千街晶之のミステリ新旧対比書評・第7回 エラリイ・クイーン『最後の女』×斜線堂有紀『コールミー・バイ・ノーネーム』

■国産作品の「名前当て」ミステリ
さて、「名前当て」ミステリといえば、近年の国産作品で収穫と言えるのが斜線堂有紀の長篇『コールミー・バイ・ノーネーム』である。2019年に星海社FICTIONSから書き下ろしで刊行され、2025年には毎日放送でTVドラマ化された。
帯の惹句には、「俊英・斜線堂有紀が放つ待望の百合長篇第一作にして、切なさが炸裂する“名前当て”ミステリーの金字塔!」とある。「百合」とは、女性同士の恋愛、あるいはそれを扱った作品を示す言葉であり、従ってこの作品の主人公2人は女性である。
大学生の世次愛(よつぎめぐみ)は、深夜のゴミ捨て場に捨てられていた美しい女と出会う。古橋琴葉と名乗る彼女は、一宿一飯の恩義として、家に泊めてもらう代わり、男女関係なく身を任せているらしい。そんな琴葉は、「アンタ、ウチと付き合う?」と話を持ちかけ、「私は……君と、友達になりたい」という愛からの提案に対しては「私はなりたくない」とにべもなく撥ねつけた。そして、もし友達になりたいのなら自分の本当の名前を当てるよう求める。彼女は、中学生の時に改名したため現在は古橋琴葉と名乗っているのであり、本当の名前は、「呪いみたいに絡みついた、ウチの宿命」なのだというのだ……。
こうして、愛と琴葉は仮初めの恋人として交際を深めてゆくのだが、もし愛が琴葉の本当の名前を当ててしまったら、恋人としての日々は終わりを告げることになってしまう。そして、愛は本当の名前を探る過程で、琴葉の過去に秘められた深刻な秘密を知ることになる。
「名前当て」ミステリとしては、手掛かりはかなり早い時点で提示されている(なお、TVドラマ版では、第1話の時点で堂々と真相を示す単語が画面に映されており、その意味で原作以上に徹底した視聴者へのフェアプレイとなっていた)。その名前から浮かび上がるのは、琴葉の過去の凄絶さだけではなく、そんな過去と戦おうとした彼女の強さである。「名前当て」ミステリとしての構想が、百合小説としての主人公2人の関係性の掘り下げと不可分に結びついた秀作だ。
この『コールミー・バイ・ノーネーム』を読んで、私がクイーンの『最後の女』を連想したのは、「名前当て」ミステリという共通点があるからだけではない。『コールミー・バイ・ノーネーム』の琴葉の過去が、タブー視されている社会的問題の告発を含んでいるのと同じように、『最後の女』も発表当時のその種の問題が着想の原点にある。真相にどうしても触れることになるため、その問題に具体的に言及するわけにはいかないけれども、1970年という刊行年を考えると、『最後の女』は前年に起きたある出来事の報道に接したクイーンが、何かしら思うところがあって物語の着想を得たのではないかと想像されるのだ。その出来事が起きたのは、1969年6月28日のニューヨーク。『最後の女』を既読の方は、この日付を調べることでそれを知っていただきたい。そして、半世紀後に発表された小説である『コールミー・バイ・ノーネーム』の内容も、その出来事から始まる歴史と決して無関係ではないのだ。




























