THE RAMPAGE 神谷健太&与那嶺瑠唯が明かす、“ハイサイコンビ”の絆「きっとずっと一緒にいるんだろうなって思っていた」

THE RAMPAGE“ハイサイコンビ”インタビュー

きっとずっと一緒にいるんだろうなって思っていた

――また、おふたりの聖地を巡る写真ページの後には、各自がTHE RAMPAGEのメンバーになるまでのバイオグラフィーと、ハイサイコンビの関係性が見える対談記事が掲載されています。おふたりの歴史を振り返る中で、特に印象的だったことを教えてください。

与那嶺:自分が今でも鮮明に覚えているのは、高校を卒業してすぐ、健太が上京した時のことですね。ダンス歴自体は僕のほうが長いんですが、EXPG歴は健太のほうが長くて。EXPG STUDIO OKINAWAができた2010年(中学3年生)に、一期生として通い始めた健太に対して、僕は高3の時に三期生としてEXPGに入ったんです。

――瑠唯さんはもともと別のダンススタジオに通っていて、それにプラスしてEXPGにも通い始めたそうですね。

与那嶺:はい。とはいえ、僕らは小学生の時から面識がありましたし、“EX SHOW”っていう生徒による定期公演会(現在は“THE STAGE”に改名)もあったので、自然と一緒に踊る機会が増えていきました。ずっと一緒に踊ってきたから、健太が上京する直前にやった最後のEX SHOWは、みんな大号泣でした。「笑顔で送り出してあげよう」って決めていたので、裏でこっそり泣いていたんですけれど、健太は涙ひとつ見せなくて!

神谷:あははははは!

与那嶺:僕はワンワン泣いてたのに……(笑)。でも、その後、僕も上京することになって、今こうして隣にいるから、不思議な縁だなって思います。

――おふたりが上京するキッカケになったのが、EXILEの新パフォーマーを決めるために2014年に開催された『EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION』。オーディションに挑戦するにあたって、お互い相談などはしていたんですか?

神谷:僕はEXPGからオーディションの話を聞いて、「受けます!」って宣言した上で上京したんですけど、瑠唯からは一切聞いてなかったです。それなのに、僕が大阪で一次審査を受けてる時、なぜか瑠唯も東京で受けていて。二次審査の時にいきなり会場で会ったから、「なんでいるの!?」って衝撃を受けました。しかも、必然なのか運命なのかわからないですけど、3人1組で審査を受ける時も僕らは同じグループになって。一緒に受けるはずだったもう1人が体調不良で棄権しちゃって、結果的に僕ら2人でEXILEのみなさんの前で踊ることになったんです。

与那嶺:あれはビックリしたね。オーディション期間中はEXPG STUDIO TOKYOのスタジオをお借りして一緒に練習していたんですけど、その時はまだ審査の組み分けが知らされていなかったので、「同じグループになったら面白いよね。でも、まさかね」みたいな感じだったんです。その“まさか”が起こったので、不思議な気持ちになりました。

――そんなドラマティックな裏話があったとは。当時の『週刊EXILE』では、健太さんが合宿審査で落選したのを受けて、ファイナリストになった瑠唯さんが「健太も一緒に受かりたかった」と泣く場面がありましたが、健太さんも一緒にデビューしたいと思いながら臨んでいたんですか?

神谷:一緒にデビューしたいというか、きっとずっと一緒にいるんだろうなって思っていたところがあります。

与那嶺:“当たり前に一緒にいる”とも違う感覚なんですけど、『EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION』を受ける中で、ここまで来たら一緒にいるだろうなと思いました。

神谷:そしたら、一緒にTHE RAMPAGEとしてデビューが決まって、“ハイサイコンビ”って名前までついちゃった(笑)。この先もこんな関係が続くんだろうなって思っています。

――『CHURATIONAL』の紹介文に「“美ら海”よりも深い沖縄愛を語ったロングインタビューは必見です」とありますが、今の健太さんの言葉からは、“美ら海”よりも深いハイサイコンビの絆を感じました。

神谷:あはははは!

与那嶺:その紹介文は幻冬舎の方が書いてくださったと思うんですけど、“美ら海よりも深い”って素敵な言葉ですよね。今後は僕も使っていこうと思います。

――ちなみに、『CHURATIONAL』というタイトルをつけたのは、どなたなんですか?

与那嶺:僕がつけました。懐かしいものに触れた時や切ない場面で、「エモい」って言うじゃないですか? 僕らも沖縄でロケをしている時、ずっと「エモい!」って言ってたんです。だから、ガイドブックを制作する際に、どこかしらでエモーショナルという言葉を使いたいなと思っていて。幻冬舎さんからご提案いただいたタイトル案も、自分なりに噛み砕きつつ、“自分達の美しい思い出”という意味を込めて『CHURATIONAL』という造語をタイトルにしました。

――沖縄で生まれ育ち、アーティストを夢見て上京したおふたりですが、デビュー後は音楽以外の活動も年々増えています。現在、お互いのソロ活動や、現在のグループ内での立ち位置の変化について感じていることはなんでしょうか。

与那嶺:健太に関しては、昔からずっと素直だなって感じています。子どもの頃からやっていた俳優業もそうだし、自分がやりたいようにやれているんだろうなって。もちろん、そこに行くまでは大変なことや上手くいかないこともあったと思いますけど、一貫して自分を表現できているんじゃないかなと思います。それが多分、グループ内での健太の立ち位置であり、自分の役割だと感じているんじゃないかと。健太って、他のメンバーが言いづらいことや、あえて言わないことも、素直な言葉でバシッと言うんです。それで怒られることもあるけど、健太の一言を受けて、みんなが動くこともよくあるので、僕はずっと健太のことを“責任請負人”って呼んでます。

神谷:俺が怒られるだけで解決するなら、それでいいからね。ちゃんと言うべきところでは、今後も俺が率先して発言していきたいなと思います。

――健太さんはもともとボーカル志望なこともあり、MA55IVE THE RAMPAGE(THE RAMPAGEから派生したHIPHOPグループ)として活動していたり、ソロで歌う機会もありますが、歌の仕事に関してはどんな気持ちで取り組んでいますか?

神谷:HIROさんが「良い意味でTHE RAMPAGEを利用しなさい」ってよくおっしゃるんです。グループでの活動をバネにして、メンバー各々の夢に向かってジャンプしなさいって。だから、これまでもいただいた機会を大事にしてきたし、今後も今までの経験を活かして活動の幅を広げていきたいです。

――では逆に、健太さんから見た瑠唯さんは?

神谷:コロナ禍になってから、瑠唯はバラエティー番組に出演する機会が増えたんですけれど、その様子を見ていると「自分ができあがってきたな」って感じます。頭の中でいろんなことを考える人だし、自分のことを俯瞰で見られる人だから、自分をどうアピールしたらいいかをずっと考えていたんでしょうね。最近は沖縄出身アーティストとしての強みをしっかり出せていると思います。

――THE RAMPAGEが最初にバラエティーに挑戦したのは、2018年の『てっぺんとるぞ THE RAMPAGE』(GYAO!)でしたね。

神谷:そうです。初の冠番組だったから、僕らもどういうふうに撮影するのかわかっていなくて。僕は龍と一緒に、「日本一キツイ急坂」をママチャリで登るっていう企画にチャレンジしました。まさか本当に頂上まで登らされるとは(笑)。

与那嶺:そういう番組だから(笑)。あの頃と比べたら、みんなバラエティー慣れしたなって思います。

――瑠唯さん個人のバラエティー力が開花したキッカケはなんだと思いますか?

与那嶺:『ヒルナンデス!』の月曜シーズンレギュラー(2022年)をやらせてもらったことかな?

神谷:あれでだいぶ変わりました。次の年に、僕らと同い年のヤマショー(山本彰吾)と3人で『THE RAMPinGOOD』っていうバラエティー番組をやらせてもらったんですけど、その時に実感しました。言葉で表すのが難しいんですけど、瑠唯はバラエティーで活躍してるタレントにいないタイプで、すごい面白いんです。

与那嶺:健太に褒められたから、今日はおいしいお酒が飲めるな(笑)。

神谷:10月スタートの冠番組『STAGE RAMPAGE』でも活躍してくれると思います!

■商品情報
『THE RAMPAGEうちなーぐちかるた』ハイサイコンビの想い出ガイドブック付き
著者:神谷 健太、与那嶺 瑠唯
価格:3,300円
発売日:8月20日
出版社:幻冬舎

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