千街晶之のミステリ新旧対比書評 第10回:笹沢左保『結婚って何さ』×王谷晶『ババヤガの夜』

昭和の人気作家には、どうしてそんなに膨大な数の作品を書けたのか不思議に感じる書き手が少なくないが、そのひとりが笹沢左保である。初長篇『招かれざる客』(徳間文庫)で1960年に本格的な作家デビューを果たし、その年のうちに『霧に溶ける』(祥伝社文庫)、『結婚って何さ』、『人喰い』(双葉文庫)という高水準な3長篇を立て続けに発表したのだから筆の速さは尋常ではない。その後、ミステリのみならず「木枯し紋次郎」シリーズなどの時代小説・歴史小説もエネルギッシュに発表し、生涯で370冊以上の著書を刊行したとされる(やたら改題が多い作家なので数え方には注意を要するけれども)。
■1960年刊行 大胆なミステリ的趣向を秘めた傑作

2021年に始動した徳間文庫の復刊専門レーベル「トクマの特選!」では、「有栖川有栖選 必読! Selection」と題して、笹沢を敬愛する有栖川有栖の解説を巻頭と巻末につけ、選りすぐりの傑作を復刊するという企画が目玉のひとつとなっていた。そこで復刊されたうちの1冊『結婚って何さ』は、1960年に東都書房から刊行され、その後は春陽文庫、文華新書、講談社文庫、光文社文庫などを経て、この2022年の徳間文庫が最新版となっている。タイトルだけ見ると全くミステリらしくないが、実は大胆なミステリ的趣向を秘めた巻き込まれ型サスペンスだ。
主人公の遠井真弓は非正規雇用の事務員だったが、上司の嫌味な説教に耐えかねて、その場で退職を宣言。会社を飛び出したところで、後ろから同僚の疋田三枝子に呼び止められる。彼女も職場が嫌になって辞めてきたのだ。明日からは無収入だが「辞めてサバサバしたわ」というハイな心境の2人は酒場をハシゴし、その最中に右目に眼帯をかけた男と出会う。森川と称するその男と旅館の離れに泊まった2人だが、次の朝、彼は絞殺死体と化していた。
離れは内側から鍵がかかった密室状態。どう考えても疑われるのは自分たちだ……というわけで、真弓と三枝子はその場から逐電。とはいえ、何か当てがあって逃げ出したわけではない。新聞で捜査の進捗具合を確認して一喜一憂し、警官の姿を見れば怯え……と、スリリングな逃避行が繰り広げられる。こういう状況を描かせればウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)が抜群に巧いが、笹沢も逃亡の恐怖に犯人当てやアリバイ崩しの興味を巧妙に織り込んで一気に読ませる。
パワハラ・セクハラを日常茶飯とする悪代官じみた上司に啖呵を切り、今で言えば派遣社員の立場を捨てて自由の身になった真弓と、やや気が弱いながらも義憤から彼女についてゆく三枝子の姿は、令和の読者にとっても感情移入できるだろう。ただし、この2人のコンビは長くは続かず、中盤からは別の人物が真弓の逃避行の相棒となる。この人物が持つ情報がないと事件の構図が見えてこないのでやむを得ないのだが、真弓と三枝子のコンビが事件の真相まで辿りつく姿を見てみたかったとも思わせる長篇である。























