自衛隊のリアルを描き続けて13年『ライジングサンR』完結記念インタビュー「人に助けられて生きている」

18才の新隊員・甲斐一気を主人公に、自衛隊員の訓練模様を細部までリアルに描いてきた青春自衛隊ストーリー『ライジングサン』(双葉社)、自衛官になった甲斐一気らが実際に災害救助を行う姿を描いてきた『ライジングサンR』(同)が、約13年の連載を経てついに完結した。
東日本大震災の傷跡がまだ癒えない2012年に連載を開始した同作の物語は、どんな想いを込めて紡がれてきたのか。そして、『ライジングサンR』が完結した今、作者の藤原さとし先生はどんな心境を迎えているのか。じっくりと話を聞いた。
『ライジングサンR』第一話を試し読み
直球の青春漫画として、自衛隊に行った若者たちを描きたい

ーー藤原先生は元自衛官で、かつ背水の陣のような覚悟で連載をスタートしたのが『ライジングサン』だったと聞いています。経験と覚悟がそのまま乗った、リアリティと熱さがファンを惹きつけたのだと思いますが、本作の誕生に至るまでどんなストーリーがあったのでしょうか。
藤原さとし(以下、藤原):小さい頃から漫画が好きで、最初に原稿用紙にペン入れをしたのは小学校3年生くらいだったと思います。『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』を参考に道具をそろえて、当時から銃を持って戦うような漫画を描いていました。漫画家にもなりたいけれど、もう一方の夢として自衛官になりたいという思いもあったんです。
ーー結果として両方の夢を叶えたことになりますが、最初に自衛官の道を選んだのはどんな経緯からでしょう?
藤原:高校3年生のときに漫画賞に応募をして、もし賞に入れば担当編集がつくので、そうなったら漫画家を目指そうと考えたんです。近所で仲の良かった友人が中学生くらいで漫画家デビューしていて、一緒に東京に行こう……なんて話していたのですが、それが箸にも棒にもかからず、自分には才能がないんだと(笑)。
ーーそうして自衛官の道を選んだと。
藤原:そうですね。自衛隊には2年間いて、当時の自分が想像したものとは違った部分もあり、刺激を求めて辞めることにしました。それからいろんなことに挑戦しましたが、どれもうまくいかず、最後に自分に何があるかと考えたときに、「漫画しかない」と思い至って。それで地元の大阪で漫画を描き始めたのですが、お盆休みに前出の友人が帰ってきて、描きかけの作品を彼に見せたら「絶対に賞を取れる」と言われたんですよね。応募してみたら、実際に賞を受けて、担当さんがつくことになって。まだ雑誌社に元気があった時代で、新人用の増刊号のような雑誌も多く出ていたという幸運もあって、すぐに作品が掲載されたんです。それが1995年のことでした。
ーートントン拍子で漫画家への道が動き出したわけですね。
藤原:……ところが、実力もないくせにそこで勘違いして、生来の怠け癖が出てしまったんです。当時はインターネットがまだ広がっていなくて、漫画家になるには東京に出なければ話にならないような時代でした。でも、僕は地元の大阪で気ままに漫画を描いて、チヤホヤされるような状況が続いてくれればいいと思っていて。「親御さんが上京することを反対しているんだろう」と考えた編集さんがわざわざ実家に説得に来て、実は僕の気持ち一つで、誰も反対していなかったことに驚愕していました(笑)。
ーーそれで、引き摺り出されるように東京に出てきたんですね(笑)。
藤原:そこからが地獄の始まりだったんですが、人の縁にはとても恵まれていて。上京してすぐに山本英夫先生のアシスタントに入らせていただいたんです。ただ、初日から先輩たちの絵のうまさに衝撃を受けて、明け方の帰り道に震えたのを覚えています。「この人たちがまだデビューできていないのに、自分はどうなってしまうんだ」と(笑)。そこで、雑誌に載せてもらえたのもただただラッキーだったということに気づいて、ゼロから漫画を学んでいきました。満足に線を引くことすらできていなくて、原稿用紙の上から下まで1mm間隔で均一に横の棒線を引くというのが、アシスタント最初の仕事で、これを1日15時間丸3日やりました。結果的に9年間、山本先生のところでお世話になりましたがその時に身につけた基礎あっての今だと思えます。
ーー理不尽にも思える訓練も伴う基礎づくりの大切さというのは、『ライジングサン』シリーズの訓練の描写にも通じる話ですね。
藤原:そうですね、当時の経験が作品にも活きていると思います。いつか自衛隊の漫画を描きたいという思いはありつつ、その後は運にも見放されて、担当さんが飛んでしまったり、連載がほぼ決定していたのに思わぬことで流れてしまったり。そうしてチャンスを逃し続けていたし、結婚して子どももいたので、次が最後だと覚悟を決めて「どうせ最後なら自衛隊を描こう」と。
ーー東日本大震災の直後で、自衛隊への関心も高まっているタイミングでした。
藤原:それも大きかったですね。それまでの自衛隊漫画といえば『右向け左!』(原作:史村翔、作画:すぎむらしんいち)で、ある意味リアルで面白い作品なので私も大好きですが、ギャグ漫画として需要はあってもド直球の青春ものは求められていなかった。今だったら、自衛隊を経験している自分にしか描けない物語を受け入れてもらえるのでは、という感覚がありました。 そのタイミングでもう一つ大きな出会いがあって。アシスタント時代からの友人で、同い年の花沢健吾くんの結婚式に呼ばれたんです。そこで紹介してもらったのが、『ライジングサン』を連載することになる「漫画アクション」の方で、「ちょうど自衛隊漫画を作ろうと動いている編集がいるんだけど、一度会ってみませんか」という話になって。「これまでのように、自衛隊を滑稽に描くような作品は嫌なんです。自分は入隊してよかったと思うし、直球の青春漫画として、自衛隊に行った若者たちを描きたい」と話したら、「僕もまったく同じです」ということで、制作が始まりました。
ーー自衛隊の経験も、アシスタントとして過ごした9年間という月日も、何一つ無駄になることなく生まれたのが『ライジングサン』だったんですね。
藤原:そうですね。縁がつながって、最適なタイミングで生まれた作品だと思います。
一気には僕自身がかなり投影されています

ーー自衛隊をテーマに据える上で、エンターテインメントに昇華しやすくも思える派手な活躍を描くのではなく、過酷な訓練とその中で生じる人間ドラマにフォーカスしたのは、どんな理由からでしょうか。
藤原:エンタメとして描くなら激しい銃撃戦で敵を撃ち倒すバトルシーンを入れるのが正解なんだと思いますし、僕自身もそういう作品が好きなのですが、現実に自衛隊を経験している身としてその描き方はできないと。リアルさを追求したい、というのが第一で、もちろん漫画としてエンタメの要素は入れていますが、あくまで自分が経験してきたことを伝えるためのスパイスにしたいと思って。例えば、作品の人気を考えたら主人公の首を細く描いてイケメンにしたり、ビジュアル映えする髪型にしたり……ということも必要だったかもしれませんが、それもリアルじゃないからできませんでした。
ーーその結果生まれたのが、絵に描いたような熱血漢でも、成長ドラマを作りやすい気弱な青年でもなく、煮え切らない日々を送り、好奇心に突き動かされる「甲斐一気」という主人公でした。
藤原:実際、漫画を作る上でのセオリーも含めて、キャラクターについては担当さんと事前にかなり話しました。そもそも、東日本大震災で自衛隊への関心が高まっているとはいえ、その傷がまだ癒えていないなかで、人気取りのためだけに災害救助の現場をセンセーショナルに描くことは絶対にしたくなかった。日常の訓練風景が舞台となりますから、「訓練」に重きを置くときにどんなキャラクターがいいのか。『ライジングサン』は群像劇で、話が進むにつれてどうしても主人公はそのうちの一人として埋没していきがちだし、インパクトはほしいけれど、突拍子もないキャラクターにはしたくない。そうやって話を続けているなかで、担当さんが「藤原さんの人生を話してください」と。それで、4~5時間かけて、本当に細かく僕の生い立ち、考えてきたことを話したんですよね。その結果、「実際に自衛隊にいたんだし、藤原さんを描くしかないでしょう」と。自衛隊を目指す動機の部分など、こねくり回して設定してもどこかでボロが出るし……ということで、結果として一気には僕自身がかなり投影されています。わかりやすい弱点があるわけではないけれど、例えば、人とのコミュニケーションにどこか欠けている部分があったり。
ーー一気は確かにちょっと変わっていて、「欠けている」部分があるように感じますが、それはイコール「別の何かを持っている」という魅力になっていると思います。それが群像劇の中で、硬直した考え方から解放してくれる強さにつながっているというか。
藤原:そうですね。確かに一気はものすごく能力が高いわけではなく、一見すると弱点に見えるところが突破口を開くきっかけになるという、ちょっとわかりにくいキャラクターなのかなと。
ーー藤原先生自身がモデルだと伺って、第一話から「人との出会い/縁をものにしている」というのが共通点なのかなと思いました。
藤原:そうかもしれないですね。年齢もあるかもしれませんが、きれいごとでもなんでもなく「人に助けられて生きている」という感覚が強いですし、一気もそういうキャラクターになったのかなと思います。
ーーある意味では先生の分身であり、ご自身が生み出した子どものようでもある一気ですが、この13年間の成長をどう捉えていますか。
藤原:いい感じになってきたなと(笑)。僕自身、人との出会いで成長できたと思っているので。スーパーマンになる必要はないし、彼なりの現在の到達点があそこで、いいところまで行ったんじゃないかなと思います。この先はもう僕の分身ではなく、彼の人生なので。