放り投げたくなるほど、気味の悪い書物ーー『近畿地方のある場所について』ホラー小説としての異質さ

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その一文だけが帯に記された『近畿地方のある場所について』のページをめくりはじめてすぐ、思わず放り投げそうになった。
週末の東京のビジネス街は静かだ。ほかの街であればこれから活気づいていくのであろう19時頃になるともう、カフェチェーンでさえ閑散としている。いや、これはあのときだけだったのだろうか。空調が強いのか、それとも手にしている本から得た情報によって寒気がしてきたのか、なんだか気分が悪くなった私は、脂汗を垂らしながら屋外へと出た。空気が淀んでいた。
この『近畿地方のある場所について』が刊行されたのは2023年の夏のことである。いまからちょうど2年前のこと。本書は早くから大きな反響を呼び、その存在については知っていた。私はライターという職業柄、話題になっているものには触れずにはいられないタチだ。けれどもこの本に関しては、なかなか手にすることができないでいた。たまたま目にした読者の反応の中で、“思わず放り投げそうになった”という口コミが強く印象に残っていたからかもしれない。実際に私もそうなった。ホラー映画はそれなりに好きだが、ホラー文学にはあまり馴染みがない。読み手であるこちらの想像しだいで恐怖がどこまでも増幅するからだ。本書はページをめくったそばから、それがはじまる。イヤな本である。
意を決して本書を手にしてページをめくってみたのは、これを原作とした映画が公開されるからだった。しかもこの映画化の企画は幅広い年齢層の観客をターゲットとしているようだ。ならば原作だって読めるだろう。そうたかをくくっていた私が甘かった。
本書は通常のホラー文学とは、いや、一般的な文学作品とは、その形式がやや異なっている。主人公は本書の著者である背筋という人物だ。オカルト系ライターであるこの人物は、どうやら人を探しているらしいことが序盤で分かる。友人である出版社勤務の小沢という人間が消息を絶ってしまったため、彼のことを探しているというのだ。小沢に関する情報を募るべく、この『近畿地方のある場所について』を世に出したというのである。
本書は「近畿地方のある場所(厳密には複数地域にまたがったある一帯)」という漠然としたエリアに焦点を当て、このあたりで起きた怪異に関する情報を集め、レポート(=報告書)としてまとめたような形式を取っている。背筋によれば小沢なる人物は、この「近畿地方のある場所」に関する情報収集と分析にのめり込んでいくうちに、いなくなったのだという。そう、つまり私たちは、怪しげな事件の調査報告書をまとめた一冊の書物を手にしているのである。だから気味が悪い。気持ち悪い。一般的なホラー文学を手にするのとはわけが違う。観た者を死に追いやる呪いのビデオをモチーフにした『リング』(1998年)が登場したときは、記録媒体であるビデオテープも、それを再生する装置であるテレビも恐ろしいものだった。
この『近畿地方のある場所について』に関しては書物である。いま書店へ行けば、すぐに手に入れることができるだろう。オンラインショッピングで購入すれば、最短で翌日には自宅のポストにこれが投函されているはず。この気味の悪い書物が、である。
作品のジャンルとしては、2021年の夏に刊行された雨穴による『変な家』と近い、フェイクドキュメンタリー(=モキュメンタリー)である。つまりはノンフィクション風の文学なのであって、実際には完全なるフィクション(=作り話)だ。「実録! 奈良県行方不明少女に新事実か?」や「林間学校集団ヒステリー事件の真相」、「新種UMA ホワイトマンを発見!」などといった架空の雑誌に掲載された数々の記事や、ネット上で集められたものなど、小沢が追っていた「近畿地方のある場所」にまつわる情報がまとめられ、これらとともに、背筋と小沢のやり取り、そして小沢が失踪した過程を綴った文章が並置されている。
だから物語としては、主人公=書き手=背筋なる人物の一人称視点で進行していく。しかし、「近畿地方のある場所」にまつわる情報が錯綜していることもあってか、読み手にとって主人公の言動や行動原理が掴みやすいようで掴めない。もっといえば、私たち読者はさまざまな情報に目をとおしていくうちに自分自身の足元がおぼつかなくなり、いつしか現在地が分からなくなってしまう。この事件を追うのはもうやめたい、でもやめられない。といったアンビバレントな心理状態へと追い込まれていく。これがフィクションであることを理解しながらだ。やがて書き手と同化し、気がつけば近畿地方のどこかに立っていることだろう。
映画がはじまったこともあって、「近畿地方のある場所」で起きた数々の怪異そのものへの言及は避けた。いや、ネタバレ回避などを言い訳にし、改めて触れるのを避けたのかもしれない。具体的な描写による恐ろしさもあるが、この作品の場合は「お山にきませんか。かきもあります。」といった謎めいた言葉がたびたび登場し、私たちを終始不安な気持ちにさせる。でも読むのを止められない。
文学作品が映像化された際には決まって“観てから読むか、読んでから観るか”──という選択肢が生まれるが、もしも未読ならば読んでから観ることをおすすめしたい。ちなみに、7月25日に発売された文庫版は単行本とは内容が異なるらしい。私は未確認だが、これは気になる。早々に取り寄せたいと思う。しかし今度こそ、いち読者である私自身が“人探し”の対象になるかもしれない。























