大槻ケンヂ×ISHIYAが語る、80年代ハードコアの衝撃 「完全に『マッドマックス』の悪影響(笑)」

大槻ケンヂ×ISHIYA ハードコア対談

 THE TRASH、GHOUL、BAD LOTS、MASAMI & L.O.X、SQWADでボーカリストを務め、1992年に34歳の若さでこの世を去った片手のパンクス・MASAMIの生き様に迫ったノンフィクション『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』(4月30日発売/blueprint)が、各所で話題を呼んでいる。FORWARD/DEATH SIDEのボーカリストとして国内外へジャパニーズ・ハードコアを発信し続けているISHIYAが、関係者への綿密なインタビューをもとに綴った同書は、これまであまり記録されてこなかった80~90年代のハードコアシーンを臨場感たっぷりに伝える一冊として、当時を知るアーティストたちからも様々な声が寄せられている。

 筋肉少女帯や特撮のボーカリストであり、作家としても知られる“オーケン”こと大槻ケンヂもまた、同書についてTwitterなどで熱くレコメンドしてくれたアーティストのひとりだ。屋根裏などのライブハウスでハードコアシーンを横目に見ていた大槻は、MASAMIという傑物に畏敬の念を抱いていたという。いったいどんな出来事があったのか? 著者のISHIYAと対談してもらった。(編集部)

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ムチで戦うマサミさん

ISHIYA『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』(blueprint)

大槻:ISHIYAさんの『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』、すごく面白かったです。あっという間に読んじゃいました。僕がマサミさんをはじめて認識したのは、1983~1984年頃に高円寺のレンタルビデオ屋で借りた『天国注射の昼』(※1981~1983年に日比谷野外音楽堂で開催されたインディーズロック・フェスティバル)のビデオでした。JAGATARAが好きだったので観ていたのですが、GAUZEが登場したら客席でめちゃくちゃに暴れていらっしゃるモヒカンの方がいて、その人がMASAMIさんでした。よく見ると片手がないのに、マイクスタンドでそこらのお客さんをどついたりしていて、死ぬほど怖い人がいるな……と(笑)。とにかくすごいインパクトでしたね。筋肉少女帯はちょうど1983年頃から新宿JAMとか屋根裏でライブをやり始めたんですけれど、そうするとハードコア方面から怖い噂がいろいろと流れてきて(笑)。

ISHIYA:まあ屋根裏ですからね(笑)。バンド活動を始めた頃はハードコアとの接点はなかったんですか?

大槻:当初はあまりなかったのですが、ISHIYAさんの本を読んだら、やっぱり知っている人がたくさん出ていました。ニューロティカとか、ゲンドウミサイルとか、キャプテン・ティンカーベル(THE LONDON TIMESの亀山哲彦)とか……。

ISHIYA:ゲンドウミサイルがナゴムでやっていた1986年頃に豊島公会堂で「第二回ナゴム総決起集会」っていうイベントがあったじゃないですか。あの時に俺、ゲンドウミサイルの池袋コーラス隊をやっているんですよ。

大槻:え、マジですか!?

ISHIYA:あの時に、筋肉少女帯を初めて観ました。

大槻:そうだったんですね! 僕、どこかでお会いしていますよね?

ISHIYA:1986年くらいに野音でThe Adictsが初来日して、GASTUNKとかYBO2が出たイベントがあったじゃないですか。有頂天が出番でもめたイベント。

大槻:ありました! 僕はケラさん(ケラリーノ·サンドロヴィッチ)に呼ばれて、最後のドンチャン騒ぎに出てくれって言われて……。

ISHIYA:YBO2のときに客席で花火を打っていたのが俺です(笑)。ハードコアは俺らの世代になってからは、ナゴムレコードとかトランスレコードとも繋がりがあって、筋肉少女帯も観に行ってました。ナゴムの中で一番メタリックでハードな音だったので、好きだったんですよ。ナゴムは笑えるところもあるし、人生(電気グルーヴの前身となるバンド)とかもみんなで大笑いして観てましたね。

大槻:嬉しいです! 筋肉少女帯はヘビーメタル世代なんですけれど、そのころはニュー・ウェイヴやジャパコアも出てきてたから、すべてのミクスチャーみたいなものをやろうとしていたんだと思います。だからハードコアシーンに対する憧れはありました。だけど「消毒GIG」のフライヤー見て「ヤベェ、怖ぇ!」ってビビったりして(笑)。行きたくても怖くて近づけなかったんですよね。だって、屋根裏の雑居ビルと隣のビルの間には、ハードコアバンドに殴り殺された客の白骨死体が積み上がっていて、もうじき屋根裏のところまで届くらしい……みたいな噂が流れてくるんですよ?

ISHIYA:ぎゃはは(笑)。まあ、隣のビルから屋上に飛び移って、タダで入るやつとかはいましたけどね。

大槻:やっぱりヤバいじゃないですか(笑)。で、僕らも屋根裏でよくライブをしていたんですけれど、ある時、店の前で大喧嘩があったんです。それで見に行ったら、モヒカンの人がムチでサラリーマンをしばいていて、サラリーマンはネクタイをムチにして応戦していたんですよ。インディ・ジョーンズのワンシーンみたいな感じで。

ISHIYA:それは完全にマサミさんでしょうね(笑)。当時、ハードコアバンドに劇場でSMショーの仕事をしている人がいて、ムチが手に入ったんですよね。で、それをもらったマサミさんは面白がって対人使用する。新しい武器が手に入ると手当たり次第に使うし、しかも突然出すんです。だから俺、武器が出た瞬間に逃げ回っていました。

大槻:ムチとかスタンガンとか、スタンガン付警棒とか持っているんですよね。『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』では、「T大オールナイトGIG」で暴れていた時に使っていた武器が警棒だったかヌンチャクだったかで証言がわかれるところもあって、どちらにせよ恐ろしいなと(笑)。で、そんな風にマサミさんの伝説が僕らの周りにも届いていたところに、さっきの喧嘩があったんです。僕も前の方で見ていたんですけれど、そしたらマサミさんらしき人に突然「お前かぁ!」って怒鳴られて。慌てて「いや、俺じゃないっス! 俺じゃないっスよ!」って叫んで逃げたんです。それがのちにナゴムで「オーケンの『俺じゃないっスよ』事件」として語り継がれました(笑)。

ISHIYA:マサミさんは当時、常に武器を持ち歩いていて、ストリートでいきなり喧嘩を仕掛けるのとかが日常茶飯事だったんですよね。

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