音楽評論家・北中正和が振り返る、ラジオとロックンロールがもっとも熱かった時代「みんな子どもの魂を持っていた」

北中正和が振り返る、ラジオとロックの蜜月
北中正和 監修『ラジオからロックンロールが聞こえる』(シーディージャーナル)

 ジャズ、ポップス、ロックンロールといった洋楽を日本に届けていた、ラジオがもっとも熱かった時代の舞台裏と熱狂を伝える書籍『ラジオからロックンロールが聞こえる』(シーディージャーナル)が、2025年12月に刊行された。『9500万人のポピュラーリクエスト』『オールナイトニッポン』『パック・イン・ミュージック』『ポート・ジョッキー』などの名番組の番組制作者、DJ・パーソナリティーのインタビューやコラムを収録した一冊だ。

 戦後のレコード会社の洋楽担当者の第一世代である金子秀などのキーパーソンはもちろん、音楽評論家の湯川れい子や亀渕昭信、フジパシフィックミュージックの代表取締役会長を務める朝妻一郎といった現在も活躍する人々、『ロッキング・オン』の渋谷陽一を始めとした物故者、そして佐野元春らアーティストまで、様々な関係者への貴重なインタビューをまとめた本書は、日本のラジオ番組の歴史であると同時に、洋楽の受容史としても興味深い読み物となっている。

 監修を務めた音楽評論家の北中正和氏に、日本の音楽とラジオの歴史について話を聞いた。

ラジオを通して洋楽がどう紹介され、どう聞かれてきたかに興味があった

ーー本書に収められたインタビューは主に2008年に取材をされたそうですね。石坂敬一さん、渋谷陽一さんなど、この間に亡くなった方の貴重な声も収められています。

北中:当時、とある編集者さんと「本を作りましょう」という話になったとき、世界各地のさまざまな音楽を紹介するNHK-FMの番組『ワールドミュージックタイム』のパーソナリティーを担当していたんですが、2000年に開始した番組だから、8年目の頃ですね。僕は本当に喋るのが下手で、昔の方の残っているラジオ音源を聞いては、皆さんすごいなと思っていた。そこで過去の音源だけではなくて、ラジオに関わってきた人たちの歴史的な背景を辿る資料などを探してみたのですが、意外となかったんです。だったら自分が本にして残したほうがいいな、と。

ーー取材対象者は基本的に面識のある方ですか。

北中:最初は面識のある方に声をかけて、その方たちから「この人に話を聞いたほうがいい」と紹介してもらいました。文化放送で全盛期の『9500万人のポピュラーリクエスト』の構成作家などを務めていた大森庸雄さんから、同番組のプロデューサーを務めていた渡辺勲さんへ、みたいに。文化放送の社員で同番組を作った金子貞男さんも、そうした流れで紹介してもらいました。日本コロムビアで数々の洋楽の企画物をヒットさせて、レコードに帯をつける発明をした金子秀さんは、YMOの本を手がけている音楽ライターの田山三樹さんに連絡先を教えていただいた。キーパーソンと思える人を順番に当たっていった感じです。

ーー音楽評論家の福田一郎さんなど、本書の中で繰り返し出てくるキーパーソンがいますね。

北中:福田さんは、僕が『ニューミュージック・マガジン』編集部で仕事を始めた頃、原稿を取りに行っていた大先生です。ジャズからロックへと幅広く仕事をされた方ですね。福田さんはじめ、前の世代の方はジャズがベースにあるし、金子秀さんのようにクラシックに詳しい人もいますが、このムックでは、戦後のポピュラーミュージックの流れを意識しつつ、50年代のプレスリーや60年代前半以降のロックの話を中心にしました。

ーー音楽プロデューサー・村井邦彦さんのお話には、日本コロムビアなどで洋楽を担当していた金子秀さんのお話がよく出てきます。本書の金子さんへのインタビューでも戦前の教養人といった語り口で、戦後の洋楽ビジネス黎明期の闊達なムードが伝わってきました。

北中:交友関係も広いし、堅物の教養人というより、洋楽ポピュラーミュージックに関わる人らしく、遊び心がある方です。

ーープロデューサーでありながら前に出たり、様々な音楽ビジネスに携わった方も人も多い。

北中:そういう方が多かったみたいですね。元ニッポン放送プロデューサーで、パーソナリティーも務めていた高崎一郎さんはパシフィック音楽出版を作ったし、ラジオ関東の伝説的番組『ポート・ジョッキー』のプロデューサーだった鈴木策雄さんはヤマハで著作権の概念を広めたり、今の音楽ビジネスの基礎をおつくりになった。

ーーこの本の主軸は70年代前半まで?

北中:AMラジオが一番元気だった時代まで。ラジオ全体では洋楽はややニッチだけど、60年代までは音楽の中で洋楽のシェアも大きかった。ラジオを通して洋楽がどう紹介され、どう聞かれてきたかに興味があったんです。ビジネスや聴取率の成功譚というより、音楽オタク寄りのマニアックなインタビュー集。洋楽が好きな人が読めば「なるほど」が多いと思うし、史料的にも意味があると思います。

個人の顔が見えるコミュニケーションが面白かった

ーー皆さん、とても楽しそうに話している様子が伝わってきます。60、70年代の『オールナイトニッポン』が洋楽の紹介と深く結びついていたことは、80年代以降に青春を過ごした私のような世代には新鮮でした。北中さんご自身、60年代にラジオを?

北中:60年代は関西にいて、大阪・神戸・京都あたりの局と、ニッポン放送や文化放送のネット番組を聞けた。一番熱心に聞いていたのは『9500万人のポピュラーリクエスト』。オールナイト番組は実はそこまで聞いてなくて、家にいる日曜日にやっている番組をよく聞きました。関西だと東芝提供の番組や、八木誠さんがDJを務めたラジオ関西(神戸)の『電話リクエスト』、いわゆる「電リク」の走りとされる番組です。スポンサーが入らず自社制作で深夜枠を埋める番組もあって、そこではDJが曲名を言うだけで音楽をかけっぱなしだった。関西フォークがブームの頃には、マニアックな洋楽フォークも流れてました。

 家にソニーのオープンリールのテレコがあって、当時のラジオ番組はマイクを立てて録音してたけど、テープが少なくて上書きしちゃって、ほとんど残ってない。あとはジャズ喫茶や、ジュークボックスも僕にとっては貴重なメディアでした。映画にはあまり熱心じゃなかったので、基本はラジオのヒット曲番組を探しては聞くという生活でした。60年代前半まではイタリアものなどヨーロッパの曲もよくかかっていて、間口の広い聞き方をしていたのが、後に僕自身がワールドミュージックを紹介することになるきっかけだったのかもしれない。奈良の小さなまちで育ったので、ラジオやたまに観る映画が世界の窓口でしたね。

ーー『9500万人のポピュラーリクエスト』のディスクジョッキーだった小島正雄さんの印象は?

北中:話を聞けばすぐジャズ世代だとわかる、音楽の素養がある方でした。丁寧な「です・ます」調で淡々としていて、喋りすぎないけど的は外さない。おしゃれな方でしたね。当時は50代くらいかな。渡辺勲さんや金子貞夫さんに聞いた話では、ちょっと音源を聞かせればすぐにその曲の勘どころを理解して、自分なりの語りを作れる人だったそうです。のちにテレビ番組『11PM』の司会もされていましたが、音楽の紹介が嫌味じゃなかった。大人たちがビートルズを子ども向けの音楽だと見ていた時代に、価値観を押しつけず「この人たちの音楽にはこういう特徴があって、だから人気がある」と一言添えて外さない。若々しい感覚があったんでしょうね。年配のDJはかしこまった喋りが多い中で、小島さんにはどこかくだけたカジュアルさもありました。

ーー「オールナイトニッポン』の糸居五郎さんも独特の名調子で人気を博していたと聞いています。

北中:糸居五郎さんは英語を交えたリズミカルな喋りで、独自のスタイルを作っていましたね。一方で、TBSで『パックインミュージック』をやっていた福田一郎さんは、喋り方はオヤジっぽいけど、若々しい感性でロックを聞いていたのが印象に残っています。『パックインミュージック』には、川口さんというプロデューサーがいて、彼からは「音楽評論家の小倉エージさんが皿回しを手伝うこともあった」というエピソードを聞きました。僕も一度遊びに行ったことがあります。

ーー当時のラジオ制作では、少人数・低予算だからこその面白さが生まれた、という話も随所に出てきますね。

北中:テレビはスタッフが何十人にもなり、人事にエネルギーを使う。でも当時のラジオは少ない人数で作っていて、シンプルにどうやったら面白くなるかだけを考えられた。ハガキの選び方ひとつ取ってもそうで、69年から73年まで『オールナイトニッポン』のDJを務めた亀渕昭信さんは、リクエスト・ハガキをスタジオ中にブン投げて、一番遠くまで飛んだハガキの人にプレゼントをあげたり。少人数でワイワイやっているような楽しさが現場にあったはずです。

ーー番組の個性はDJの個性が反映されていた?

北中:音楽が好きな人も、詳しくなくて始めた人もいた。喋り手や構成作家は基本音楽好きだから自分の好きなものを優先するけど、公共放送だから趣味だけで、という人は少なかったと思う。チャートに関しては、子どもの頃「どうやって順位が決まるんだろう」と思っていたので、いろいろ質問しました。年月が経ってるから、皆さん正直にチャートの作り方を話してくれました。番組の個性を出すにはどうすればいいか、組織票をどう扱うかなど考えてらした。DJの個性もあるし、レコード会社の洋楽マンとの付き合いもある。とはいえ、マニアックすぎるとレイティングが下がるから、バランスは考えていたはずです。

ーー読者からのハガキが重要で、DJに名前を読まれて喜ぶ話も印象的でした。

北中:学校では誰も知らないし、親も「何それ?」だけど、番組内で「岩手の伊藤(政則)くん」「世田谷の大貫(憲章)くん」なんて呼ばれたら大喜び(笑)。僕も投稿が読まれてボールペンをもらったことがある。電話リクエスト番組では直接話すのは受付の方で、DJと直接話せるわけじゃない。それでも1分でも長く喋りたい人がいたりとか(笑)。ハガキと固定電話の時代のコミュニケーションですよね。今のポッドキャストやYouTubeと同じではないけど、個人の顔が感じられるコミュニケーションが面白かった時代だと思います。

ーー70年代に入ると、AMラジオでの音楽放送は状況が一変します。

北中:一つはFMの登場です。AMはネットする局が増えると「他局は有名タレントなのに、お前のところはアナウンサーだけか」と言われたりして、70年代にパーソナリティーがタレント化していった。音楽プロパーの番組は減り、トークでコミュニケーションを取る方向になっていきました。だいぶ後ですが、ラジオ関東も社長が変わって演歌路線になり、洋楽がほとんどなくなった時期があった。今は少し戻ってきたようですが。FMが伸びた背景にはカセットレコーダーの普及もあって、エアチェックする人が多かった。「AMよりステレオで音がいい」という幻想があり、音楽マニアはそっちへ行った。AMの洋楽番組にとっては、痛い変化だったかもしれない。

洋楽ロックの面白さを伝えたいという気持ちは共有していた

ーーラジオDJの第二世代と呼べる大貫憲章さん、伊藤政則さん、渋谷陽一さんはFM中心に活躍しますが、AMのノリをFMへと繋いだ面も?

北中:彼らはFM的感覚とAM的親しみやすさをうまく折衷したと思います。大貫さんはマニアックで、洋楽ファンが同世代へ語りかける感じ。大貫さんは感覚的だったけれど、一方で渋谷さんは理屈っぽいところがあった。伊藤さんはメタルの人だけど、糸居さんのアシスタント経験もあって、伝わりやすさを考えて喋れる。説明がうまい。渋谷くんみたいに文化と絡めるというより、音楽紹介をきっちりできる才能ですね。

ーー北中さんと渋谷さんは、『ロッキング・オン』創刊当初から交流があったそうですね。

北中:若い頃はロックの仕事をしている人自体が少なく、記者会見に行けば全員集まる。『ミュージック・ライフ』も『ミュージック・マガジン』もいて、渋谷くんも『ロッキング・オン』創刊前から出入りしてた。コンサートで会えば「最近、面白いのある?」と話す程度の関係でしたが、渋谷桜丘町の喫茶店「マックスロード」で喋ったこともあります。彼に「ミュージック・マガジンなんかやめて、ロッキング・オンを一緒にやろう」と言われたこともありました。

ーーのちの世代から見るとミュージック・マガジン系とロッキング・オン系では印象が異なりますが、当時の編集者や書き手の間には仲間的な交流もあったのですね。

北中:表現の仕方は違うけど、まだ洋楽ロックが広く聞かれていない時代に、面白さを伝えたいという気持ちは共有していたと思う。今から考えると、洋楽のほうがかっこいい、みたいな若い思い上がりもあった。60年代の途中から、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス……といろんなアーティストが登場してきて、音楽が複雑になって内面まで表現していくのを聞くと、日本の歌謡曲は違いすぎて当時はダサいと感じた。とはいえ、ジャックスやフラワー・トラベリング・バンドには同時代性を感じて興味を引かれました。

ーーミュージシャンが語るFM番組が増え、ラジオの音楽番組はまた新しい時代に入っていきました。

北中:佐野元春さんが1981年4月に『サウンドストリート』でDJを務めて以降、ミュージシャンが身の上相談をする兄貴役というより、自分が影響を受けた素晴らしい音楽を紹介する形に変わった。先駆けとしては大滝詠一さんの『GO! GO! NIAGARA』もあったし、内容がマニアックでも成立することがわかって局側もやりやすくなったのかなと。佐野さんはデビュー前にラジオの番組を制作していて、いろいろと苦労もされたみたいです。

ーー前述の音楽評論家の福田一郎さんは80年代以降も長く活躍されましたが、90年代にライブでよくお姿を拝見しました。98年のプロディジー来日公演をご覧になっている姿も印象に残っています。

北中:福田さんは売れてるものはちゃんと観に行くというポリシーを晩年まで貫いていました。いつも「もっと映画を見に行かなきゃダメだ」とアドバイスされました。洋画をちゃんと観ないと、アメリカの日常感覚がわからない、と。僕が初めて会ったのはTBSで『パックインミュージック』をやっていた頃で、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング『Deja Vu』をいち早く紹介していた記憶があります。当時の福田さんは50代で、僕は20代。喋りも、ただ「アメリカで売れてる」ではなく、背景やサウンドをちゃんと知っていた。60年代頭まではジャズの番組をやっていた人でもあるし、業界内では煙たがられる面もあったらしいけど、我々には優しかった。

 『ミュージック・ライフ』の縮刷版を見たら、福田さんが1955年頃にリズム・アンド・ブルースの記事を書いていて驚いた。日本でR&Bという言葉がそんなに早く紹介されていたとは知らなかった。ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がR&Bとして紹介されていた、という話もあって、ジャズのスウィングやジャンプ・ブルースからR&Bへ移るつながりを再確認できたのも、今回のムックを作ってよかったことです。

ーー当時、ロック・アンド・ロールといえばダンスのスタイルを指していた、という話も面白かったです。

北中:中川三郎さんという有名なダンサーの方がいて、彼によってロックンロールは当初、踊りの名前として広まったそうです。1957年の映画『嵐を呼ぶ男』には、ジャズ喫茶でロックンロールやジャンプ・ブルース的な曲を歌う場面があって、日本にもそういう境目の瞬間が映像として残っていた。石原裕次郎がドラムを叩くシーンも、実際に演奏しているのは人気ジャズドラマー白木秀雄さんだったりして、本当にジャズの人が陰で支えていた。この本はラジオ番組の本ではあるけど、日本の洋楽受容史でもある。いろいろな方の証言を残せたのはよかったです。

ーーオーラルヒストリーとして貴重な資料になっていますね。

北中:2008年に取材して、当時は出版することができなかったけど、記録だけでも取っておいてよかったです。2025年が日本のラジオの100周年だと聞いて「もう今しかない」とシーディージャーナルに相談して、ようやく出せました。昔は洋楽と言ってもクラシックを指した時代があった、というところから勉強になったし、楽しく仕事できました。

ーー写真も印象的でした。

北中:当時はまだ20代前半の湯川れい子さんの貴重な写真や、中村とうようさんが亀渕昭信さんや高崎一郎さんと一緒に写っている写真もある。とうようさんは単発でいろいろやっていて、景気が良かった70年代の中頃に『イレブン・サーティ・ブルース』という30分のフォークやブルースの番組をやっていた記憶もある。深みがあってラジオ向けのいい声でしたね。『イレブン・サーティ・ブルース』では僕も一回だけ喋ったことがある。

ーー若い世代にどう読んでもらいたいですか。

北中:音楽に限らず、自分がいいと思うもの、好きで価値があると思うものを信じることが大事です。直接携わるような仕事ができなくても、そういう気持ちを忘れないで、いろんな経験を積めば、視野が広がり豊かになり、ひいては世の中も楽しくしてくれる。この人たちはみんなそれをやっていた。今はメディアがたくさんあって、YouTubeやSNSで自分なりに世の中に貢献ができる環境があります。他人のことをディスってばかりじゃなく、面白いことを発見して発信すればいい。客観性や俯瞰的な視点も持ちながら、いいと思うものの良さをどう広めるかが大事です。この本は堅苦しい話じゃないから、どこからでも読めて、いろんなつながりが見えてくる。若い方には、おじいさん・お父さんの世代の話だけど、ぜひ手に取ってほしいです。

ーーキラキラした時代の記録であり、登場人物も魅力的です。

北中:大森庸雄さんも渡辺勲さんも当時は10代~20歳そこそこで、全国に届く放送をやっていた。今やフジパシフィックミュージックの会長になっている朝妻一郎さんだって、16歳の頃からニッポン放送で高崎一郎さんのアシスタントをしている。夢中でこの世界に飛び込んだ人たちの記録でもある。一見すると大人の本に見えるけれど、みんな子どもの魂を持っていた。そういうキラキラしたところを楽しんでもらえたら嬉しいです。

■書誌情報
『ラジオからロックンロールが聞こえる』
監修:北中正和
価格:3,300円
発売日:2025年12月3日
出版社:シーディージャーナル

■イベント情報
『ラジオからロックンロールが聞こえる』発売記念トーク・イベント
「ラジオと洋楽マンの時代」第1回
ゲスト:篠崎 弘 / ホスト:北中正和
日時:4月11日(土)13:30開場 / 14:00開演
会場:東京・西荻窪 3313アナログ天国
https://3313cafe.jimdofree.com/
料金:3,000円(1ドリンク付き)

 『ラジオからロックンロールが聞こえる』(シーディージャーナル刊)の発売を記念して、ラジオが輝いていた時代の音楽番組や音楽について、監修者の北中正和が洋楽マンと語り合うシリーズをはじめます。第1回目にお迎えするゲストは篠崎弘さんです。朝日新聞で音楽欄を担当されていた篠崎さんは、幅広い知識と人脈を活かして数多くの洋楽関係者の発言をまとめた『洋楽マン列伝』(ミュージック・マガジン刊)の著者でもあり、その本の登場人物の何人かは『ラジオからロックンロールが聞こえる』とも重なっています。長年にわたって音楽業界の推移を制作現場の近くから眺めてきた2人ならではの話と音楽をお届けします。

篠崎 弘
1952年千葉県生まれ。元朝日新聞編集委員。1985年から音楽担当。マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、デイヴィッド・ボウイ、ルー・リード、ジミー・ペイジ、美空ひばり、坂本龍一他を取材。2010年から2019年まで『レコード・コレクターズ』誌に「洋楽マン列伝」を連載。

北中正和
1946年奈良県生まれ。音楽評論家。編著書に『毎日ワールド・ミュージック』(晶文社)、『ロック史』(立東舎文庫)、『ボブ・ディラン』(新潮新書)、『ラジオからロックンロールが聞こえる』(シーディージャーナル)など。https://wabisabiland.net/

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