千街晶之のミステリ新旧対比書評・第8回 松本清張『神々の乱心』×奥泉光『雪の階』

■オカルト的要素の継承的作品『雪の階』

『神々の乱心』には、安倍晴明の末裔による陰陽道の降霊術、奈良時代の呪詛事件、月辰会の教義のもとになった中国の占い……等々のオカルト的要素がふんだんに盛り込まれている。それを意識し継承したのが、二・二六事件に至る時代を背景とする奥泉光の歴史ミステリ『雪の階』だ。2018年に中央公論新社から刊行され、同年に第31回柴田錬三郎賞と第72回毎日出版文化賞をダブル受賞、現在は上下巻の中公文庫で読める。
華族の令嬢・笹宮惟佐子を主人公とする本作が、武田泰淳の『貴族の階段』の本歌取りであることは明らかだ(『貴族の階段』の現行の中公文庫版解説は奥泉が執筆している)。また、『雪の階』中公文庫版の解説で加藤陽子が指摘しているように、作中のある人物の運命は、二・二六事件を背景とした三島由紀夫の短篇「憂国」(『花ざかりの森・憂国』所収、新潮文庫)を想起させる。『雪の階』の文体も、三島を意識したような印象だ。
だが、この作品からは、松本清張作品へのオマージュも散見される。笹宮惟佐子は、親友の宇田川寿子が陸軍士官の久慈中尉とともに富士の樹海で死体となって発見されたと知り、死の真相を探りはじめるが、一見心中のように見える男女の死体発見は、言うまでもなく『点と線』へのオマージュだ。本書のもう1人の探偵役である写真家の牧村千代子と、新聞記者の蔵原誠治のコンビによる探索はトラベル・ミステリの趣がある。また、千代子がある人物を目撃する場所が日光中宮祠の駐車場なのは、清張の短篇「日光中宮祠事件」(角川文庫『日光中宮祠事件』所収)を想起させる。
しかし、『雪の階』と最も近い距離にある清張作品は『神々の乱心』だ。寿子と久慈の変死に始まる一連の事件の背後では、さまざまな勢力の思惑が交錯しており、それらは少なからずオカルトの色合いを帯びている。例えば、惟佐子の伯父・白雉博光が属しているベルリンの心霊音楽協会は、ナチスの意向に従って芸術文化の再構築を目的とする団体であり、博光は神に近い人種——ゴットメンシュ(神人)がアーリア人種と日本人種の共通の祖先だという奇説を唱えている。彼の著書には、大陸から渡ってきた天皇家の祖先はユダヤ人であり、神人ではないから廃すべきである——という途方もない「不敬」な思想が記されている。また後半に登場する尼寺の庵主は、霊能力を持つと称し、陸軍にも人脈を拡げている。
惟佐子は冒頭から、一種の幻視者であるかのように描かれている。そんな彼女が、後半、ある人物と夢うつつのうちに問答を交わすくだりは幻想小説的な筆致だ。血族の驚くべき秘密に戸惑わされる惟佐子だが、最後はその妄執と狂信を断ち切る。この結末において、奥泉は晩年の三島のファナティシズムではなく清張の現実主義と歩調を合わせているが、それを三島調の耽美的な文体でやってのけたところに感嘆させられる。






























