筒井康隆、大江健三郎、村上春樹、阿部和重、小川哲……『百年の孤独』が日本文学に与えた絶大なる影響

『百年の孤独』日本文学への影響

 また、やはり自身が生まれ育った紀州熊野の路地を舞台にした作品を多く執筆した中上健次は、1985年に行った村上春樹との対談で「だからマルケスと僕なんか、フォークナーの落とし子みたいなもんです」(中上健次『オン・ザ・ボーダー』)と語っている。それに対し村上は、ラテンアメリカ文学は『蜘蛛女のキス』のマヌエル・プイグ以外は「僕は意外に好きじゃないですね」と話していた。中上は、老婆の回想によって路地の若者たちを描く『千年の愉楽』(1982年)に「天人五衰」という三島由紀夫の小説と同じ題の章を設けた。中上の紀州熊野サーガのなかでも、魔術的リアリズムがうかがわれる同作には、フォークナー的な着想の下でガルシア=マルケスと三島を出会わせたような趣がある。「意外に好きじゃない」といっていた村上も、『羊をめぐる冒険』(1982年)で北海道の十二滝町という架空の土地の歴史を語る章は、一連のサーガのパロディのようであったし、影響には広がりがあった(村上は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で謎めいた街を登場させたが、それは一個人の心象であり、大江や中上などのサーガとは性質が違った)。

 そのような日本作家の応答がありつつ、『百年の孤独』はこの国でも名作とみなされるようになった。以後もしばしば同作に触発された小説は書かれている。千里眼の祖母など、製鉄業で財を成した旧家の三代の女性たちを追った桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』(2010年)は、魔術的リアリズムの幻想性とミステリ的な仕掛けを融合した力作だった。

 古川日出男と阿部和重も、フォークナー、大江健三郎、ガルシア=マルケスの系譜にあるサーガ的想像力の作家だろう。いずれも東北出身なのは共通するが、作風はかなり異なる。古川は先達の神話性や幻想性を受け継いでおり、特に『おおきな森』(2020年)では、中国東北部に建国された満洲と日本の東北に宮沢賢治が夢見たイーハトーブがつながり、ラテンアメリカ作家を思わせる人物が登場したうえ、『百年の孤独』のエピソードにまで言及する内容だった。奇想が複雑にからみあって繁茂する大作だ。それに比べ阿部の『シンセミア』(2003年)をはじめとする神町サーガは、幻想以上にインターネットの陰謀論や情報の錯綜が現実の確かさを揺るがす今の様子をよく描いている。

 そして、『百年の孤独』を意識して書かれた近年の傑作といえば、小川哲『地図と拳』(2022年)である。日露戦争前夜から第二次世界大戦まで、満洲のある地域をめぐり密偵、都市計画、戦闘など波乱万丈の展開をみせるこの作品は、過去を語った歴史小説であると同時に、非日常的な発想に支えられたSF的な小説でもある。

 この原稿で触れた一連の国内作品を読むと、「日常的な現実性と非日常的な幻想性の混和もしくは共存」である魔術的リアリズムと、様々な人々が生きる土地にこだわったサーガというあり方が、現在も小説において力を持ち続けているとわかる。それは、『百年の孤独』が未だに読む者を刺激する小説として生き続けていることを意味するのだ。

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