「アンパンマンは大人に響くメッセージの宝庫」哲学者・小川仁志に聞く、やなせたかしから学ぶ人生のヒント

アンパンマンの哲学的魅力
――本書では、こうした名セリフの紹介だけにとどまらず、そのメッセージや物語に対して哲学的な視点で掘り下げるという試みも行っています。たとえば、「アンパンマンは困っている人がいたら、絶対に助ける」ということを行動指針にしていて、先生はそれを“アンパンマンの信念”として、カントの格率を引き合いに解説されていました。
小川:アンパンマンのこの行動指針は、まさに正論ですよね。しかし、それは理想であって、決して簡単に実現できるものではありません。たとえば、子どもたちに「誰かが電車のホームから線路に落ちてしまったら、必ず助けなさい」と教えるべきかどうか。もちろん、それ自体が正しい行動であることに間違いはありませんが、現実には危険が伴うため、必ずしも実行できるとは限りません。では、私たちはこのアンパンマンの理想をどのように受け止めるべきでしょうか。
私の考えでは、おそらく作者のやなせさんが伝えたかったことは、「理想を忘れないようにしましょう」ということだと思うんです。私たちは日々、現実の中を生きているので、理想がすべて実現できるわけではありませんし、時には妥協も必要かもしれません。でも、だからといって、理想を追い求めることをやめてしまうと、現実はどんどん悪い方向に流されてしまい、自分自身の心も腐ってしまいます。もしも、現実社会が良くない方向に進んでいると感じたら、「仕方がない」と諦めるのではなく、「なんとかしよう」と思う気持ちが大切です。アンパンマンの理想、つまり、アンパンマンのこの格率とは、こうした考えを教えてくれているのだと思います。
――同じく、アンパンマンでいえば、困っている人に自らの顔をちぎって与えるという、人助けのやり方も特徴的です。
小川:ここは、大人がアンパンマンを論じるときに、もっとも着目する部分ですよね。このアンパンマンの自己犠牲は、何を表しているのかというね。本書でも述べましたが、利他主義には「いい利他主義」と「悪い利他主義」の2種類があると思うんです。
悪い利他主義というのは、自己犠牲の中で本当に自分だけを犠牲にしてしまうもの。自らも滅ぼしてしまい、結果的に誰のためにもなりません。一方、いい利他主義というのは、他人だけでなく、自分にもいい結果をもたらす、言うなれば、ウィンウィンの関係性が構築されるものです。もちろん、利他的な行為には、自分が失うものもあり、痛みも伴うわけですから、そんな関係性を築くのは簡単ではありません。しかも、少しでも自分が得をすると利己主義になってしまい、自分が犠牲になりすぎると悪い利他主義になってしまうわけですから。このギリギリのバランスが重要になってくるのです。
では、そのバランスはどこで成立するのか。その答えのひとつが、アンパンマンの「顔を分け与える」という行為に示されていると思うんです。顔は人間にとって最もシンボリックなパーツであり、大事な機能も集中しているところです。にもかかわらず、アンパンマンはその一部を分け与えることで、自らの使命を果たしながらも、自分自身を完全に失うことはありません。私たちが相手に何かをしてあげるとき、自分も相手も幸せになれる形を模索することが大切ですが、そのお手本のあり方をアンパンマンから学び取れると思うんです。
――また、先生はばいきんまんについても「ばいきんまんは必要悪で、正しさとは何か、優しさとは何かを知らしめるために存在しているように感じる」とおっしゃっています。
小川:やっぱり、悪はなくならないというのが前提だと思うんですよね。やなせさんもばいきんまんを消してしまおうとは思ってないですよね。バイ菌なので、洗って小さくするという方向、つまり、悪さしないように抑えるといった考え方にとどめていると思います。もともと人間の体内にも常在菌がいて、すべて取り除いてしまうと、逆に生命の危機を招くことになります。同様に、人間社会でも、欲望のようなものが社会を面白くしてきた側面もあるでしょう。では、そもそも悪とは何なのか? それは完璧ではない人間が悩む際に生まれる“揺れ幅”のことだと思うんですね。その揺れ幅が、自分にとっても社会にとっても取り返しのつかないような状態にならないように、大丈夫な範囲で収めておくことが大切。つまり、少し悪に染まってしまったとしても、また戻れるということが大事だと思うんです。
だから、アンパンマンも悪を完全に葬り去ろうとしてるわけではなく、「お前はちょっとやりすぎてしまったから、こっちの方(正義の方)へ戻ってこい」という是正の意味で、アンパンチを繰り出しているのではないでしょうか。一見、勧善懲悪の物語のように見えますが、そうではなくて、私たちの心の中にいる、もしかしたら、アンパンマンの心の中にもいるかもしれないばいきんまん(悪)を、いかにして飼い慣らすか(共存し、コントロールするか)ということがアンパンマンの伝えたい正義なんだと思います。

――正義の話でいうと、アンパンマンはよく“逆転しない正義”を体現しているといわれます。やなせさんが戦争で「ある日突然逆転する正義」を味わったことから、アンパンマンではやなせさんが考える、献身と愛による“逆転しない正義”が描かれていると。そこにはやなせさんが苦難を乗り越えた末にたどり着いた人生哲学のようなものが込められているように感じます。
小川:よく誤解されがちなんですが、哲学というのは決して頭の中だけでやるものではないんですね。個人のあらゆる経験や体全体を総動員してやるものなんです。そもそも、哲学などというものは、人生に何か大きな悩みごとがないとやらないと思うんです。だから、現在学ばれている哲学の思想も、それを提唱した哲学者の人生や、その過程で生まれた問題意識が色濃く反映されています。その意味では、人生を苦労しながら考え抜いてきた人は、私は皆、哲学者だと思うんです。だから、やなせさんもきっとそうだったんだろうなと思うわけです。
ただ、やなせさんのすごいところは、そうした自身の人生哲学を、アニメを通じて子どもにもわかる形で表現していることですよね。子どもだけにとどめておくにはもったいないくらいのメッセージがたくさん詰まっていると思います。
本書の視点を持てば、何気ない日常が大切な世界に見えてくる
――この本を読んだ後に、あらためてアンパンマンのアニメを観たら、どんなふうに感じ方が変わると思いますか?
小川:これまでよりも深く物語を楽しむことができるようになるでしょうし、二つの点で、これまで以上に学びを得られるようになると思います。一つは、物語の奥にあるテーマやメッセージを理解することで、「こういう視点で見ると、こんな学びがあるのか」と気づけるようになることです。そして、もう一つは、こうした視点を持つことで、他のエピソードからも新たな学びやメッセージを発見できるようになることです。本書では、アンパンマンの物語の中で重要な10のテーマに沿って代表的なエピソードを紹介していますが、それらのテーマは紹介したエピソードだけでなく、他のエピソードにも通じる内容です。同じエピソードでも、視点を変えることで違った気づきを得られるようになり、物語の中から自分自身で大事なメッセージを発見することが楽しくなるはずです。
――先ほどアンパンマンの登場人物はそれぞれに悩みを抱えているといった話も伺いましたが、この書籍はどのような人に読んでほしいと思いますか?
小川:ここはあえて、あらゆる人に読んでほしいと言いたいです。というのも、人は皆、何かしらの悩みを抱えているものだからです。自分で意識してることもあれば、意識してないこともある。もしかしたら、「いや、私は悩みはないよ」という人もいるかもしれませんが、実は本書を読んでみると、「あ、自分もこういうことあるな」っていう気づきも得られるかもしれない。だから、そういった意味で、あらゆる人に読んでほしいと思います。
――それでは最後に、現代の大人があらためてアンパンマンから学ぶべき最も重要なメッセージをお聞きして、このインタビューを締めさせていただければと思います。
小川:「身の回りにこそ、大切なことがある」というメッセージです。アンパンマンには、ギネス記録に登録されるほど多くのキャラクターが登場し、それぞれに異なる悩みを抱えながらも、一生懸命に克服していく様子が描かれています。つまり、それは私たちの日常の投影であり、私たちの身の回りにも、気づいていないだけで、学ぶべきことや生きるヒントがたくさんあるということを教えてくれているんだと思うんです。
この視点を持つことで、何気ない日常が、自分にとって守るべき大切な世界に見えてくるかもしれません。そして、その気づきが、アンパンマンのように「誰かのために行動する」ことへとつながるのではないでしょうか。そう考えると、私たちの生き方も、きっと変わっていくはずです。





















