『近畿地方のある場所について』単行本とは異なる文庫版の謎めいた情報の正体ーー書評家・千街晶之が対比

 近畿地方のある場所について文庫版を読む

■単行本とは異なる文庫版の読後感

 そこで著者は、単行本の「実話」めかした要素を大幅に薄め、「小説」であることを文庫版では前面に押し出したのではないか。そして、この路線変更によって、作品そのものから受ける印象も大きく異なることになった。

 私の場合、単行本を先に読んでいるから、どうしてもその印象を引きずっていることは否めない。だから、先に文庫版を手に取った読者はそちらを「怖い」と感じるのかも知れない。実際、文庫版も怖いことは怖い。しかし、私が文庫版を読み終えて強く感じたのは、単行本の絶望的な恐ろしさとは異なる、やるせなさ、物哀しさだった。

 あれほどまでに怖かった『近畿地方のある場所について』という物語が、ここまで印象を変えるとは——。背筋という作家の一筋縄では行かない才能を感じずにはいられない。

 ところで『近畿地方のある場所について』は、8月8日に白石晃士監督による映画版の公開が予定されており、脚本には原作者の背筋も協力しているという。判明している情報によると、主演の菅野美穂の役名は「瀬野千紘」、赤楚衛二の役名は「小沢悠生」。文庫版の登場人物名と似てはいるが、「瀬野千尋」と「瀬野千紘」、「小澤悠也」と「小沢悠生」といった具合に微妙に変えてあるのが気になる。現時点で映画版は未見だが、原作の単行本とも文庫版とも設定が違う、第3の『近畿地方のある場所について』という物語が展開されているのではと予測される——いや、「カクヨム」掲載版から数えれば第4ということになる。1本の幹から生えた複数の枝のように、『近畿地方のある場所について』という物語はどこまでも不穏に分岐し続けるのだ。

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