として、思いついたフレーズをメモしておくことはありますが、酒を飲みながら書くといったルーティーンはないですね。自分は、おこがましくも、共演者の歌を聞いている時がフレーズが浮かびやすい。俺だったらこう言うけれどな、というところからひっかけて書き始めることが多いです。
黒川:僕も映画館で映画を見ているときや人の作品を見た際に詩が浮かぶことがあるので、展示や映画館に行く際にはメモ帳を持参し、マナー違反にならないようにサッと一言だけメモを取れるような準備はしていますね。自分も同様で、映画や作品から着想するというよりはそこから派生して自分のストーリーが浮かんでいきます。
竹原:全然関係ないことを深く考えられる時間ってありますよね。だから、日常的にメモを取って書いています。味も素っ気もない言い方かもしれないけれど、これはこないだ書いたフレーズと相性がいいかもと思って、パズルのように組み合わせることも好きです。
ぼーっとしているときにタイトルやサビに持ってこれるフレーズを何本か考えて、主人公はどんな人で、なぜここに行きついたのかと考え、Aメロ、Bメロを後から書いて歌詞に合わせてサビに持ってくる作業が好きなのです。きれいに組み合わさったときは凄く気持ちがいいし、一種の中毒性を覚えますね。
■いい詩の条件とはいったい何か
――良い曲や、良い詩の条件はどのようなものだと思いますか。
竹原:自分がいい詩だなと思える詩が、いい詩だと思います。極論で言えば人の解釈は関係ないと思っています。
黒川:同感ですね。だから創作を続けられるのだと考えています。関わってくれる人が喜んでくれるのは嬉しいのですが、自分が着地点じゃないとやがて枯渇すると思います。
竹原:自分の物差しと、自分の勝負勘を信じて作っていく。お客さんが減ったりチケットが売れなくなったときは、勝負勘とお客さんの感覚がずれていると思うし、そもそも売れなくなったら他の商売をすればいい。そんな感じで、常に自分が最高に思えるものを作り続けたいですね。
黒川:竹原さんは、幼少期や青年期には自分の物差しが作られていたのでしょうか。
竹原:それはいつからだろうなあ……。小学生の高学年の頃までさかのぼると、隣に住んでいた叔母の白髪を1本10円で抜く小遣い稼ぎをしていた時に、長渕剛さんの「とんぼ」を作業労働歌のように歌っていたんです。そして、叔母に「“憤り”ってどういう意味?」とか、歌詞の意味を聞いていました。
「この歌の人は東京に憧れて、荷物を持って出てきたんだね」と叔母の解説を聞いていたら、長渕さんは自分のことを歌っているんだとわかりました。つまり“俺の歌”ではないんだなと。中学でハマった尾崎豊さんやTHE BLUE HEARTSも自分のことを歌っているし素敵な曲を作っているんだなと、当時嫉妬心を覚えました。
それからシンガーソングライターになりたいと思って、作詞作曲は中学高校の頃からやっていましたね。そのときは、自分のことを歌っている人たちを足して2で割ったブレンドの仕方で、曲を作っていました。
でも、自分にはオリジナルソングを生み出す才能がないし、その器ではないと感じていて。それが「野狐禅」を始めるきっかけになったのです。大学を卒業したけれども酒飲んでバイトしてグダグダしている状況のなか、これじゃいかんと、自分への憤りが最高潮に高まっていたときにドーッと書き出した曲が、初めて「俺しか書けない」と思えたものでした。
黒川:竹原さんが、自分の歌を歌いたいと思ったときが定規の0センチで、その後の経験から物差しができていったのかもしれませんね。
竹原:振り返ると恥ずかしくなる歌ばっかりだけど、やっと自分の歌を書けたという経験は大きかったと思います。
(後編に続く)



























