竹原ピストル × 詩人 黒川隆介 「詩」と「言葉」を語らうーー良い詩の条件と創作活動への思い【後編】

最近重版したばかりの話題の詩集『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』(実業之日本社)を刊行した詩人の黒川隆介氏は、『東京失格』(実業之日本社)を出版したラッパーのアフロ氏とともに、朗読とラップで全国を巡るツアーを行った。そんな黒川氏が、ゆく先々の会場で目にしたのが、シンガーソングライターの竹原ピストル氏の訪問の痕跡であった。
言葉を使って生きる黒川氏と竹原氏。2人が“詩”と“言葉”について思うこととは何だろう。後編となる今回は詩と出合った時の原体験からライブパフォーマンス、創作活動についてなど多岐に渡るテーマを語り合う。
竹原ピストル × 詩人 黒川隆介 「詩」と「言葉」を語らうーー創作と酒、意外な共通点【前編】
詩人の黒川隆介氏と竹原ピストル氏。2人が“詩”と“言葉”について思うこととは何だろう。トークが縦横無尽に展開されるなか、お酒好き…■神経質になっているのは“間”の取り方
――“詩”や“言葉”に出合った原体験を覚えていますか。
黒川:思い出せなくて。自分の中にある物差しよりも、自分を通した地球上にある透明な物差しを、自分の中で探し続けている感覚があります。僕の詩集に対して、「一人の作家がこのページを全部書いているとは思えない」と言われることがある。
誰もが言葉自体は持っているじゃないですか。いろんな人の物差しが乱立している状態のなかで、僕は生きている。そのクロスポイントの残像が一冊の詩集になり、これだと思った物差しが重層的になっている。僕はどんな音楽が好きかと聞かれても、はっきり言えません。レンジが広すぎて、これがどう絞られていくのかなと思っています。
竹原:絞られていくかもしれないし、拡大するかもしれませんね。
黒川:葛飾北斎が好きです。北斎は亡くなる直前にも、あと一週間あればもっと絵が上達すると言っていたそうです。北斎漫画しかり、すべての森羅万象を描いていくことでしか、絞ることはできないのかなと思います。
そういえば、竹原さんの過去のインタビューで、玉置浩二さんから「歌は50歳からだ」と言われたという話がありました。50歳からと言われたら、人によっては絶望に感じるかもしれませんが、僕は希望に感じました。
竹原:歌詞とは違ってくるけれど、自分の歌唱の部分は、年齢を重ねるなかで絶対に良くなっていると思うことはあります。
黒川:朗読をしている際に、言葉を発しているときよりも黙っている時に違いが作られると感じたことがあります。本番中のステージで、客席の視線そっちのけで黒川ほど悠然と黙っていられる人は見たことがない、と笑いのような褒められ方をしたことも一因かもしれませんが。玉置さんも歌っているなかでの呼吸があって、鼓動のリズムのなかで発声していない時間があることに意味があるのかな。
そうなると、50歳という年齢も腑に落ちます。年齢を重ねるうちに、止まれるようになってくる、ということなんじゃないかなと思いました。
竹原:なるほど、そういう意味なんですね。玉置さんに言われたとき、俺、どうすればいいんだと思っちゃったから(笑)。具体的に言ってもらえてすっきりしました。
黒川:竹原さんは、ずっと歌を歌っているなかで、自分の中で捉えどころが変わることはあるんですか。
竹原:あまり自覚していないかもしれないですね。常日頃変わり続けているんだろうけれど、考えたことはないかもしれませんね。ただ、年々、自覚できてしまうほど神経質になっているのは、やはり“間”の取り方なのだと思いますね。
■詩集を5分めくって、朗読しない

――曲の歌詞と、詩の違いはあるのでしょうか。
竹原:歌や楽器がない朗読も経験がありますが、オチとかサゲがないと自分はやる度胸がないんです。最後にクスクスッとなるものがないといけない。3~5分の曲を演奏して、一回ごとに作品が切れて、ワーッという拍手がある流れの中でやってきたせいか、朗読をやるにしても作文調になって、最後にオチがあるものじゃなければドキドキしちゃいますね。
黒川:お客さんに届いたという感触が、竹原さんには必要なのですね。
竹原:ここで終わりですという合図があったほうがいい、という気質ではあります。でも、誰かのポエムの朗読を聞いていてピンと来ないままポツッと終わっても、良いものを見たと思えるんですよ。あくまでも、自分がやるときは、ということですね。
黒川:『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』の冒頭にある『ショートカット』という詩に、「タイプはセミロングじゃなくてショートカット」というオチがあるのですが、ツアーを10回以上やるなかで、この一節を一回も朗読できていないんです。落ち切ってしまうことに違和が出て、途中で止めて、30秒ほど沈黙して終わってしまったことがあります。
逆衝動というか、落とさないことにリズムを見つけたというのか。その後にパッと別の詩を読むとハマったり、次に届けたいもののための前奏に、朗読がなり得るのだとわかりました。
竹原:終わりの合図もないまま途中でやめて、次の詩に向かうんですか。それは見たいです! まるで、何かの境地のようですね。ちなみに、アフロとのツアーで、詩の朗読は時間的にどのくらいやるんですか。
黒川:全体はトークを挟みながら90分~120分ほどで、そのなかで朗読を突然始めたりするので区分けがないですが、半分ほどの時間ですかね。前作と前々作の詩集も持っていくのですが、場の空気を感じながら5分ほどページをめくって、結果、読まないこともあります。話すことと、朗読は違うなと感じます。場の空気を読みながら詩を選んだ結果、届けるべきものがないときがあることを、お客さんにもわかってもらえているのではと思います。最初のツアーではザワザワしていたけれど、今では僕が詩集を開いて、やめても、拍手があったりします。
竹原:それはすごいですね!
黒川:詩を読みます、と5分ほど詩集を開いて詩を探し、その沈黙のまま読みたい詩が見つからなかったので読むのをやめた僕を見て、アフロくんがこう言いました。次の曲の準備が間に合わなかったり、演奏と演奏の繋ぎ目で沈黙がうまれてしまうようなときに照れ笑いしたり、間を埋めるような仕草をしてしまったりするのはミュージシャンにもあることだけど、黒川はまるで自宅で家電のカタログを見ているような落ち着きだった、と。(笑)
そういった二人の組み合わせで生じることが、僕たちのツアーの特性だと思いますね。
竹原:拍手が起きるのは、黒川さんが詩を本気で探している姿を、お客さんが見ているからですよね。
黒川:探したけれどなかった、というのも詩の朗読の醍醐味なのかもしれませんね。
■音楽を生業にすることに執着していない

黒川:あれは一回も詠んでいないんですよ。あの詩は、酒飲みにしか響かない、刺さらないんだろうなと思い。泥酔している人が会場にいるときであれば、いけるんだろうなと。「アルパカ」を話題に出してくれたのは竹原さんが初めてです。
ちなみに、竹原さんにとってライブはどういう位置づけなんでしょうか。
竹原:一言で言うのは難しいですね。小学生の時のグリーンスクールで、キャンプファイヤーの時にアニメソングをアカペラで披露したら、とんでもなく受けたんですよ。この時に、人前で出し物をして受けることの魔力に、取り憑かれた感があります。お楽しみ会や文化祭のようなイベントでも、人前にしゃしゃり出て歌を歌い、ギターの弾き語りをしました。先生にとってもそういう生徒が少ないので、重宝してくれていましたね。
そういえば、中3の文化祭のときに、担任の先生から「竹ちゃん、なんでいつも歌をやりたがるの」と聞かれました。それまではそんなことを考えたことがなかったから、うまく答えられなかった。でも、今となっては自分は人前で何かをやりたくてたまらない人間で、そういう気質、性質を持って生まれたという思いが強いですね。
だから、僕は音楽を生業にすることは、さほど執着していません。もし音楽での収入がなくなったら別の仕事をしてもいい。
黒川:竹原さんの性質に合ったものがライブだったというわけですね。音楽の仕事をしていなかったら何をしていると思いますか。
竹原:清掃員ですね。あらゆるアルバイトを続けられないなか、清掃員だけは続けられた仕事です。コロナ禍の初期、清掃会社を経営している知り合いに話をして、まず清掃員の仕事をゲットして精神的な余裕をもってから音楽活動をしていました。黒川さんは、詩人じゃなかったら何をしていますか。
黒川:酒場や小さいバーをやっているかもしれません。今も月一で、地元で開いているバーがあります。あと、イカを捌くのが好きなので、イカ屋さんかな。友人が家に来たときに、お手製の塩辛を食べながらお酒を飲ませるのも好きです。
■又吉さんと一緒に飲む時間は“精神と時の部屋”

黒川:僕の周りの創作の人たちは人見知りが多いのですが、お酒のおかげで照れを和らげられている。詩集の解説を書いてくださった又吉さんとは週2くらいで飲んでいるのに、集合したときには目もあまり合わないし、笑わない。でも、飲んでいて1~2時間経つと、具体的な詩の話になる。これは創作に必要な距離感だと捉えています。
竹原:年齢もひょっとしたら関係するのかもしれないけれど、俺は仲間たちと酒を飲んで、ワーッとバカ話をしているとき、最近はふと、これが何になるんだよという感覚になる。そう考え始めて、より一層、飲み会をやらなくなってしまいました。
黒川:又吉さんもそう感じた時期があったようです。だったら、酒を飲んでいる時間、お互いの底上げに繋げられないかなと思いました。やがて、飲みながらお互いに執筆したり、だんだん、これは飲み会なのだろうかと思うようになった。純粋に楽しんでいないというか。今では一緒に飲むことを、“精神と時の部屋”と呼んでいます(笑)。
飲んでいるうちにあっという間に朝になったけれど、なんだか強くなっているような気がするのが、まさに“精神と時の部屋”です。冷静に考えたら、酒を飲まずに時間を使った方が詩を量産できる気はしています。
ただ、回り道してきたことが、僕の道だったとも思う。その葛藤から逃れることができずに、飲み続けている。そんなことを考えてしまうのは言い訳じゃないか、という自分に向けた思いを詩にしたりすることもあります。矛盾で情けなくなってしまうこともあるし、酒をかっこよく見せているだけにも思えるし、飲んで忘れているだけかなと思うけれど。僕の場合、そんな酒を飲むための口実が一冊の詩集になっているようにも思います。
竹原:それはそれで、作品になっているのは素晴らしいですね。そういう話を打ち明け合った仲間で一度、会いたいですね。こういう会話を経て、我々は酒を飲もうとしていると。
黒川:そうやって飲むお酒は、かつてない味わいになりそうですね。竹原さんは、お酒はどんなものを飲みますか。
竹原:特に好きなのはビールですが、あとはワインをゆっくり飲むのが好きですね。
■一個人から宇宙までリーチできる歌詞
黒川:『すうぉ~む!!』のなかに、「安宿の床に死んでいる 全体重で死んでいる」という歌詞がありました。僕は「半径3mでいて宇宙」という詩を書いたことがあるのですが、それをより強く、精緻にした感じがします。竹原さんは、半径3mの自分の手で触れられる範囲のことを歌詞にしているけれど、気づいたら触れたこともない宇宙の果てに触っているような感触になります。
他にも『ゆきちゃんゆきずりゆきのまち』のなかに「人も漁船も白い息」という歌詞があります。人と漁船が同サイズで横に並んでいるのは、一個人のスタート地点だとあまり浮かばない言葉だと思います。『水割りをうすくつくっていつまでも』の歌詞「ようやく家が眠り やっと自分を貸し切って」でも、家と自分という単位が横並びになっています。
竹原さんの歌詞を読むと、大きさが個人の出発点から全体のところまで伸びている感じがします。一個人から宇宙までリーチできる歌詞を書く感覚は、意識的なのでしょうか。
そういった感覚になるように、竹原さんは意識して書いているのかなと聞きたかったです。
竹原:無意識的なものですね。そういう風に感じてくれる人がいるんだなと感想を持ってしまったので、少なくとも意識的なものではないですね。黒川さんの詩は一行目から書くのですか。たとえば『アルパカ』は、どうなのですか
黒川:あれは例えるならサビからですね。僕のなかでは「5000円」の部分がサビなのですが、そこが最初に浮かんで、前後を書いていきました。
竹原:それは興味深いですね、今風に言えばパンチラインじゃないですけれど、一行だからワンフレーズでもう好きだと思えるけれど、詩の最後のフレーズ。どこから書いているんだろうと思っていましたから。
黒川:メモが一個のサビになって、他の部分を後から書いている感じです。
■多様な解釈があるからこそ、歌って楽しい曲になる
黒川:竹原さんは、具体的にこんな詩を書いてみたいという思いはあるのですか。
竹原:昔は、この歌に込めた思いや自分が見ていた情景を100%ギャップがなく聞き手に伝えたいという思いがあったせいで、何かと言葉が長くなりがちでした。でも、それは不可能だとあるときに気づきました。それどころか、解釈があるからこそ歌って楽しいんだと気づいてから、どんどんゆるくなりましたね。
その延長線上かもしれないけれど、削って、削って、削って、ポツン、ポツン、ポツン、ポツンとサビがあるけれど、物凄いもの、いろいろなものが伝わってくるような詩を書きたいなと思っています。
黒川:シェイクスピアが「詩は大きな塊、巨石のようなものから削って、削って、削って、削って、残す作業、残ったものを詩と呼ぶんだ」といったことを書いていました。僕のなかで今のお話がそこにつながった気がします。
竹原:そういう希望や理想はありますね。ところで、黒川さんは、酒を飲んで豹変することはないんですか。
黒川:僕は、よく笑うようになります。
竹原:今こんなに楽しくしゃべっているんだから、黒川さんはお酒が入ったら物凄く暴力的になったりするのかなと(笑)。もし、そうなったら誰も信じられなくなってしまいますけどね。でも、俺もそこは同じですね。豹変することはないです。
黒川:そこが確認できてよかったですね(笑)飲みに行きましょう。
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