町田そのこ、孤独死した老人の人生を描くことで得た視点 小説『わたしの知る花』インタビュー
町田そのこの新刊『わたしの知る花』(中央公論新社)は、犯罪者だと町で噂され、77歳で孤独死した老人の波瀾に満ちた人生が明らかになっていく物語だ。生前知り合っていた女子高生・安珠は、彼のことを調べるうちに、意外な過去を知ることになるーー。
2021年本屋大賞・受賞作『52ヘルツのクジラたち』で知られる町田そのこは、なぜ本作で孤独な老人を主役に据えたのか。また、一人の人間を多角的に描くことで得た新たな視点とは。町田そのこ本人に話を聞いた。
どんな人も、誰かを愛した過去があるってことを描きたい
――『わたしの知る花』は、町の人たちから忌避されている、公園の“絵描きジジイ”をめぐる物語です。前科もちと噂のその人を「汚いよな」と鼻で笑う彼氏に「別れよ」と思う高1の安珠は、どこか目が離せないその老人、平さんと祖母がかつて友人だったことを知り、その過去に関わった人たちに話を聞いていきます。町田そのこ(以下、町田):一人の人間を多角的に描く、ということに挑戦してみたかったんです。それも、周囲から「なんだあいつ」と思われているような変わり者の、真実の姿を探っていく物語がいいな、と。それで、人生の終幕を迎えつつある平さんという、自分からもっともかけ離れた人物を設定したのですが、これが想像以上に難しかった(笑)。三章まではするする書けたんですけれど、だんだん「多角的に描くってどういうこと?」「私は平さんの何を知りたいの?」と根本的な問いにぶつかってしまい、一年くらいは迷走していました。
――迷走を脱したきっかけはあったのでしょうか。
町田:明確に何があったわけではなく、ふとした瞬間に突然、光が見えたって感じでした。今作は、視点人物を変えた連作短編なのですが、一度、全部捨てて長編を書いてみたんですよ。平さんを知る誰かではなく、平さん自身の日常から何かを浮き上がらせたほうがいいんじゃないか、って。でも、担当さんからはあっさり没にされました(笑)。
――それはそれでもったいない気が(笑)。
町田:でも、確かに何かが足りなかったんですよね。それがなんなのか、生きるってそもそもどういうことなのか、ずっと考えていて、新しく書いてはしっくりこなくて、また書き直すことの繰り返し。でも、考えつくしたからこそ「ああ、私はどんな人も、誰かを愛した過去があるってことを描きたいんだ」と気づきました。みんなから敬遠されて、誰にも話しかけてもらえないと思われている平さんにも、誰かに恋をして、何よりも相手との時間を慈しんだ瞬間があるはずだ、と。
――じゃあ、最後の語り手となる安珠の祖母とのかかわりも、最初は決まっていなかった?
町田:そうなんです。安珠ちゃんも、こんなに大活躍する予定ではなかったんですけれど、誰かの過去とそこに関係した人たちを描くなら、今生きている人たちを繋ぐ存在も必要だと思い、彼女の成長をもう一つの軸に据えることにしました。そこで初めて、各章の語り手たちが生き生きと動き出してくれたんです。
物事をより俯瞰的にとらえるまなざしを得た
――町田さんの小説は、ダメな男との縁を断ちきれない女性がたびたび登場しますが、安珠はさっぱりしていますよね。平さんを馬鹿にした彼氏のたかひろにも、迷いなく別れを告げられる。
町田:等身大の女子高生、のつもりで彼女は書きました。現実の女子高生が、等身大と思ってくれるかどうかはわからないけど(笑)。天真爛漫で、若さゆえに気づけないこともたくさんある。でもただ素直でまっすぐなだけでなく、「こんなにあなたのことを考えてあげているのに」みたいな傲慢さも、保身のずるさも、ちゃんと持ってる。そういう、普通の子がいいな、と。
――そう言う意味では、たかひろも、普通の子ですよね。マッチョな思考にとらわれてはいるけど、自分が男であることを背負いすぎている彼にもしんどさがある、ということが伝わってきて、どこか憎めなかったです。
町田:ありがとうございます。クズな男性との付き合いが多かった人生なので、その魅力を見出すのも得意なんですよ(笑)。三章の語り手で、平さんのかつての知り合いである老人も、孫には「性格がクソ」と言われるおじいさんですけれど、どんな嫌な人でも、そこに至るまでの過程があるのだということを、今作では丁寧に描きたいなと思っていました。許せるかどうかは別として、この人なりの痛みを抱えて今を生きているんだ、根っから悪い奴ではないのかもしれない、と読み終えたあとに思っていただけたらな、と。わかりやすく断罪できたらラクだけど、どんな登場人物に対してもそれはしない、というのも最初から決めていたことです。
――そういう「だめな男性」を背景込みで描いたことで、見えてきたものはありますか?
町田:物事を、より俯瞰的にとらえるまなざしを得たような気はします。気をつけているつもりですが、無意識に他者を外見やぱっと見の印象で決めつけてしまっていることがあります。また、コロナ禍で人と容易に関われなくなったぶん、ほんのちょっと交流しただけで、すべてをわかったように錯覚してしまう傾向が強くなってしまったような気がしていたんです。たかひろも、安珠の幼なじみである奏斗にひどい態度をとりますが、自分とはまるで違うように見える、理解の追いつかない相手と、どう接していいかわからない焦りが、拒絶反応として出てしまったのではないか。その弱さは、私だけでなく誰のなかにも潜んでいるのではないか、と感じました。
――奏斗は、たかひろとは真逆で、性自認の曖昧な、繊細な男の子ですね。
町田:最初は、もっと白黒はっきりつけた描き方をしたほうがいいんじゃないかと思っていたんですよ。でも『52ヘルツのクジラたち』が映画化されて、あらためてLGBTQ+について学び直す機会を得たことで、根本的な認識が変わりました。LGBTQ+とひとくくりにされてしまいがちだけど、人によって悩みは違うし、さまざまなグレーゾーンがある。簡単に答えが出る問題ではないし、揺れていて当たり前なんだと。そもそも、自分が何者であるかなんて、明確に理解できる人なんてそう多くはいませんよね。思春期にあって、自分に自信をもてない子なら、なおさら。自分が何者なのかわからず、性のありかたもわからなくなってしまう十代の子たちもきっといるはずだと思うので、そういう子たちにとって一つの指標になるような描き方ができたらいいなと思いました。
――それぞれに弱さがあって間違えもする、ということをしっかり描いているのもいいなと思いました。繊細で、人よりものを考えられる、大人びた子だからといって、奏斗も決して成熟しているわけじゃない。たかひろは確かにひどい態度をとったけど、人との距離感を間違えて取り乱していく奏斗の姿には、身につまされる人も多いんじゃないでしょうか。
町田:自分以外の人はみんな、自信満々で落ち着いているように見えてしまうんですよね。ふわふわ宙に浮いているような不安を抱いているのは自分だけ、と独りよがりな思い込みをしてしまう。だから、相手が受け止めてくれるはずだと簡単に信じて、もたれかかってしまうんだけど、重たいから無理と突き放されて傷ついた経験は、私にもあります(笑)。とくにコロナ禍は、マスクで表情が隠され、触れ合う機会が減った。相手の状況を察するスキルを身につける機会も、若い子たちから奪ってしまったんじゃないかと思うんです。マスクをしていなくても、いちばん近くにいるはずの相手を、わかったつもりになっていることって、きっとある。知りたいと思って向き合う、そして行動することの意味、みたいなものも書きながら考えていました。