いきものがかり 水野良樹 × 辻堂ゆめ 対談 J-POPとミステリーの共通点とは?
他者を意識しながら創作することについて
——『二人目の私が夜歩く』には在宅介護や尊厳死といったテーマも含まれているように思います。キャリアを重ねるなかで、社会的な問題を取り入れることが増えているのでは?辻堂:デビューしたての頃は20代前半だったのもあって、青春モノが多かったんです。その後、年齢を重ねて、自分も親になり、人生の意味とか死生観などの大きなテーマについて考え始めたのかもしれないです。「絶対に社会的な問題を入れよう」と思っているわけではないですが、物語を作るからにはそれなりのテーマがあったほうがいいとは思っていて。そのときの興味の赴くままに探している感じです。『二人目の私が夜歩く』では確かに在宅介護のことも書いていますが、そこには“人から見られている自分と、自分が思っている自分の違い”というテーマも重ねています。一見すると特殊な状況に思えるかもしれませんが、実は万人に共通することも含まれているのではないかと。
——多くの人に共通するテーマを反映することで、誰もが身近に感じる物語に結び付いているんでしょうね。
水野:歌詞にも似たようなところがあると思います。他者にどう見られるかをまったく考えず、その人のなかで完結しているというか、「自分をどう表出するか」を突き詰めている歌詞もありますが、僕はそういう曲は書けないんです。『二人目の私が夜歩く』もそうですけど、辻堂さんの作品にはその意味でも近しいものを感じます。ご自身だけではなくて、常に誰かがそばにいるというか。
辻堂:うれしいです。それはまさに、私がいきものがかりの曲に感じていることでもあって。水野さんのエッセイを読ませてもらったときに、「東日本大震災の後、生死に向き合ったことで曲を作るときの意識が変わった」ということを書かれていましたよね。
水野:はい。
辻堂:それを読んで、やっぱり水野さんが作る曲には、水野さん以外の誰かが存在しているんだなと思ったんです。そういう姿勢は、小説にも共通しているんだろうなと。
——他者を意識しながら創作する姿勢は、最初から備わっていたんですか?
水野:いきものがかりというグループでデビューして、最初から「自分で書いた曲を自分以外の人(吉岡聖恵)が歌う」という状態だったことがまずは大きかったと思います。「俺の声を聴け!」みたいな感じで世に出て、そのことで称賛を受けていたとしたら、まったく違っていたかもしれません。
辻村:吉岡さんという他者がいるというところから始まったということですね。しかも水野さんと同じ男性ではないっていう。
水野:僕はいつも“間(あいだ)”にいる存在だった気がします。曲は作っているけど、歌を届けているわけではない。ライブでもお客さんは吉岡の歌を聴いていて、彼女に視線が注がれていて。僕もフロントマンとして立っているけど、ステージの最前線と、後ろで支えてくれるミュージシャンの皆さんとの間にいるような感覚なんです。そのなかで得た視線みたいなものが、自分の強みでもあるのかなと思うこともあって。
たとえば物語を書くときも、読者のみなさんに想像してもらわないといけないじゃないですか。いくら自分が「こういう部屋なんです」と主張してもダメで、それを届けるためには、読んでくれる人の想像力を借りないといけない。その状態を作るうえで、“間”にいた経験がプラスになっているのかもしれません。
——それが水野さんにとって“読み手を意識する”ということなんでしょうね。辻堂さんも執筆中、読者を意識しているとは思うのですが。
辻堂:そうですね。他者との共感が生み出せなければ、読者は自分一人になってしまうので。私にすごくカリスマ性があって、大勢の人が私の思考を知りたがっている状態だったら「私だけが楽しい」という本を書いてもいいのかもしれないですが、そうではないですからね。特にデビューする前は“作家志望者の一人”だったし、自分と他者で共通しているものを探して書こうとしていたと思います。
——そこもJ-POPとの共通点かもしれないですね。聴き手、読み手に手に取ってもらうことが大前提というか。
辻堂:いきものがかりさんの楽曲はまさにそうですよね。先ほども言ったように中学生のときから聴かせてもらっているんですが、落ち込んでるときや気分が晴れやかではないときほど、いきものがかりさんの曲を聴きたくなるんです。嫌なことがあったとき、へこんでるときほど沁みるというか。「どうしてなのかな?」と不思議に思っていたんですが、水野さんが他者を意識して、共感できるような曲を書いてくださっていたからなんだなと。今日お話しして、答え合わせができました。
水野:以前から「聴くと元気が出ます」と言ってもらえることがあって、自分でも「どうしてなんだろう?」と不思議で。最近、そのことについて真面目に考えてみようと思ったんですよね。吉岡の声なのか、自分たちで気づけていない理由があるのか。辻堂さんのお話もそうですが、リスナーの方に教わることも多いですね。
辻堂:少し話が横道に逸れますが、デビュー二作目『コーイチは、高く飛んだ』(宝島社)は人の死を扱った重めの作品だったんです。当時は会社員だったので、仕事から帰ってきて小説を書くという生活をしていて。モードを切り替えるために「LIFE」(いきものがかり)を聴いていたんですよ。あの曲の力を借りて、自分が書こうとしている小説の世界に入っていくという。
水野:そうなんですね! モードの切り替えはけっこう大変だったんですか?
辻堂:まだデビューしたばかりというのもあって、なかなか難しかったですね。今は自分が書いた原稿を読むことで世界に入れるようになってきたんですが、最初の頃はそれもおぼつかなくて。「LIFE」を聴いて、「私が書きたいのはこういう世界だ」「こういう雰囲気の文章を書こう」と思ってました。
水野:めちゃくちゃ光栄です。「LIFE」というのがまた……。
辻堂:「生きる」「涙がきえるなら」も好きです。好きな曲はいくらでも挙げられます(笑)。
——本当に音楽がお好きなんですね。『二人目の私が夜歩く』にも登場人物たちが曲を作るという場面もあって。
水野:歌詞を書くことには興味ないですか?
辻堂:同じ文章なので興味はありますが、歌詞が書けると思ったことはないです。
水野:みなさん、最初はそうおっしゃるんですよ(笑)。「HIROBA」というプロジェクトでいろいろなジャンルのアーティストの方と作品を作らせてもらっているんですが、作り方も繋がり方もぜんぜん違うんです。詞が先のこともあれば、最初から一緒に作っていく場合もあって。機会があればぜひお願いします!
辻堂:ありがとうございます! もし水野さんとお仕事ができたら、それほど光栄なことはないです。
■書籍情報
『二人目の私が夜歩く』
著者:辻堂ゆめ
価格:1,870円
発売日:2024年4月22日
出版社:中央公論新社