『べらぼう』注目度が高い理由とは? 『光る君へ』に続く、大河ドラマの“新潮流”を読み解く
歴史好き以外にも注目を集める『べらぼう』
1月5日からスタートした今年の大河ドラマ『べらぼう』(NHK総合)の注目度が、例年にも増して高いようだ。さらに言うならば、平安時代が舞台、主人公が紫式部ということで、女性からの注目度が高かった昨年の大河ドラマ『光る君へ』と比べて、とりわけ男性からの注目度が高いように見受けられるのだ。しかも、武将や合戦好き、あるいは「三英傑に学ぶ人心掌握術」的な記事を好んで読むような歴史好きの中高年男性ではなく、むしろ「大河ドラマをこれまで観たことがない」「どちらかと言えば、そこまで歴史に関心はなかった」というような男性たちが、いつになく興味を示しているように思える今回の大河ドラマ。その理由は、どこにあるのだろうか?
無論、その第一の理由は、今をときめく俳優・横浜流星が主演だから――ではなく、彼が演じる主人公・蔦屋重三郎に関する興味なのだろう。浮世絵をはじめとする江戸時代の大衆文化に興味のある人はともかく、一般的にはそこまで名前が知られている人物とは思えない蔦重(つたじゅう)。
昨今あちこちで喧伝されているように、彼は「江戸のメディア王」と言って差し支えない人物なのだ(ちなみに、多くの人が想起するであろう“TSUTAYA”とは、直接的な関係はないようだが、その響きが喚起する“エンタメ感”は、あながち遠いものではないだろう)。いわゆる版元(今日で言うところの出版社)であり、黄表紙と言われた挿絵が多く入った大人向けの小説でヒットを連発しながら、その一方で喜多川歌麿や東洲斎写楽といった今となっては世界的にその名が知られている浮世絵師たちを発掘、育成、売り出した出版プロデューサーでもあった蔦重。彼は、大衆の欲望をどのようにつかみ取り、それを商品へと変えていったのだろうか。その感度の高いアンテナと幅広い人脈は、いかにして作られていったのか。そこには、現代の出版業界はもちろん、エンターテインメント業界全般に通じるヒントがあるのではないか。例年の大河ドラマとは異なり、そういった関心が、今回の大河ドラマ『べらぼう』にはあるように思うのだ。
実際、初回の放送を観てみたところ、早くもそれらしきシーンが登場していた。幕府公認の遊里・吉原の末端で働く女郎たちの窮状を憂う蔦重(横浜流星)は、ときの老中である権力者・田沼意次(渡辺謙)と対面することに成功し、吉原以外の場所で無許可営業する人々を取り締まる警動(けいどう)を行うことを進言する。それを一蹴した田沼は、蔦重にこう問い掛けるのだった。「人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか? お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を」。その言葉に瞠目した蔦重は、吉原を盛り上げるために今の自分ができることを悶々と考え始めるのだった。
為政者に対する陳情も大事だけれど、その前に自分たちで改善できることはないのか。それを公的支援に置き換えてみてもいいだろう。何やら耳が痛い話ではあるけれど。あるいは、やみくもにブルーオーシャンを探すのではなく、レッドオーシャンであると思われた領域の中にこそ、イノベーションのヒントがあるのではないか。そう考えると、江戸時代を舞台としたワンシーンが、にわかに不思議な現代性を帯びてきたではないか。
蔦重の物語が射程するものは、それだけではない。新人の発掘、育成、売り出しはもちろん、見どころのある原作者を才能ある絵師と掛け合わせることによって、双方がウィンウィンの状態になるような――その作品をヒットさせることによって、何よりもその版元が潤うような仕組みを整えたことが、彼の才覚のひとつなのだ。現在のマンガ業界では、ごく普通に行われていること――それをボカロPと歌い手のマッチングになぞらえることだって可能だろう。さらには、当代の人気歌舞伎役者の役者絵を、庶民でも手に取りやすい価格で大々的に売り出すこと。ブロマイドという言葉こそ、やや時代掛かってきてはいるものの、ひいきの役者やキャラクターの肖像を手元に置きたいという欲望は、今の時代も変わらない(今ならさしずめ“アクスタ”になるのだろうか?)。そう、蔦重とは、同時代のポップカルチャーの楽しみ方を大衆に提示しつつ、それを斬新なアイデアによって、次々拡張させていった人物なのだ。