『あしたのジョー』ちばてつや、漫画家人生の始まりは満州での戦争体験ーー自伝『屋根うらの絵本かき』の細部に宿るもの

ちばてつや、自伝の細部に宿るもの

 また、同書では、ちば自身の“創作の秘密”もところどころで明かされており、漫画家志望者だけでなく、映画や小説を志す人たちにとっても必読の内容になっている。たとえば、こんな一文がある。

 僕は演出をするとき、ふと“寄り道”をすることがある。意味もなくトンボやテントウムシを飛ばしてみたり、枯れ葉がはらりと水たまりに落ちて波紋が広がったり。時に子供の何げないしぐさにこだわり、物語の本筋と関係のない描写を入れたくなる。一種の「間」のようなものだろうか。
~前掲書より~

 また、以前(2021年)、筆者はちばにインタビューをしたことがあるのだが、その時も似たようなことをおっしゃっていた。

 (引用者注・自分の漫画で大事なのは)「間」とね、あと、一見、物語の本筋とは関係ないと思われるような「何気ない場面」こそが重要だと思っています。たとえば、ある物語で、朝、幼い子供が団地の階段を一歩一歩下りていったりね。ストーリーと直接関係ないシーンが何枚も続くわけですから、編集さんはかなり困惑していましたが(笑)、私はそういうなんでもない場面こそが、詩情があるというのかな、「人間らしさ」を描くためには重要な気がするんですよ。
~島田一志・編著『コロナと漫画~7人の漫画家が語るパンデミックと創作~』(小学館クリエイティブ)所収「INTERVIEW 1・ちばてつや」より~

『カラー版 ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき』(ちばてつや/双葉社)P134-135より。
何気ない「間」、"寄り道"こそが漫画家・ちばてつやの本質なのかもしれない。

 要するに、大事なのは「細部」の描写なのだ。映画評論家としても名高いフランス文学者の蓮實重彥は、映画の「細部」について、こう書いている。

 映画に物語は不可欠ですが、物語だけを表現してみせるのであれば、それは本当に見世物になってしまいます。ですから、それ以外のところに映画の面白さというものがあることも間違いない事実です。

 その面白さの一つは、「細部が見せる一種の色気」というべきものだと思います。色気といってしまうとふとセクシャルなものを感じさせますが、そうではなく、存在しているものの影が、描かれているもの以上の何かを見ているものに語りかけるということが重要なのです。
(中略)
 あらゆるものには、いわば存在の気配ともいうべきものがあり、それがたまたまなのか、あるいは意図的なのか、とにかくまざまざと画面に映された時に、人を引き付けて驚かせてくれるのです。
~蓮實重彥『見るレッスン 映画史特別講義』(光文社)より~

 むろん、ここで蓮實がいっている「細部」と、ちばのいう「なんでもない場面」とは、必ずしもイコールではないだろう。しかし、映画でも漫画でも、物語の粗筋を追うだけなら一度観れば(読めば)充分なわけであり、それを何度も観たい(読みたい)と思ってしまうのは、やはり、「細部」の「なんでもない」描写が、私たちの心に直接響いてくる大切な“何か”を表わしているということではないだろうか。

 いずれにせよ、ちば作品の面白さの秘密は、丁寧に描かれた「細部」が生み出す独特の「間」にあるようだ。そしてそれは、作者の「人間」を見つめる厳しくも温かい眼差しの表われであり、その確かな観察眼と、常にマイノリティの側に寄り添っていようというアティチュード(姿勢)は、いまからおよそ80年前――1人の心優しき中国人の家の、薄暗い「屋根うら」で培われたといっても過言ではないのである。

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