著者が体験した恐怖と絶望の終わりなき日々『なぜ「あしか汁」のことを話してはいけないのか』取材中には怪奇現象も……

ページをめくるたびにゾクゾクが止まらない――8月7日の刊行直後から、そんなコメントが多数寄せられている『なぜ「あしか汁」のことを話してはいけないのか』(三浦晴海/著、宝島社/刊)。著者の三浦晴海氏は、急死した大叔父の日記に“あしか汁”という謎めいた単語を発見したときから、平穏だった日々が急転してしまったのである。
当初、三浦氏がその言葉の意味を探りはじめたのは、純粋な興味からだったという。ところが、各地に足を運び、人の力を借りながら調査を進めていくと、“あしか汁”という言葉がもつ恐るべき真相が明らかになった。三浦氏はその調査の過程で、関わりをもった多くの人を失うことになり、恐怖と絶望の淵に立たされるに至った。
そんな三浦氏が、自身の体験談を一冊の本にまとめた。三浦氏曰く、「皆様にはぜひ知ってほしい」という強い使命感が原稿を書く動機になったという本書は、“あしか汁”の真相にたどり着くまでの足跡、そして真相を明らかにした一冊である。今回は単独インタビューで、三浦氏がこれまで味わった恐怖の一端を克明に語っていただいた。
■得られた真実は「私たちすべてに関係するもの」
――本書は三浦さんが“あしか汁”の真相に至るまでの“記録”という形で整理されています。まず、読者に向けて「なぜ今、この話を公にしようと思ったのか」について、教えていただけますか。
三浦:一連の調査によって得られた真実が、私たち全員に関係するものであると気づいたからです。私だけに関係する個人的な内容であるなら、公にするつもりはありませんでした。また、笑い話や露悪的な話であれば、わざわざ明かすこともしませんでした。しかし、私以外の皆様にも影響がある話とわかったので、いち早く公開する必要があると考えました。
皆様は「なぜ今?」と問われるかもしれません。その理由は、私には待っている時間がないからです。繰り返しますが、この本を書いた理由も、この本の内容が私たち全員に関係するものだと気づいたからなのです。大叔父が書き留めた言葉の意味を探り、こんな事実を知った……という程度なら、明かすつもりはありませんでした。
――大叔父様が急死されたそうですが、訃報を聞かれたときの心境、そして遺品となった日記に初めて目を通したときのことは覚えていますか。
三浦:大叔父は祖父の弟にあたります。近所に住んでいたので以前から会うことが多く、面倒を見ていただき、思えばずいぶん親しくさせていただきました。とてもお世話になったので、交通事故で亡くなったことには大変ショックを受けました。ただ、犯人は逮捕されましたし、事故ということで、これ以上悔やんでも仕方がないと受け入れていたのです。
遺品の日記を見つけた時は、「なんだこれ?」という思いが強く、ただただ意味がわからなくなりました。重要そうなことが書かれていたので、どうしても気になってしまい、調べずにはいられなくなりました。今となっては、見なければよかった……と心の底から後悔しています。処分してしまえば、何も知らずに済んだのにと思いました。
■最初は謎解きゲームの感覚だったが……
――“あしか汁”を含む、3つの言葉を見つけたときはどんな気持ちでしたか。
三浦:「そういうものがあるんだな」というのが率直な印象でした。気になる言葉ではありましたが、そこまで動揺することはなく、謎解きゲームのような面白さを感じていた程度です。それが後に“こんなこと”になるなんて、思ってもいませんでした。そもそも、大叔父も決してこんなことになると思って書き残したわけではないはずです。
浜倉優馬くんという大学時代からの友達が、かつてオカルト雑誌の編集をやっていました。私は純粋な好奇心で、彼に「こんなの知ってる?」と聞きました。恐ろしい話と知っていれば、別の調べ方があったかもしれません。しかし、あまりに単純な言葉だったゆえに、闇にハマってしまったのかもしれないと、今になっては思います。
――現地に赴き資料を収集する中で、さまざまな人が協力してくれたと伺いました。なかでも印象的だった人や出来事を教えてください。
三浦:皆様、とても好意的に協力してくださいました。なかでも郷土史家の松山壮也先生は幅広い知見をお持ちで、私以上に関心を持ってくださり、積極的に携わってくださいました。松山先生がいなければ、私も真実にたどり着くことはできなかったかもしれませんし、真実にたどりつくように応援してくださったのだと思います。ですから、“あの出来事”については本当に申し訳なく思っています。
松山先生とリモートで話した時間は、今でも印象に残っています。松山先生は海外にも知り合いが多いそうで、アメリカの公文書館で調べ物をしている方から資料を送ってもらい、80年前にあった出来事などを発掘していただきました。松山先生の人脈と調査能力に関しては本当に驚きましたね。
■大勢の方が不幸になってしまい、申し訳ない
――調査に関わった方々が被害に遭われたたことについて、どのような気持ちで受け止めていますか。
三浦:すべての方が被害に遭われたわけではありません。今も普段通りに生活しておられる方もいます。亡くなられた方々も、事故に遭われたようなものだと思います。私が、きっかけを作ることになったかもしれませんが、決してそのようなことは望んでいませんでした。ここは強く申し上げておきたいです。
私のせいでないとは言いましたが、結局、あの人たちが……悪く言うつもりはありませんが、とにかく大勢の方が不幸になってしまい、申し訳なく思っております。うーん、うーん……彼らの自業自得とは言い難いのですが、彼らの運命であったのではないか、と今では思っています。
――三浦さんの動揺ぶりが伝わってきますが、取材を進める過程で、ご自身の生活や精神状態にどのような変化がありましたか。
三浦:私から話を聞いた方々が次々と被害に遭われて、私自身も“襲われるようになった”あたりから、何かがおかしい、関わってはいけないことだったのでは、と思い始めました。解決のためにはうやむやにはできないと思っていましたが、真実を知った時には、もう日常には戻れない、と実感しました。真相を知らないままのほうが良かったのかどうかは、正直、わかりません。
























