講談師・神田山緑に聞く、小泉八雲の魅力「愛情とか優しさとか、日本人の大切なものが全部含まれている」

講談師・神田山緑に聞く、小泉八雲の魅力

 NHKが2025年度後期に放送している連続テレビ小説『ばけばけ』の主人公は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の日本人妻・セツをモデルにしている。アイルランド出身の父とギリシャ出身の母の間に生まれた八雲は、明治時代に来日し、日本に関する著作を多く残した。なかでも、妻から聞いた昔話、民話をもとに彼が書いた一連の怪談話(『影』、『骨董』、『怪談』などにまとめられている)は、広く知られている。それら八雲の怪談を日本の伝統的な話芸である講談で意欲的に演じているのが、神田山緑である。
(9月26日取材・構成/円堂都司昭)

講談はオノマトペの文化

神田山緑

――リアルサウンドに講談師の方が登場するのは初めてなので、伝統芸能に詳しくない人のために、まず講談について簡単に説明していただけますか。

山緑:ちょっと解説を入れながら、物語を分りやすく伝えていく芸能です。だいたい500年前からあったといわれていて、ふるくは『古事記』や『安倍晴明』、『菅原道真』、『太平記』などを語っていて、やがて歌舞伎の演目でいう『仮名手本忠臣蔵』、講談では『赤穂義士伝』と呼ばれるものなどをやり出して人気になった。落語と違うのは、釈台という机を前に置いて、話の合間に張り扇を打つことですね。

――小泉八雲の話は、講談でふるくからやられているんですか。

山緑:いや、あまりやってないんじゃないですかね。亡くなった人間国宝の一龍斎貞水先生がよく学校公演でされているのを、私は前座という一番下の身分の時から聞いていましたけど、今は私以外に宝井琴鶴さんがやっているくらいでしょう。

――山緑さんは八雲の話をいろいろやられていて、私は「ろくろ首」などを生で拝見しましたけれど、それらは全部、山緑さんが講談用に書き直したんですか。

山緑:そうですね。ベースは八雲先生の作品ですけれども、そのままでは講談にならないのでアレンジを加えています。私は、講談はオノマトペの文化だと思っているんです。要は擬音の使い方。それをけっこう入れて語れば、リアルになっていく。また、小学生が聞いても大人が聞いても楽しめるものにしたいので、それを意識して作り直しています。

 例えば、同じ「耳なし芳一」でも、子ども向け、中学生向け、大人向けで、それぞれ語り方は変わるし、長さも子ども向けではちょっと短め、大人向けはフルバージョンだったりする。そこらへんの工夫は、相手が理解できる範囲によって変えていきます。講談というのはもともとは読みもので、落語の場合はお喋りをする、浪曲はうなるといいます。講談は、かつては本を実際に置いてページをめくりながら読んでいくものでした。だから、ナレーションと会話が入った台本を書いてからやっています。

――昔の講談は「太平記読み」などと呼ばれていたそうですけれど、現在の講談は実際には本を置かないで演じることが多いですよね。

山緑:そうですね、置いちゃうとカンニングしているみたいに見えるし。正式にやるのであれば、石州半紙というものに墨で書くんですけれど、人それぞれです。今はパソコンで打ったA4の紙を置いてやる人もいます。私はそういうのは嫌なのでしないですけれど、会社の周年行事に呼ばれて、会社に関する新作講談をやる場合は、登場する人や商品の名前は絶対間違えちゃいけないから、その時は清書したものを置いてやります。ただ、それ以外は、特に小泉八雲先生の怪談話というのは、やっぱりお客さんとの呼吸というか、要は間合いなんです。置いた台本を見ていたらその間合いがつかめないし、おろそかになっちゃうから、怪談話では絶対に置かないですね。

――小学生向け、中学生向け、大人向けの語り分けというのは、それぞれ台本が別にあるのではなく、その場の雰囲気を見て変えるんですよね。

山緑:完全にそうですね。まず最初に話してみて笑うかなというところを見て、笑いそうだなと思ったら、怪談でも笑いのネタをちょっと入れてみたり、笑わない会場だなと思ったらすーっと進めたり、いろいろ試します。本来は、笑いがあって緊張感がある。その繰り返しをした方が、人はだんだん怖くなってその世界に引きずりこまれるから、本当はそっちに持っていきたい。でも、場所によって違うし、人によっても違うから、客席の空気を見て工夫するんです。

八雲先生のものは、人間らしさがある

――山緑さんが小泉八雲の講談をやりたいと思ったきっかけはなんですか。

山緑:はっきりとしたきっかけがありました。昔、私が前座だった頃、アルバイトみたいなもので、はとバスのガイドの仕事があったんです。講談師というのは、まず見習いからスタートして、3ヵ月くらいやると前座という身分になって芸名をいただける。そこが本当のスタートで、前座になってすぐくらいに「花の大江戸義士コース」というはとバスの仕事をいただいた。10時半から夕方の4時くらいまでのコースの最中、バスのなかで講談をして、料理屋さんでも『忠臣蔵』の話をしたりしました。それを1年くらいやったら、「今度は怪談のコースにも出てほしい」といわれました。でも、怪談話って大ネタ中の大ネタだから、まだ前座だったらやってはいけないんです。本来やれるのは、身分が一番高い真打くらいから。なので、主催者の方に確認したら「怪談はやらなくていい」といわれて宮本武蔵の話をやったんですけど、あとで「怪談話じゃない」とクレームがきたんです。それで必要になって覚えたのが、「耳なし芳一」。それが怪談のスタートで、次はよく知られた『四谷怪談』を師匠から教わってやるようになりました。クレームがきたらイエローカードだし、レッドカードだとできなくなるから怪談を覚えた次第です。夜の7時から屋形船のクルージングがあって、そのなかで「耳なし芳一」をやったりしましたね。

――いい雰囲気になりそうですね。

山緑:30分くらいやったのかな。その後、小学校とか子どもたちの前でやる機会があって、すごくウケたんです。八雲先生のほかの話もいろいろ覚えていきました。コロナ前だったか5、6年前には、八雲先生の曾孫の小泉凡先生と対談+講談をやってほしいという仕事が神戸でありました。「耳なし芳一」をやってほしいということでしたけど、凡先生から「このネタも使っていいからやってください」といわれ、いっそう興味を持ってやれる話をどんどん増やしていったという経緯です。

――今は八雲の話をいくつくらいやられているんですか。

山緑:10いくつかあるんじゃないかな。9月29日にNHKで放送された『木村多江の、いまさらですが…』(「小泉八雲~怪談 日本の面影を訪ねて~」の回)では「耳なし芳一」、「乳母桜」、「雪女」を披露させてもらいました。あと、YouTubeには、「雪女」、「乳母桜」、「ろくろ首」をアップしています。

神田山緑 ユーチューブ怪談会 第一回 小泉八雲作 雪女

――山緑さんは、小泉八雲以外にも『四谷怪談』、『乳房榎』といった古典的な怪談をやられていますけど、そういうものと比べた場合、八雲の怪談の特徴はなんでしょうか。

山緑:八雲先生のものは、人間らしさがあるんです。愛情とか優しさとか、日本人の大切なものが全部含まれている気がするなぁ。だから、日本昔話みたいなイメージがある。私は子どもの頃、お婆ちゃん子で、よく昔話を読んでもらったんですけど、そこには教訓があって、人を大切にしないといけないとか、お金に走っちゃいけないよとか、やっぱり記憶に残っています。そういうものは、逆に怪談で怖さになる要素です。だから、私が語るうえでは、人間ってそういうところがあるよねという要素が八雲先生の世界にはすごく詰まっている、だから面白いよねと思ってやっているんです。

――なかでも特に好きな演目はなんですか。

山緑:「耳なし芳一」はポピュラーでわかりやすいので一番やっていますけど、家族愛を語るものならば「雪女」でしょう。雪女を見たことはいうなといわれていたのに、夫になった男は喋っちゃう。喋ったら殺すといっていたけど、雪女は相手との間にもうけた子どもたちの顔を見たら、殺せなくなって許してあげる。家族を持つ人たちは、そういうところに共感する。後はお前に任せるからこの子たちを大切に育てなさい、もし苦しめるのであれば、お前を殺すからねといって消えていくわけだから。そこにはやっぱり人間的なものが含まれていますよね。あと、のっぺらぼうが出てくる「むじな」も好きです。あれは、子どもウケがいいですね。

――子どもたちが相手だと意外な反応もあったりするのでは。

山緑:素直だからつまんなかったら聞かないし、面白ければ30分でも40分でも聞きますし。「耳なし芳一」で幽霊が「芳一!」と呼ぶ場面があるんですけど、ある時、子どもの1人が「はい!」って答えたんです。大勢集まっていると楽しいし、そのなかに悪ノリする子が出てきた。もっと話に引きこんでいればそんな事態は起きなかったんですけど、こちらにまだ技術がなくて隙を与えてしまったのかもしれない。もう1回「芳一!」といったら、「はい!」が2人に増えたので、もうポンポン進めて終わらせてしまいました。次の年に『四谷怪談』をやったら、お岩ちゃんという子はいなかったのか、返事はなかったですけど(笑)。

――講談の『四谷怪談』は、歌舞伎で知られる『東海道四谷怪談』とお岩さんという主人公は同じでも、ストーリーが全然違いますよね。講談では、べつの女を妻にすると決めた伊右衛門が今の妻のお岩を下級の女郎屋に売り飛ばすとか、人間の欲やずるさが赤裸々に描かれるところが面白かったりする。

山緑:それと、連続ものの面白さでしょう。『四谷怪談』は30分くらいの話を全部で18本くらいできる続きものですけど、八雲先生の場合は短編が多いから、講談ではアレンジして長く作ったものがけっこうあります。

――山緑さんの弟子の山兎さんが「小豆とぎ橋」をやられているのを聞きましたけど、八雲の原作を読むとごく短い話ですよね。

山緑:あれは、謡曲「杜若」の歌を入れたり、私がアレンジして長くしたんですよ。

――原作よりも緩急がついて……。

山緑:八雲先生の作品をベースにしつつも、講談師がどう作りたいかによって変わっていく。そこらへんで個性を入れていく感じです。これは朗読の世界ではありえない。朗読では一言一句そのまま読むわけですけど、講談では講談師が語るということが中心になっていて、そこに面白さがある。

 八雲先生の場合も、奥さんのセツさんに日本のお話を喋ってもらった。本を読むのではなく、覚えていたものを間違ってもいいから伝えてほしいと。それによってインスピレーションが起きて、八雲先生の筆が乗る。紙をただ読むのではなく、その人がどう語るかというところに、想像力の強さがあるんじゃないですかね。講談の話に戻ると、紙を置いて読んだものと、置かずに読んだ=語ったものの違いは如実にお客様に伝わる。

講談ももっと若い人たちが見てくれるものに

――山緑さんは各地で講談教室を催されていますけど、怪談を教える時のポイントはなんですか。

山緑:講談で一番難しいのが怪談といわれているんです。間合いやテクニックだけでなく、描写するのがすごく難しくて、描写ができないと幽霊を想像させることができない。その人のレベルがはっきり出ちゃうから、段階によって全然違うものが生まれますよということは伝えています。間のとり方などは教えてもできる人とできない人がいますし、間が少しでも狂っちゃうと集中が切れてしまってお客さんは聞かなくなっちゃう。我々の言葉でダレるといいますけど、そのダレ場を作らないようにするための間がある。あと、怪談話では張り扇をあまりパンパンと打たない方がいい。邪魔になっちゃうから。それよりも間を作った方がいい。

――怪談がらみの余談ですが、山緑さんはXにミュージカル『エリザベート』の宝塚歌劇版ブルーレイを買ったとポストしていたでしょう。あの演目は、皇妃と死神(トート)の恋愛を描いて一種の怪談でもあるわけですが、どんな感想を持ちましたか。

山緑:最近、宝塚で『悪魔城ドラキュラ』を観劇したんです。ここ数年、元タカラジェンヌの方と仕事をする機会がけっこうあって、そういう方たちの感覚をとり入れて新しい講談を作りたいと考えています。我々の使っている呼吸と、宝塚の男役の方の呼吸は全然違う。女性が演じる男性ってとてもかっこよくて、作品云々以上に、目の使い方、しぐさ、雰囲気なんかをとり入れたいと思って見ています。歌舞伎も好きだから今月も行きましたけど、宝塚は歌舞伎ともまた違う。

 あと、講談の今のファンは高齢層になっていますけど、宝塚のファンは高齢層が卒業しても若い新しい人たちが入ってくる。講談ももっと若い人たちが見てくれるものにしたくて、宝塚からなにか盗みたい。10月に『ロミオとジュリエット』を講談でやるんですけど、その参考になればとも思っています。

――山緑さんは、2.5次元舞台のヒットシリーズ、舞台『刀剣乱舞』の関連の仕事もされていますし、いろんなものを取りこんでいこうということですね。『ロミオとジュリエット』の話が出ましたけど、今後、これを講談にしてみたいというものはありますか。

山緑:『リア王』とかほかのシェイクスピア作品も講談にしたいですね。なぜかというと、昔は講談師に関して「冬は義士 夏はお化けで 飯を食い」という川柳があったんです。夏は怪談をやって、冬は『忠臣蔵』で赤穂の義士を語るのが定番だった。でも、今は、夏の怪談には20代のカップルなどもきたりして、私もやっていて楽しいですけど、『忠臣蔵』はウケなくなってきた。時代が変わっても古典をそのままやるというのは一つの手でしょうけど、やっぱり違ったものも作らないといけない。舞台はお金がかかりますけど、講談なら1人で全部演じ分けられるから、広い層に向けたものとしてシェイクスピアの作品をやっていきたいと思っています。

■関連情報
神田山緑 公式ウェブサイト
http://koudanshi.com/

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