『こち亀』革新的なギャグ漫画になった理由は? 漫画家・秋本治の“ルーツ”と“偉業”から振り返る

『こち亀』秋本治の漫画家ルーツと“偉業”

「こち亀」を独自の作品に変えたものとは

  とはいえ、徐々に秋本は、過激な『がきデカ』路線とは異なる独自の道を歩み始める(絵柄も、劇画調のタッチは残しつつも、柔らかい記号的な漫画絵へと変化していく)。

 「『こち亀』を40年間描き続けられたのは、好きな題材がたくさんあったからです。自分が好きなジャンルであれば、どんどんアイディアが生まれます。バイクにしてもマニアックなスポーツ・カーにしても、航空機、鉃道、銃、プラモデルなどなど――。いずれも僕が好きになったものでした」

  また、自著『秋本治の仕事術~「こち亀」作者が40年間休まず週刊連載を続けられた理由~』(集英社)では、こんなことを書いている。「『こち亀』は最初に設定した路線にこだわらず、そのときどきに僕の好きだったもの、たとえばミリタリーやゲーム、デジタル機器などをテーマとして取り入れ、少しずつ内容を変化させていきました」

  こうした趣味性・情報性を前面に打ち出していく一方で、「こち亀」は、従来のドタバタ喜劇だけでなく、心温まる人情話も時おり織り交ぜるようになり、さらに漫画としての深みを増していく。

  また、90年代末以降、それまで独身貴族だった主人公・両津勘吉が疑似家族(擬宝珠家)の一員となり、物語も全体的にマイルドな内容に変わっていくのだが、これは、下町の風景や人と人のつながりなど、「時の流れとともに失われゆくもの」を愛おしく想う作者の心情の表われなのだと私は思う(余談だが、大ヒット作である『DRAGON BALL』と『SLAM DUNK』が終わり、『ONE PIECE』がブレイクするまでのいわば“空白”の期間、「少年ジャンプ」が“看板作品”として最も推していたのは、実はこの「こち亀」であったように私は記憶している)。

  いずれにせよ、物語の基本パターンは決まっているとはいえ(※)、毎週1本、読切形式のギャグ漫画を40年間、休載なしで描き続けたというのは驚異的なことである。秋本治という漫画家の偉業は、もっともっと評価されてもいいのではないだろうか。

(※)両津勘吉がなんらかの金儲けのアイデアを思いつき(起)、一時は良い目を見るものの(承)、調子に乗ってしまい(転)、最終的には破滅する(結)、というのが、ある時期以降の「こち亀」のパターンの1つ。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる