ミステリファンに話題の探偵小説復刊企画 甲賀三郎、夢野久作、小栗虫太郎ーー千街晶之が読む注目作

■鬼才・小栗虫太郎が戦時中に発表した問題作

小栗虫太郎『女人果』

  残る1冊は、『黒死館殺人事件』で知られる鬼才・小栗虫太郎の『女人果』。刊行は戦時中の1942年で、小栗が若くして歿したのは1946年のことだから、その創作活動においては後期の作品ということになる。小栗の数少ない長篇の1つだが、文庫化は今回が初めてである。はっきり言って、かなりの問題作だ。

  多くの乗客を乗せてヨーロッパに向かう汽船の中で持ち上がったスパイ騒動。その正体を探ろうとした二等運転士・西塔靖吉は、社長令嬢の世話係が自殺を図っているのを発見する。世話係の手記には、彼女の数奇を極めた過去が記されていた……。

  夢野の『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』にも国策小説的な面はあったが、戦時中の作品ということもあって『女人果』のほうがそういう面は遥かに濃厚だ。軍国主義に強い反感を抱いていた小栗のこと、かなり複雑な心境で本作を執筆したと想像される。ただ、著者自身としては恋愛小説としての面を重視していたらしい。また、新聞に連載されたためか、次回への「引き」が重視されており、全体の構成はやや散漫である。だが、本作の最大の特色は、過去の小栗作品を想起させるような要素が大量に投入され、自己模倣の様相を呈している点だ。

  作中の重要人物として伸子という女性が登場するが、その祖父の名は算哲という。著者の代表作『黒死館殺人事件』を読んでいれば、この2つの名前のことはすぐに思い出せるだろう。また、本作に登場する汽船会社社長・三藤十八郎の名前は、もう1つの代表作『二十世紀鉄仮面』の敵役・瀬高十八郎を想起させる。八仙寨という地名も、小栗のデビュー作「完全犯罪」に出てくる。

  しかし名前が共通するくらいは序の口で、自身の旧作をそのまま組み込んだ箇所まである。特に前半の手記に出てくる密室殺人のシチュエーションとその謎解きは、「完全犯罪」からそのまま流用している(被害者のヘッダというファーストネームまで同じなのだ)。他にも『二十世紀鉄仮面』や「青い鷺」の文章も流用されており、自作の壮大なパッチワークという趣がある。

  江戸川乱歩や横溝正史ら、他の探偵作家も自作のトリックを他の作品に流用していた時代なので、本作だけが特異なわけではないとも言えるにせよ、流石に本作の自己模倣ぶりには困惑させられるのも事実だ。当時の著者の内面は窺う術もないが、自らの旧作群への強い愛着のなせるわざか、リミックス的な創作手段に目覚めたものか、いろいろと想像を掻き立てられる。もちろん、本作から小栗虫太郎作品に入門した読者は、そのようなことは意識せずに、冒険あり謎解きありのサーヴィス精神たっぷりな波瀾万丈の物語として読めるのだが。

■マニアを感嘆させる日下三蔵の編纂力

  さて、これらの復刊の企画者は日下三蔵だが、『盲目の目撃者』には甲賀を評した横溝正史のエッセイ、『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』には四方田犬彦の評論の一部を収録するなど、その編纂方針は相変わらずマニアを感嘆させるものだ。特に『女人果』の場合、単行本化の際にカットされた連載最終回を収録しているが、単行本ではここがカットされたせいで最終節の章題が意味不明になってしまっているので(小説としての終わり方の意味でもここはカットしないほうが良かったのではと個人的に思う)、これを収録したことによって『女人果』という小説は完成形が初めて明らかになったと言えるのだ。この企画が更に続くことを期待せずにはいられない。

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