大槻ケンヂの音楽が、小説家のクリエイティブを刺激するーーオーケンと、筋少どっぷりの小説家による『筋肉少女帯小説化計画』座談会

大槻ケンヂ『筋肉少女帯小説化計画』座談会
『小説集 筋肉少女帯小説化計画』(KADOKAWA)

 筋肉少女帯の曲が、小説になった。ボーカルで作詞を担当する大槻ケンヂは、サブカルやオカルトに傾倒するやっかいな青春を歌ってきた。

 2025年5月刊行の『小説集 筋肉少女帯小説化計画』(KADOKAWA)では、筋少の幻想的、奇想的な世界を、辻村深月、柴田勝家、滝本竜彦、空木春宵といった作家たち、バンド「人間椅子」のフロントマンであると同時に文筆家でもある和嶋慎治、そして大槻ケンヂ自身が、小説にしている。

 大槻と柴田、滝本、空木の座談会をお送りする。(6月24日取材・構成/円堂都司昭)

筋肉少女帯の音楽が青春の1ページだった

大槻ケンヂ氏

――以前、人間椅子の曲を小説化する企画で大槻さんも参加した『夜の夢こそまこと 人間椅子小説集』(2022年)が、今回と同じくKADOKAWAから刊行された際、同バンドのギター&ボーカルの和嶋慎治さんをインタビューしました。その時、同席した編集者の方が、次に筋肉少女帯の小説集が出せたらと話していた記憶があるんですけど、その頃から『筋肉少女帯小説化計画』の企画は始まっていたのでしょうか。

大槻:人間椅子の小説集が出た時、まぁ出版社はそんなことをいうだろうと、「次は筋少小説集ですね」「あはは」みたいな感じでいたら本当に出ることになって、えっ、マジかって驚いた。作家のみなさんを前にして言いにくいんだけど、僕にとって小説を書くのは本当に大変で、『人間椅子小説集』に書いた「地獄のアロハ」を最後にもう絶対書かないつもりだったんです。でも、筋少小説集が出るなら、自分も書かないわけにいかないじゃん、ヤバイってなった。

――参加する作家の方々は、どのように選ばれたんですか。

大槻:編集者さんとのお話でだんだん座組が決まっていった。この方はやってくださるかなと話だけ出た方もいて、村上春樹さんはどうかなとか(笑)。

――辻村深月さんは前に大槻さんと対談していたし、辻村さんの『オーダーメイド殺人クラブ』の文庫解説を大槻さんが書いていましたよね。筋少と人間椅子の対バンや共作などで、大槻さんと和嶋さんのつきあいは長い。それ以外で大槻さんと昔なじみなのは、滝本さんですか。

滝本:私が原作を手がけたアニメ『N・H・Kにようこそ!』(2006年)のエンディング・テーマ「踊る赤ちゃん人間」を筋少の大槻ケンヂさんと橘高文彦さんに作っていただきました。あと、大槻さんの小説『グミ・チョコレート・パイン』のパイン編の文庫解説を私が書かせていただいたんです。今回の企画の依頼をメールでいただいた時、すぐ「レティクル座行超特急」で書こうと思いました(小説のタイトルは「日光行わたらせ渓谷鐡道」)。でも、曲に迷いもあって、それが「サンフランシスコ10イヤーズ・アフター」でした。

滝本竜彦氏

――同曲を書いたのは柴田勝家さんでした(小説のタイトルは「十光年先のボクへ」)。「サンフランシスコ10イヤーズ・アフター」は「サンフランシスコ」の後日談ですね。

柴田:ワシも誰か書くんじゃないかと悩んで、KADOKAWAさんに確認を入れました。

空木:今回小説化された曲をライブで演奏するのは、最初から決まっていたんですか。

大槻:次のツアーは『筋肉少女帯小説化計画』という本と同じタイトルにしよう、とりあげていただいた楽曲はすべてやろうと考えていたんです(2025年5-6月に実施)。でも、まさかの「サンフランシスコ10イヤーズ・アフター」。これは筋肉少女帯でもライブ演奏したことがなくて、マジかーって。

滝本:筋少が1999年にいったん活動を凍結する前の年の曲ですね。

大槻:『SAN FRANCISCO』ってコンピレーションにだけ入っていて、サブスクになってない。僕は自分のアルバムを聴くことがないので、今回やるにあたって30年ぶりくらいにCDをかけようとしたら、ディスクが入ってなかった(笑)。なんか、ほかのアルバムのケースに入ってて、ようやく聴けた。

空木:CDがあってよかった。

大槻:あの曲はラジオ劇みたいになっていて、レコーディングに参加してくれた人たちが何人か、『筋肉少女帯小説化計画』のライブに来てくれたんです。そのうちの1人は当時参加予定だったけど寝坊して、行ったら録音が終わっていたっていう。今になって、そんな裏話を知ることができた。

――みなさん、青春時代に筋少を聴かれた世代なんですか。

滝本:私の青春の1ページみたいな感じです。冷静に考えて、ああいう曲をあんなに聴いて影響を受けて、私の人生大丈夫なのかというのもありますけど(笑)。

空木:自分に青春っていうものがあったのかな。

全員:(笑)。

柴田:一般的な青春とは、違う形ですね。

――辻村さんの選んだ曲が「中2病の神ドロシー」だったように、いわゆる中2病的な青春だったのですか。

滝本:小学校高学年の頃、筋少のメジャー2枚目のシングル「元祖高木ブー伝説」が流行っていて、進研ゼミのCMに9枚目のシングル「蜘蛛の糸」が使われていた。私がいた北海道の人口数千人の街でも、けっこう聴かれていました。

大槻:今思うと、なぜ進研ゼミで使われたのかわからない。あの曲は受験生を全然応援してないのに。

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