エイリアンは本格的な研究対象に ダーウィンの自然選択説から想像される姿とは?
エイリアンというとテレパシーを使うイメージがある。一緒ではないが近そうなコミュニケーションの手段を用いる電気魚の生態を知ると、テレパシーが本当にこの世にあったとしてもコスパは悪そうで、エイリアンも使わないのではないかと思えてくる。それ以前に著者曰く、コミュケーションのために特殊能力が進化する可能性は非常に小さく、現時点で科学的な考察の対象にはならないという。本書では、地球上で見られる視覚・聴覚・嗅覚、もしくは電気魚のような電気感覚による情報の伝達方法を分析しながら、エイリアンたちの現実的なコミュニケーション経路の候補を導き出そうと試みている。
こうした動物学を基に予測されるエイリアンの実態からは、彼らが地球を侵略しに来ることよりも(エイリアンも他者と協力し合う社会性を身に付けているかもしれない)、もっと気にした方がいい人類の課題も浮かび上がる。
〈地球外生命体が形態学的に私たちと似ている、つまり左右相称の体をもち、直立歩行し、ふたつの手で世界を操っていることがわかったら、どうだろうか?(略)彼らはある意味――いや、どんな意味でも――「人間」なのだろうか?〉
著者はそもそも「人間」という概念が基準の曖昧なものであることを明らかにし、宇宙に知的生命体が存在するとわかった時には、それに合わせて定義を見直していく必要があるのかもしれないと指摘する。遠い先の話ではあるが、「ワレワレハ(地球上では)ナニモノデスカ」とエイリアンに聞かれるより前には、彼らにも納得してもらえる定義を考えておいた方がよさそうである。