直木賞作家・東山彰良、最新作『三毒狩り』インタビュー「これまでにないような蘇生譚を書きたかった」

東山彰良『三毒狩り』で世界を目指す

 東山彰良『三毒狩り』は、冥土から蘇った青年が奮闘するエンタテインメント大作だ。国民党との内戦後、共産党が権力を握った中国で、捨て子の佟雨龍(とううりゅう)は、奔放な姉・李平(りへい)、犬の皮蛋(ぴーたん)などとともに少年時代を過ごした。そんな日々のなか、共産党の村幹部・田冲(でんちゅう)の赴任が一家に災いをもたらし、佟雨龍は殺人の罪で銃殺刑に処される。だが、彼は条件つきで地獄からこの世への帰還を許される。その条件とは、人間界に逃げ出した三毒(貪欲、怒り、愚痴の化身)の討伐だった。(6月18日取材・構成/円堂都司昭)

東山彰良『三毒狩り』上下巻(毎日新聞出版)

これまでにない蘇生譚を書きたかった

東山彰良氏

――『流』(2015年)、『怪物』(2022年)など、国共内戦以後の中国、台湾を舞台にした作品を東山さんはこれまでにも書かれていますが、『三毒狩り』は冥土からの蘇りを描いたのが特徴かと思います。この物語を書こうとしたきっかけはなんでしょう。

東山:自分のなかでアイデアがいくつか断片として蓄積されていたんですけど、僕はまずゾンビものが好きなんです。西洋のようにムシャムシャ人間を食べて、ヘッドショットをかましたら死ぬようなゾンビではなく、これまでにないような蘇生譚を書きたいという思いがずっとありました。『三毒狩り』に関しては、作中にも出てくる「六道輪廻図」(6つの世界を輪廻転生する様子を描いた仏教の図)を知った時、真ん中に描かれている蛇、鶏、豚を見て、これは何だろうと調べたら、貪欲、怒り、愚かさという三毒の具象化だとわかった。これを使って死者蘇生譚が書けないか。地獄を揺るがす大きな出来事をきっかけとして、しかも中国が舞台だとすると、同国は1964年に初めて核実験を成功させていた。そうしたアイデアがちょっとずつ蓄積し、熟成されて今回の物語の形に表出したのかなと思います。

――ゾンビものがお好きということですが、東山さんが昨年刊行した『邪行のビビウ』は、呪術で死者を操る話でしたよね。

東山:ある時期に2つアイデアが浮かんで、1つは「趕屍(がんし)」でした。うちの母の故郷は中国の湖南省なんですけど、その西の方に、死者を歩かせて家に連れ帰る「趕屍」という風習があって、これはみなさんが知っているキョンシー伝説の元ネタなんです。「趕屍」に関する本を手に入れたので、これを使えばゾンビがぞろぞろ歩く災厄の世界とは違う蘇生譚が描けるかなととり組んだのが『邪行のビビウ』でした。同作と『三毒狩り』のアイデアは、同時に訪れたんです。ゾンビものを同時期に書くのはどうなんだと思いましたけど、実は『三毒狩り』の方がずっと先に書き始めていた。原稿をけっこう寝かせる時間があって、毎日新聞夕刊で連載した後に今回の書籍化となりました。その間に『邪行のビビウ』を書いたんです。

――ということは、『三毒狩り』は何年前から……。

東山:最初の形ができたのは2021か2022年で、連載を始める1年くらい前に原型はできていました。それから何度も推敲を重ね、今の形に落ち着いたんです。

――『邪行のビビウ』は架空の国で物語が展開しますが、『三毒狩り』は中国が舞台です。

東山:自分がよく知っていて、書いても違和感がないところを舞台にしようと思ったんです。僕は台湾で生まれ日本で育ったんですけど、ルーツをたどると中国大陸の山東省になる。祖父がいた年代の山東省をいつか書いてみたいと思って、実際に現地へ足を運び、祖父の兄弟分だった方を訪ねたりしました。『三毒狩り』で国民党側の「生き埋めの王」として葉尊麟(ようそんりん)を書いていますけど(『流』にも登場)、祖父は同じようなバックグラウンドを持っていて山東省に碑が立っている。街の歴史文献にも祖父の名がありますけど、その人生を書くのではなく、キャラクターのなかに織りこむようにしました。

 祖父の世代は、実際に国共内戦を戦ったんです。小さい時から父方、母方、両方の祖父から少しずつ話は聞いていたので、身近な感じはありました。僕は日本の歴史時代小説を読むのは苦手ですけど、『水滸伝』、『西遊記』といった中国ものはすんなり読めるんです。生い立ちも関係しているのでしょうが、その流れで祖父世代の戦争を物語の背景にしました。

――『三毒狩り』には九紋龍史進、青面獣揚志など中国の古典『水滸伝』のキャラクターに関する言及がしばしば出てきますが、同作の舞台が山東省だったのを思い出しました。

東山:昔から山東省の男性は、中国のなかでも体が大きかったようです。農閑期に武術の鍛錬をしたりして、義和団もここから出てきましたし、血の気の多い土地柄らしい。だから、自分のルーツでもあるし、そこに架空の村を設定して死者蘇生譚を書いたんです。

――作中には『水滸伝』以外にも『三国志』、『西遊記』などへの言及がありますが、そういった中国の古典は意識したんですか。

東山:それほどたくさん読んではいませんけど、僕は莫言(ばくげん)が好きなんです。莫言も山東省出身で、そこに架空の地名を作って書いた小説がいくつかある。僕がそういうことをしても不自然じゃないだろうと、自分にいい聞かせて書きました。

「あきらめ」が1つのキーワード

――『三毒狩り』は主人公の佟雨龍、姉の李平をはじめ、キャラクターがとても魅力的です。どういう風に発想していったんですか。

東山:佟雨龍は拾い子の設定なので、苛烈な性格の方が血のつながりのない家族にコミットできると考えました。血のつながりはなくても俺たちは家族なんだという、ちょっと少年マンガっぽいところから始めて、全体を最後まで読んでいただくと「あきらめ」が1つのキーワードとして浮かびあがる。少年マンガなどではこういうキャラクターは最後まであきらめない作品が多いでしょうけど、逆にあきらめの境地までもっていく。その落差を見せるべく、佟雨龍を苛烈な性格にしたんです。だから最初は、激しいという意味で「佟雨烈」という名前にしようかと考えたんですが、それだと語感がよくない。「龍」の方が中国人の名前に合いますし、読者は日本人を想定しているのでドラゴンのイメージの「龍」を使ったほうがわかりやすいでしょうから、こうしました。

――ヒロインの李平の性格も、かなりのものですよね。

東山:中国人の女性って、僕のなかでは強いイメージなんです。中国の街なかで女性と男性がつかみあいの喧嘩をしているのは珍しくないですし。李平は楚々としたタイプではなく、負けん気が強くて鉄火肌です。それで弟は、喧嘩をしながらお姉さんとの絆を深め、どこかでふと互いをいたわる。そういうキャラクターにしたかったんです。李平は抜け目がないようでいて、思いこんだら一途なので悪い男につけこまれ、いいようにされてしまう。美人だけど痛ましい女性でもあります。

――それに関しては、李平と田冲の関係が一筋縄ではいかないあたりが面白い。

東山:李平のような女性が好きになる男性として説得力があるのは、見目麗しいことでしょう。それならわかりやすいし、読者もすんなり入っていけるのではないか。でも、田冲はそれだけの存在ではなく、佟雨龍には化け物じみて見えていた。それで最後の最後に田冲をうまく使えば、佟雨龍の怒りを相対化できそうだと考えました。戦争の際に田冲がなぜ佟雨龍の父・佟継漢をそこまで嫌ったのかを織りこむことによって、田冲の目からはこちらが三毒に見えていたという風に、視点を相対化できると思ったんです。

――ストーリーに関しては、最初の段階でだいたい固まっていたんですか。

東山:僕はプロットを固めて物語を書いたことが今まで一度もない。どうしても書きたいシーンがあると、そこに向かっていくんですけど、物語が分岐点にさしかかった時にどう進むかは僕にも予測がつかない。

――いわゆるキャラクターが動く感じになるんですか。

東山:そうですね。物語が動く方向を僕が邪魔せず、分岐点にきた時にこっちへ行った方が自分が楽だからと設計図通りに進むのではなく、こっちへ行ったら険しいしどうなるか見当もつかないけど、物語としてはこっちの方が絶対正しいという直感にしたがって書きます。

――このキャラクターが書きやすかった、逆に書きづらかったというのはありますか。

東山:キャラクターを説明するのは、その人が持っているエピソードなのですが、李平に関してはわりと最初からエピソードが降ってわいてきたんですよ。男にひどいことをされても、どうにかこの世界をたぶらかそうとして、後半には彼女が幼馴染をだまくらかすところがある。ああいうシーンがポッと浮かぶ。いけしゃあしゃあというか、そんな女性にしたかった。書いていて面白かったです。

――破天荒なキャラクターが多い一方、主人公たちを諭す無空和尚はよくできた人です。

東山:小説でも映画でも、社会の良識を体現し道理を説くキャラがいないと物語が締まらない、収拾がつかなくなる。破天荒なやつらなので誰かに束ねてもらわないと同じ方を向かない。

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