連載:千街晶之のミステリ新旧対比書評 第3回 多岐川恭『異郷の帆』×霜月流『遊廓島心中譚』
■物語の舞台は1つの島が遊廓の場所、霜月流『遊廓島心中譚』
『異郷の帆』では、長崎の丸山遊廓に「出島行」と呼ばれる遊女がおり、オランダ人の孤閨を慰めるために出島に出入りしていたことが語られているけれども、霜月流の第70回江戸川乱歩賞受賞作『遊廓島心中譚』(2024年、講談社)は、1つの島が丸ごと遊廓となっている場所が物語の舞台に選ばれている。時代背景は、『異郷の帆』の元禄期から百数十年経った幕末だ。
安政6年(1859年)に横浜が開港され、諸外国の人々が横浜の外国人居留地に住みはじめたが、やがて彼ら専用の遊廓が設けられることになった。それが港崎(みよざき)遊廓であり、遊廓島という通称が示す通り、巨大な沼に浮かぶ島となっている。
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、江戸で唯一の公営遊廓だった吉原が、お歯黒どぶと呼ばれる堀によって四方を囲まれているという説明があった。港崎遊廓が島に造営されたのも、当然吉原の作りに倣ったものである。出入り口が大門(おおもん)1カ所だけなのも、中央に仲之町通りというメインストリートがあるのも吉原同様だ。
江戸の深川に住む少女・伊佐は、人殺しの嫌疑をかけられたまま死んだ父の無実を証明しょうとする。父の亡骸は鑑札らしき板切れを手にしていたが、そこには「岩亀楼 潮騒」と記してあった。岩亀楼とは遊廓島で最も大きな妓楼である。潮騒とはそこにいる遊女の名だろうか。伊佐は、潮騒に接触して情報を手に入れようと遊廓島に潜入する。
一方、本作にはもう1人、江戸で易者をしている鏡(きょう)という娘が登場する。彼女は姉が心中に失敗して無残な最期を遂げたのを機に、男女の「信実の愛」を確認したいと願うようになっていた。そんな鏡の前に現れた役人を称する男は、彼女に「そなた、横浜で、易者ではなく綿羊娘(らしゃめん)に扮してみる気はないか」と声をかける。綿羊娘とは、洋妾、つまり外国人の妾のことだ。男は、外国人の本音を聞き出すために、鏡に色仕掛けを弄する間者(スパイ)になれと言い渡す。鏡は、間者の任に乗じて「信実の愛」を確認できれば、姉の死について納得できるのではないかと考え、男の勧誘に乗る。こうして、伊佐と鏡、2人のヒロインの物語が並行して進んでゆくが、それらが交錯した瞬間に明かされる事実はあまりに哀しく衝撃的だ。
島を密室に見立てるのは『異郷の帆』同様ながら、こちらでは終盤、思いがけない事態によって、遊廓島が文字通りクローズドサークル状態に陥り、事件関係者たちは島から出られなくなってしまう。そうなる原因といい、真犯人が弄したトリックといい、この時期の横浜でなければ成立しない必然性が用意されていて舌を巻くが、更に感心させられるのは、事件の真相の奇抜にして壮大な構図だ。本格ミステリ・歴史小説・恋愛小説という3つのジャンルを重ね合わせることでしか成立しない異形の真相と言える。
出島という密室を内包しつつ日本そのものが密室でもあった時代が舞台の『異郷の帆』と、日本が密室であったことに日本人が否応なく自覚せざるを得なくなった時代が舞台の『遊廓島心中譚』。いずれも、時代設定が謎解きと密接に融合した歴史ミステリに仕上がっている。



























