スカム・ヘミングウェイによるハードボイルドな写真小説ーー豊田道倫『午前三時のサーチライト』評

ようするに排水溝のフタは「都市のアンダーワールド(下半身)」への入り口だ。この下には西成や新世界の汚わいの世界が広がっている。『午前三時』には、人間のみすぼらしい性のあり様が幾度も描かれる。風俗で初老のくたびれた女を抱き、銭湯で見かけた若い男に欲情してトイレで自慰に耽り、立ちんぼの女の肉に包まれたいと淫らな夢を見て、死んだバンド仲間の未亡人を犯す。豊田道倫の世界には饐(す)えたザーメンの匂いが立ち込めている。だからこその美しさもある。泥の中に咲く、蓮の花のような美しさを著者は掴まえようとしている。例えば「光明の街」のなかに出てくる、ホームレスの男を評した以下の言葉。
「あれは人間なのかよ、とつい思ってしまっていたが、あれこそ人間の姿だろう。
彼らは自殺なんてしない。
どんなに汚れてようが、不衛生だろうが、心の中に何か宝物を抱えているから生きようとしているのだろう。」
「真実は痛い」というスラヴォイ・ジジェクの言葉を何度も思い出すと同時に、素朴なやさしさに包まれてもいるような妙な読書体験となった。最後に、著者は決して華麗なレトリックや気の利いたウィット、何層にも重なったメタファーを駆使するといった饒舌でスムースな文章家ではない。言葉をちぎっては投げ、ちぎっては投げするような無骨さ、言ってしまえば訥弁(ぎこちなさ)すら所々感じる。「岸さん」という作品では、主人公がバイト先のはぐれ者と親しくなる理由として、子供のころに吃音があったことが大きかったとしているが、これは豊田本人も抱えたコンプレックスであった。
とはいえ、野坂昭如によれば「日本では訥弁こそが雄弁」なのであり、やけに淀みなく話す人間は詐欺師であり、むしろ山下清のような吃音をかえって「真実」の語りだと見なす大らかな伝統があったという。人気Youtuberたちの澱みのない、しかし1ミリも心に残らない流暢でフラットな騙りの対極に、この本の無骨でスカムな語りはある。
■書籍情報
『午前三時のサーチライト』
著者:豊田道倫
価格:1980円
発売日:2024年12月20日
出版社:ケンエレブックス























