古人骨のDNAが失踪した妹のものと一致? 30万部突破の大注目ミステリー『一次元の挿し木』著者・松下龍之介インタビュー

『一次元の挿し木』松下龍之介インタビュー
松下龍之介『一次元の挿し木』(宝島社)

 2025年第23回『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作となった松下龍之介のデビュー作『一次元の挿し木』(宝島社)が、その斬新な設定で話題を呼び、早くも30万部突破のベストセラーとなっている。

 ヒマラヤ山中で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝学を学ぶ悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹のものと一致した。不可解な鑑定結果から担当教授の石見崎に相談しようとするも、石見崎は何者かに殺害される。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室からは古人骨が盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出し、予測もつかない大きな企みに巻き込まれていく--。

 遺伝子学を踏まえたスケールの大きな謎を提示しながらも、魅力的なキャラクターとスピーディーな展開で読者を虜にする本作は、どのように書かれたのか。著者の松下龍之介にインタビューした。聞き手は、文芸評論家の杉江松恋。(編集部)

物語の着想はどこから?

松下龍之介

——『一次元の挿し木』は遺伝子学に関する先端情報などがふんだんに取り入れられ、主人公・悠(はるか)が陥る危機的状況がスリリングに描かれる、第一級のエンターテインメントでした。「着想」と、その「書きかた」と「文章」。三つが揃って初めてミステリー小説は成立すると思うんですけど、私が特に感心したのは二つ目の「書きかた」でした。序盤でまだ大きく物語が動き始めてないところで、主人公を含めて複数の登場人物たちの思惑が、ほのめかしのような形で書かれる箇所があります。ここがミステリーとして大事なところですよね。そこが伏線となっていて、後から読み返してみると「だから、こういう風な表情をしたのか」「こういうことを言ったのか」といちいち納得させられる。非常にミステリーらしい構造になっています。この感覚はどうやって身に付けられたものなのでしょうか。

松下龍之介(以下、松下):伏線ということで言えば、とりあえず最後まで書き終えて、それから序盤をもう一回作り直すようなこともやっています。たとえば、最初に葬式にやってきた主人公がハンマーで棺桶を壊すと場面があるんですけど、あれは後になってから付け加えました。バババッと書いてから、整合性を取るという書き方ですね。最初の出発点は序盤で明かされる、インドで発掘された200年前の人骨のDNAが失踪した妹のものと一致した、という事実からです。そこから組み立てていきました。

——「一致したら」って、言うは易しですが結構無茶な発想じゃないですか。たしかにそれが一致したら面白いだろうな、とは思いますけど、それにどう始末をつけようか、というのは最初から思いついていたんですか。

松下:最初の段階では考えていなかったです。内容を詰めていく中で、これはどういう場合なら一致するのかな、って考えていったんです。いろいろ考えられる可能性はあると思うんですよ。僕はもともとミステリーを書かなければならないという考えはそこまで持っていなかったので、SFやホラーに振った解決策も選択できたんです。それこそタイムスリップさせてしまえばいいんだし。だから、どうにかなるだろう、と思っていました。ただ最終的には、いちばん読者が納得する選択肢はどれか、と考えて現実に近いものから考えていったら、落としどころが見つかりました。

——論理的な解決を求めていく小説ではあるんですが、話の展開に合ったキャラクターを出して、彼らの魅力で読者を引き付けておいて物語を前に進めるというやり方をされています。特に主人公と行動を共にすることになる、唯(ゆい)という女性がいいですね。ああいうキャラクターをうまく使えるかどうかという点で、ミステリー作家としてのセンスがわかると個人的には思います。

松下:解の中には、読者に真相として示しても「ふーん、そうか」とあっさり受け止められかねないものもあるんです。キャラクターとしての唯にはいろいろな役割を担ってもらっていますが、一つがコメディ・リリーフ担当です。それ以外にも、推理の選択肢を複線化する役割がある。真相を明かすまで、読者には想像を働かせてもらって、いろいろ楽しんでもらわないといけない。そのための働きを唯がしてくれました。

——単に驚きのある結末を示すだけではなくて、読者がそれをどう受け止めるかということまでを念頭に置いて物語を作られているのが素晴らしいですね。展開で言いますと、主人公の悠が妹である紫陽(しはる)の行方を探すことに執着しているのが本作の特徴なんですが、その理由が読者にわかって、彼に共感したくなるあたりが物語の折り返し点で、そこからどんどん怒濤の事態になっていく。きちんと起承転結をつけた構成がエンターテインメントとして非常に巧いと思いました。

松下:ありがとうございます。

——ページ数でいってもちょうど半分くらいのところで山場がきてますね。このペース配分みたいなものも自然にできているんですか。

松下:実を言いますと、初稿は募集要項の規定枚数をかなり超えていたんです。もっといろいろな登場人物がいて、設定や展開もけっこう入っていたんですね。それで見直して、不要なところを削っていき、ちょうどよくしたのが本当のところです。だから読者には見えない隠し設定になっているものも結構ある。それがストーリーやキャラクターに奥行きを持たせることになって、結果的にはよかったかなと思います。展開もかなりスピーディーになりましたし。

——語りすぎていないのも美点ですね。事件に関して背景情報がいろいろ出てきますけど、最小限に抑えていますでしょう。これ、書きすぎてしまう新人も多いはずなんです。そこがバランスの悪さにつながってしまうんですけど、その失敗はしていないですね。

松下:僕も小説を読んでいて、ここまで書く必要があるのかな、と感じることはあるんですよ。だから自作も客観的に見て、この箇所は独りよがりだな、と思われたところは冷静になって削り、本当に必要なところだけ残すようにしました。悠と唯の会話劇も実はもっと長かったんですけど、こんなにあってもしょうがないなと思ってけっこう削りました。

ヒットする作品の鉄則は「週刊少年ジャンプ」から

——『一次元の挿し木』の現在パートは時間軸に沿った形で書かれていますが、それと交互に出てくる過去パートは必ずしもそうではなく、遠い過去に飛ぶこともあってかなりランダムな形で悠の個人史が語られます。この語りがかなり特徴的ですね。

松下:僕が好きで読んでいた作品に、そういう形式のものが多かったんです。ミステリーでいえば、アメリカの作家でトマス・H・クックですね。『緋色の記憶』や『緋色の迷宮』、あとは『沼の記憶』とか。けっこうカットバックが多用されている印象でした。現在の出来事が進行しながら、過去も少し見える、という書き方です。僕が最初にはまったミステリーがクックなんですよ。もちろんそれ以前から有名どころは読んでいたんですけど、学生時代にクックの『心の砕ける音』という題名に惹かれてたまたま図書館で手に取ったら、すごく自分に刺さって。そういう部分が自然に出力されたのかもしれません。

——少し話題を変えて小説の部品について伺います。冒頭で出てくる、インドで膨大な数の人骨が発見されて、しかもばらばらの年代の死者だったことがわかったというループクンド湖の話題ですが、あれは構想のいつ頃からあったものなんですか。

松下:僕は日本経済新聞を購読しているんですが、ときどき『ナショナル・ジオグラフィック』の記事が掲載されるんです。そこでループクンド湖が紹介されたことがありました。ぱっと見て、「ここの人骨のDNA鑑定結果が自分の妹と同じだったらびっくりするな」というのが着想のとっかかりでした。

——松下さんは機械工学のご出身ですから、特に遺伝子関係に詳しかったわけではないですよね。でも、それに関する情報は実にわかりやすく書かれている。選評でも、先端の知識と読者に見えるものが先端の知識っぽく、かつ難しくなく書かれている、ということが指摘されていました。作者が知識をひけらかすわけでもなく、かつきちんと更新された情報についていっているというのは、実は大変なことだと思うんです。書き手としては取材でご苦労もあったと思うんです。

松下:その『ナショナル・ジオグラフィック』の記事を見てから遺伝子に関しては勉強を始めて、書き終えるまで三年ぐらいかかっています。一冊一冊がけっこう分厚いので、関係する書籍を読み切るのに半年かかりました。リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』ですとか、二重螺旋構造を発見したジェームズ・ワトソンの著書ですとか。それらの本は専門書というよりは、一般の人に「DNAはこれだけ面白いんですよ」ということを伝えるような形で書かれているので、広く浅くといった読書になったかもしれません。僕自身がこの問題に関しては素人なので、僕が理解できる文章なら他の人も理解できるだろう、ということが基準になりました。

——そうやって情報収集しながらプロットも考えていかれたんですね。妹のDNAに関する謎を膨らませていったら物語の形ができていったわけですか。

松下:そうですね。ただ、最初に一応作りはしたんですけど、ストーリー展開としては書きながら考えていったほうが強くて、そのプロットからはだいぶ離れましたね。完成形と最初のプロットは、似てはいるもののかなり違う部分があります。書いていくとキャラクターの人物像がどんどん輪郭を持っていくんです。「この人だったらこういう選択するな」とか明確に自分の中で噛み砕くことができるようになるので展開が変わって、それで新しいことを考えなければならなくなったり。行き当たりばったりって言ったら聞こえは悪いかもしれませんが、そんな風に書いていきました。

——感心したのは、主人公・悠の人物像がきちんと固まっていることです。最初から最後まで揺れていない。そして、モノローグがうるさくない。基本的には何かを思いつくとすぐ行動するキャラクターなので、その行動で自分の考えていることを読者に見せてくれます。この書き方が『一次元の挿し木』を読みやすくしている秘訣だと思うんですが、悠のキャラクターは初稿からこんな感じでしたか。

松下:そこは直してないと思います。「キャラは動かさなきゃダメだ」という考えが、なんとなく僕の中にあってですね。何かしらアクションを起こさせないといけないので、さっきも言ったように冒頭でハンマーで暴れさせてますし、骨のDNA鑑定をするのも他人に任せず悠自身にやらせるとか、そこは結構意識しました。彼が動かないと、物語が冗長になってしまうかもしれなかったので。僕は映画を観るのも好きなんです。面白い映画ってだいたい、登場人物が動いて物語を展開させてるんです。

——ああ、そこがエンターテイメントの書き手としての基本信条になっているんですね。

松下:僕は小学生の時から「週刊少年ジャンプ」をずっと読んでいるんですけど、ヒットする作品と打ち切りになるものとは、読めばだいたいわかるんです。打ち切りになる作品って、絶対に登場人物を動かさないんです。登場人物がまず動いて周りを巻き込んでいくっていうのが、ヒットする作品の鉄則になっていますよね。

——悠はでも、とっつきやすい性格には設定されていないですね。どちらかといえばつきあいづらい人物です。そういう主人公であっても、動かせばキャラクターへの共感が読者から得られるという成算があったわけでしょうか。

松下:逆に言うと、受け身のキャラクターってあまり読者から好かれないイメージが僕の中にあるんです。どんな目的であろうと、意思を持って自分から動いていく人はフィクションだろうがノンフィクションだろうが、たぶん読者から好かれるだろうと。

——なるほど。きちんとしたエンターテインメントの方法論を持っておられますね。キャラクターについてもう一つお聴きしたいんですが、牛尾という敵が出てきますね。他のキャラクターはかなり現実に立脚した人物造形なんですけど、彼だけリアリティレベルが別格でしょう。怪物的なキャラクターです。彼はどういう経緯で登場することになったのかをお聴きしたかったんです。

松下:かなり早い段階で彼を登場させることは考えていました。物語に張りを持たせるために必要だったんです。謎があって、それを主人公が追いかけるという展開だけだと、どうしても読者に飽きられてしまう可能性がある。満足度が低いんですよ。そこで物語に緊張感を持たせるにはどうしたらいいかということで、牛尾に辿り着きました。ただ、緊張感だけがあっても仕方ないので、牛尾の対極としてコメディ・リリーフの唯を登場させたんですね。謎で引っぱって置いて、緊張と緩和の間を往復しながら読者を楽しませていくというのがいいのかな、と思いました。ただ、唯の登場は中盤くらいで、結構遅いものだから、そこまではずっと暗い話が続くんです。だから悠の先輩の糸原という軽い人物を出して場を持たせたりとか、そういう工夫もしています。

——本作を応募されてから本になるまで、改稿はどのくらいされているんですか。

松下:応募時からは、あまり変わってないですね。人物名がちょっと変わったくらいで。たまたま、近所の人の名前を使ってしまっていたんですよ。それに気づいて、やべえ、と思って変更しました。だから感想で「読みやすかった」とおっしゃっていただくと、自分の狙いが刺さったのかな、と安心します。書いている間は自分が正しいかどうかはわからないですから、本になってようやくその判断ができました。

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