大河ドラマ『べらぼう』とあわせて読みたい! 江戸時代後期のベストセラー誕生までの物語『雪夢往来』

ページをめくるたびに、熱いものがこみ上げてきたり、途方に暮れたり、怒りに震えたり、不意に涙がこぼれ落ちたり……自分が「書いた/描いた」ものを出版すること。作者本人はもちろん、その作品を認めて後押しする者、それを出版して売ろうとする者など、大河ドラマ『べらぼう』を観ていても感じるように、江戸時代の頃から、出版に関わる人々の「思い」は、実にさまざまだ。ときには、それぞれの「思惑」も。雪国・越後魚沼で暮らす人々の暮らしや風習を、その地に伝わる「綺談」と共に紹介し、江戸時代後期のベストセラーになった書物『北越雪譜』。それから200年近く経った現在も、当時の人々の暮らしを伝える貴重な資料として、多くの人に親しまれているこの本が出版されるまでには、実に40年(!)もの知られざる紆余曲折の日々があった……というのが、木内昇の小説『雪夢往来』の基本的なストーリーだ。
本作の主人公であり、のちに『北越雪譜』の著者として名を残すことなる「鈴木牧之(ぼくし)/儀三治(ぎそうじ)」は、越後国の魚沼群・塩尻村で、縮(ちぢみ)の仲買商と質屋を営む、ごく普通の商人だ。長男として家業を継いだ自らの境遇を受け入れながらも、詩画や俳諧に親しみ、著名な絵師が近隣を訪れた際にはその手ほどきを受け、仲間たちと句寄せの会を取りまとめるなど、あくまでも「趣味」として、それらのものを楽しんでいた儀三治。あるとき江戸を訪れた彼は、江戸の人々が雪国の生活について、ほとんど何も知らないことに驚愕する(雪が3メートルも降り積もるとか、冗談言っちゃいけねえや)。そして、ぼんやりと考え始めるのだった。雪国の暮らしや綺談を、絵と文章で紹介したら、江戸の人々は興味深く読んでくれるのではないか? 儀三治は、わずかな伝手を頼りに、自らがしたためた原稿を江戸に送り、そこで思わぬ好反応を得るのだが……。
この小説が面白いのは、越後と江戸のあいだを何度も何度も「往来」する手紙のやりとりと、それに一喜一憂しつつも、次第に疑心暗鬼に陥ってゆく儀三治の「内面」を、共感度の高い筆致(プロに自分の作品を見てもらうことは、いつの時代の誰にとっても不安と恍惚が入り混じる)で、ありありと描いているところだろう。最初は「興味深いから続きを送ってほしい」と言っていたのに、「出版するには持参金が必要かもしれない」とは何事か。しかし、読み進むうちにわかってくるのは、本作の本当の面白さは、それが4人の「作家」それぞれの、互いに異なる創作に対する「思い」と「姿勢」を、次第に浮かび上がらせてゆくところなのだった。日中は家業に勤しみながら、妻子が寝静まった頃、ひとり文机に向かう「鈴木牧之」。まわりまわって、その原稿を最初に評価する、当代きっての人気戯作者「山東京伝」。そして、京伝のあとに原稿を手渡され、表題からその構成まで、細かい助言を手紙にしたため、儀三治に送り付けた「曲亭馬琴」。さらには、京伝の実弟であり、やがて自らも戯作を発表するようになる「山東京山」の4人だ。
初代・蔦谷重三郎の手引きによって一躍人気戯作者になった京伝だけど、初代・蔦重が亡くなったあと、どこか張り合いをなくしている彼は、流行作家としての自らの来し方を振り返り、黄表紙ほどの売れ行きは見込めないものの、心機一転、長編大作である「読本(よみほん)」の構想を練り始めている。そんな京伝の弟子筋でありながら、ある種の天才肌で、いつも粋で洒脱な京伝に嫉妬し、彼が成し得てない「読本」の世界を切り開こうと、身骨を砕きながら『八犬伝』の執筆に取り掛かっている馬琴。ちなみに彼は、京伝ほどの才能がないにもかかわらず、偏屈で知られる自分とは対照的に、人当たりの良さだけで世を渡っているように思える京山を目の敵にしている。それは、京山自身も自覚しているところであり……さらには、彼らのあいだを行き来して、執筆を促しながら胸の内で算盤を弾いている、二代目・蔦重や二代目・鶴喜などの版元たち。江戸の出版をめぐる人間模様は、かくも複雑なのだ。